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絶望することは前進すること

今日、仕事をしていたら同僚の人が冗談まじりに
「うわ~失敗した~、こりゃ絶望やぁ。」と言っていた。

「絶望だなんて大げさな」と思っていたけど、
その言葉を聞いて以前読んだ本を思い出した。

泉谷閑示氏の「普通がいいという病」
この世で知らないうちに決めつけられている「普通」という概念が、どれほど作為的で脆いものなのかを気づかせてくれる名著だ。

その中の一節に、「絶望」について語られている部分がある。

「絶望」とは望みが絶たれだ後の状態だと思いがちだが、実はほとんどが完全に絶望していない時に使われている言葉だ。

「欲しいものが手に入らないので絶望だ」
「彼女にフラれたのでもう絶望です」

ある意味それは、言葉に出している時点では執着しているモノから離れる直前であり、
「絶望」とは叶え難い願望から必死になって離れることを試みる「最終段階」のことである。

望みを絶って、人ははじめてしがらみから自由になれる。
力強く自分の欲を捨て去ることが大切だ。

自分が絶望していると感じた時は、そもそも残している期待の方が問題ではないかと疑ってみることが大切だと本書は説く。

ブッダも悟りを得る一環として、執着を捨てることが大切だと言っている。

絶望を大きな推進力にして、新しい自分をスタートさせよう。

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