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87. マーティン・ムンカッチ 【写真家】

マーティン・ムンカッチ(ハンガリー語ではムンカーチ・マールトン)は、ドイツとアメリカで活躍したフォトジャーナリストです。
斬新な手法によるスポーツ写真やファッション写真を得意とし、あの有名な雑誌「ライフ」の本家に当たる「ベルリナー・イルストリルテ・ツァイトゥンク」や、後には「ライフ」にも写真を寄せていました。

1896年、ハンガリーのトランシルヴァニア(現ルーマニア領)出身で、ブダペストを経てベルリンに出て、ユダヤ人だったこともあり第二次世界大戦前にアメリカに渡って彼の地に没したムンカッチの境遇は、以前ご紹介した写真家アンドレ・ケルテスに少し似ています。
(ケルテスもハンガリー生まれ、パリに出て名声を得た後アメリカへ、その後はずっとアメリカ在住)
時代もほぼ同時期ですし、アンリ・カルティエ・ブレッソンに影響を与えたことも共通しています。

ケルテスの記事↓

でも撮っている写真の表情は全然違っていて。
もちろんケルテスが純粋な芸術写真であるのに対してムンカッチはジャーナリズムであるという前提の違いもあるのですが、そういうことではなくて、ムンカッチの写真は生命力に溢れているのです。動的で、常に人間の生の気配を感じます。そして根本に人間への好奇心や愛があると確信できる写真ばかりです。
対してケルテスはものの形を捉えた写真で、生きて動いている感じがしないので、そこに写っている物事から鑑賞者が勝手に物語を作っていくことができます。

二人の違いに関して、amazonのレビューでY.N.さんなる方が面白い評を書いていらっしゃるので、引用しておきたいと思います。

静止した「躍動」
アンドレケルテス と同じハンガリー出身。時代もほぼ重なる。
写真の雰囲気は似ているが、大きな違いはケルテスが 静 に対し、ムンカッチは 動 である。
(略)
写真は「瞬間」を「枠」にするために切り取るものであるが、ムンカッチの「瞬間」は切り取った「枠」の外へ流出している。臨場感にも溢れ、私には 音や声も聞こえてくる。
(略)
ブレッソンが「決定的瞬間」というなら、ムンカッチの方は「躍動」である。
因みに ケルテスは「静物画」であり、疲れた精神に安らぎを与えてくれる。
精神を病んでいる私には、ムンカッチの「躍動」は賑やかで刺激的。一時の楽しみは与えてくれるが、長時間見ることは出来ない。
逆に言えば、健康な人には 賑やかで刺激的なムンカッチの写真の方に目が行き、ケルテスは退屈なものに見えるだろう。これは両者を比べた場合であり、あくまでも私の感想である。
https://www.amazon.co.jp/マーティン・ムンカッチ展-MARTIN-MUNKACSI-図録/dp/4938635429

わたしの言いたいことが簡潔に分かりやすくまとめられていて、これ以上何を言う必要があるかしら、という気持ちです。

ムンカッチという人物のことに少し触れておきますと、”ファッション写真をスナップ写真のように”撮った最初の写真家であります。
モデルを屋外に連れ出し、ポーズをつけず、自然な動きを捉える。それは当時のファッション界において、画面に躍動感と生命力をもたらす新しい手法でした。
生き生きとしたモデルや彼女たちの纏う服は、きっと当時の女性たちの憧れとなったことでしょう。

彼の写真が証明しているように、ムンカッチは好奇心旺盛で常に人生を楽しもうとしたお茶目な人でした。今回参考にした図録には「お茶目エピソード」が幾つか載っていて、例えば「60歳になってもまだ紙屑を捨てる時にヘディングしてから足で屑篭に蹴り込む」とか「疾駆するオートバイの脇腹に身体を結わえつけて興奮を写真に写しとろうとした」とか。
友人には

ムンカッチはひとりで五人分の興味とバイタリティー、そして自我のつよさを持っていた

と言われ、
実の娘には

話の面白さが大切で、真実を伝えるのは二の次でした

と言われる。
ムンカッチは戦後、カラー写真が台頭してきた時に時代の波に乗れず徐々に仕事を失っていくのですが、新し物好きに思われる彼がなぜカラー写真撮らなかったのか、わたしにはよく分かりません。

彼の人騒がせな性格はお父さんの血を受け継いでいるのじゃないかと思っていて、彼のお父さんというのが

木枠を組んで梱包し、錠前を下ろしたうえに火をかけた箱からフーディニばりに抜け出してみせる特技があり、村の魔術師としても知られていた。

のだそうです。トランシルヴァニアといえば吸血鬼ドラキュラ伯爵の故郷ですし、魔術師だっていてもおかしくない気がしますよね。家に魔術師がいたらさぞ面白かろうと思います。
でもムンカッチは村の生活が窮屈で、弱冠16歳にして家を飛び出してしまうのですが……。それとも魔術師のくだりはムンカッチの詭弁だったりして?


さて、最後にいくつか気になった写真や好きな写真などをピックアップしておきます。

・「ハーパーズ・バザール」誌 1936年6月号
図録の表紙にもなっている写真で、老木に寄りかかった女性モデルが陶然とした表情で虚空を見つめています。
彼女を包む白く柔らかい服は、ゆったりと風を孕んで膨らんでいます。モデルと服の最も美しい状態を逃さず収めた、という印象です。
多分背景が老木だという点もポイントで、画面の中で目立ちすぎず埋れすぎず主役を引き立たせています。

・朝食の楽しみ 1933年頃ベルリン
ベルリンを離れる前に撮った一枚。
”コーヒーを飲みながら、こおどりいて壁をまっすぐに昇っていく男性”が写っているのですが、人間ってこんなことできるの!? と驚きました。床に座って朝食を食べている女性の存在が、その行動の奇妙さを強調しています。
解説に、「被写体を閉じた空間の中に捕らえた、ムンカッチにしては珍しいイメージ」とありましたが、男性はどこまでも壁を昇っていきそうな雰囲気があり、わたしは全く閉じた空間とは感じませんでした。
寧ろこの絶妙な構図とユーモラスな被写体はムンカッチ特有なんじゃないかしらと思います。

・データ不明(鳩)
鳩舎に鳩が並んで収まっているだけの、どうということもない写真なのですが、数々の鳩漫画を生み出していらっしゃる鳩山郁子さん(いずれきちんと記事を書きます)を思い出したので選んでみました。
鳩には鳩の社会があるんだなあとしみじみ思わされる写真です。

躍動的な写真を撮る人だと紹介しておきながら、そんなに躍動的でない写真ばかり選んでしまった……。
分かりやすいところで言うと、ブレッソンが影響を受けた、三人の子供たちが喜び勇んで海へ駆け込んでいく「1830年頃のリベリア」なんかは、顔は見えなくても体と水しぶきが生の喜びを目一杯に表現している良作です。


このところ美術の日は展覧会の感想記事が続いていたので、久々の作家紹介でした。
ムンカッチの日本語書籍は今回読んだムンカッチ展の図録のみしかないようです。薄くてさらっと読めるので、興味のある方はどうぞ。ざっと調べた所によると渋谷区立中央図書館にはあるみたいです。

ではまた。

<参考文献>
ムンカッチ展図録:1994年 PPS通信社発行

例のごとくヘッダー画像はムンカッチの写真ではありません。
わたしの好きな「空襲後のホランドハウスの図書館」。
アメリカの著作権保護期間は70年。

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