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私の物書き欲。

リラックスした格好でPCの前に座る。パジャマは通気性のよく、袖口脚まわりが緩くて、脳みそもゆるゆるとほどいてくれる。そんな時間も考えれば、しばらくの間経験していないことになる。

リモートワーク中は頭を切り替えるために、普段着には着替えるようにしているから、それで何となくピシッとスイッチが入って、仕事モードになる。

先週の土日からの連休中、PCには触っていた。プログラミングをしていたのだ。LINEとGoogleのスプレッドシートを組み合わせたチャットボットは少し調べると自作している人たちがいて、その人たちの記事を参考に、時に中身をお借りしながら作っていた。

先人たちの知恵は偉大で、ちょこちょこ修正するだけで、動くようになった。買い出しリストに登録したいものをメッセージで送ると、スプレッドシートに記載してくれて、そのリストも表示させることができる。

アイデアも、素材も、ほとんどが他の人がすでに作ってあったものの縫い合わせだったけれど、チクチクと縫い合わせていったものが、一つの形になり動く、というのは思った以上に気持ちがいいもので。昔、ひたすらに紙飛行機を折ったり、お菓子の箱やペットボトルで車を作っていたのを思い出した。

子どもの頃の思い出は、自分で自覚できている以上に、今の感覚のベースになっているのかもしれない。そして、やりたいという衝動はふらっとやってきて、自分の心と身体を突き動かす。

こうしてつらつらと文字をつづって、今考えていることを文章に起こすというのも、思っている以上に、自分の一部なのかもしれない。その衝動は少し本能的ともいえるくらい、気まぐれだ。

こうしたい、ああしたい、こういう風に、書いていきたい。頭に浮かんでくれう文章を画面に表示させるのはプログラミングとは似ているけれど、少し毛色の異なる営みだ。

プログラミングはプログラミング言語という道具、を用いてパソコンのソフトとかに何かをしてもらう。書き物も書き言葉という道具を使うという点では似ているのだけれど、プログラミングのそれは母国語ではない。真っすぐな表現ができるのが書き物だと思う。使い方にも左右はされるけれど。

でも、独り言のように、自分の内面に吐き出す、言葉を認識して、キーボードを目で追う。たまに間違えてタイピングして、何だこれ、これは違うな、と思ったり、文章に起こしてみたら、イメージとちょっと違う、なんてこともあるこの物を書く作業をやっぱり私は好きだな、と思う。

なにかに追われるように衝動を文字に起こす時間も楽しいけれど、手探りで自分が何を考えているんだろうと、暗闇の数歩先をろうそくで照らして歩くように物を書き始めて、手を動かす時間もいいものだ。

そして、今考えていることを文字に起こしたい、なんて考えるのは結構気まぐれな衝動で、それは文字で何かを書くことを生業としていない、自分の特性なのかもしれない。毎日書こう、と思っていた時期もあったけれど、あれはもっと強いエネルギーを必要とする。

それこそ、息をするように言葉をつづることができる人もいるだろうけれど、私はそれができない。私にとって物書きは気まぐれで、ふらっとやってくる本能的な欲求のような形をしている。毎日やってくることはまれで、猫のようにやってきてはいつの間にか去ってしまうものだ。

ああ、今日は書きたいな、書こうかな、しばらく文字に起こしていないな、というときに気持ちがうーんと伸びをして、そうしてリラックスして気持ちよく心を吐き出すことができる。まるでしばらく運動をしていなかったら、ちょっと身体を動かしたいなとそわそわしてしまうような感じ。

心の向くまま、気の向くままに書いて、少し頭や心のあたりがすっきりする。まだまだこれからもおこもりの日常はしばらく続きそう。ストレッチを無性にしたくなるように、時々また無性に書きたくなることもあるだろう。

私の物書きは、そういう風にできているんじゃないかと思う。

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