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「赦し」の物語。

何か迷いがある時、不安な時、私は決まってたくさんの物語を求める。

小説、漫画、ゲーム、アニメ、それらを時間の許す限り、まるで貪るように、読んで、観て、その物語の中に埋没して。深く、深く、潜って、登場人物の感情を追体験すると、私の心の中はその溢れんばかりの熱くて強い圧力に押しつぶされて、不安な気持ちや悩みなんかどこかへいってしまう。まるで私の中身が空っぽになって新しい自分自身に生まれ変わったような気分になる。それで目の前の問題が解決するわけではないけど、自分の抱えている不安や悩みって案外ちっぽけなものとわかって、前に進むことができる。

そういう時に触れる物語はどんな話でも言い訳ではなくて、私の心に心地いい物語ばかりだ。

中学生の頃からずっと好きでもう暗誦できるのではないかと思うほど繰り返し読んだ物語。学生時代にひどく悩んでいた時に、私を救ってくれた物語。たった一言のセリフや感情が突き刺さって忘れられない物語。どれも私という人間を形成してくれた作品だったり、その写鏡になっているような作品だったりする。

文字を追っているだけでまるで実家の居間にいるようなほっとした、安心した気持ちになれるような心地よさだったり、冒頭の1カットだけでブワッと私の中の心の鋭敏なところを刺激されて涙で目が滲んでしまうような「ハマる」というか「刺さる」ような作品ばかり。

「赦し」の物語が多いなと思う。そしてそのほとんどが恋愛の物語だ。

主人公やキャラクターはそれぞれの事情で「罪」の意識を抱えていて、それが新しい人物との出会いや新しい体験を通して、自分の持っていたその「罪」を他人からも、そして自分自身も「赦し」て、開放してあげることができる物語。

きっと私は不安な時、自分の弱さに目がいってしまうのだと思う。それは物語の主人公たちと同じような「罪」のようなものであって、きっとそれを「赦され」たがっているのだと。

別に特定の宗教を信じているわけではないのだけれど、私自身の価値観として、キリスト教でいうところの「原罪」や仏教でいうところの「業」みたいなものを感じてしまうというか、「だめだなあ、自分。」っていうのが私自身の評価基準みたいなところがあって。ネガティブがデフォルトなので、落ち込んでいる時はそうしたネガティブな部分が強く出てしまう。だから、物語の主人公の世界を追体験することで、「そんなことないよ」「ありのままのあなた自身でいいよ」「ここにいていいんだよ」っていってもらえているような気分になって、また元気になれるんだと思う。

昔から恋愛の物語ばかりを好んで読んでいた。それはきっと、誰かを愛するということ自体が「赦し」だからなんじゃないかな、と思う。

その全てを言葉にして表現できるほど、私自身恋愛経験はないのだけれど、好きになった相手と酸いも甘いも共有したいと思ったり、その人の幸せを願ったり、少し好ましくないところも含めてまるっと相手を受け入れたり、そうした恋愛の一つひとつがまるで「あなた自身のまま、ここにいてもいいんだよ」という「赦し」の行為なんじゃないかな、と思える。

だから、私は恋愛ものばかり読んでしまうし、落ち込んだ時はそうした物語にまた赦されるのだと思うし、そうした物語にばかり憧れてしまうから、現実の恋愛は上手くならないのかな、なんて思ったりしている。

綺麗にまとまらないけど、きっとそういう風に考えている。

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