自己紹介。
はじめまして。
私は2023年10月に会社を退職し、福岡県でアロマセラピストとして活動しています。
それまでは、新卒で7年間会社員を経験。
最初の3年間は、大阪の店舗の販売員として働き、その後福岡に異動。カタログやWebなど企画・制作する部署で勤務しました。
そして、大学生のころ夢中になったセラピストの道へ。
こう書くと、いろいろ挑戦してるように見えるがしれません。確かにそうかもしれないけれども、自分らしく生きれる居場所を探している。
という表現が私にはしっくりくる。
私は、ストレングスファインダーや他の診断でもでてくる、かなりの『慎重派』。
怖くて眠れないときや、不安に押しつぶされるときだってある。
前置きがながくなりましたが、ここではありのまま発信していこうと思います。
まずは自己紹介。記憶がしっかりある中学生から遡ることにします。自分の中にしまっておいた心が開くように。どうぞ、お付き合いください。
自分が大っ嫌いになった中学時代
中学時代は、私にとって辛い過去。
(突然暗くてごめんなさい。笑)
当時、住む地区で一番評判の悪かった学校と合併になることが決まり、小学校が楽しかった分、不安を抱えて入学。タバコを吸う。たんこを鳴らす。自転車やバイク通学。集団で弱い者いじめをする男子たち。手加減しない暴力。
愕然とし、憤りを覚えました。
けれども、私は怖くてなにも出来なかった。その当時を思い出すと、自分のことも環境もすべてが嫌いでした。人間不信になり、男子は全員敵!と本気で勝手に思っていた。
3年間男の子と話した記憶もない。
自己否定し続けて写真も大嫌いだった。
身体が萎縮して猫背にもなっていた。
私は、きっと軽いうつでした。
本当か幻聴なのかわからない声がある時から毎日聴こえるようになり、噂されているかのようでした。
毎日ストレスでお腹にガスが溜まって、お腹の中の音が外に聞こえてしまう。
まわりに聞こえる鳴りようだ。しかも全然可愛くない鳴り方。
もちろん授業には集中できず、「お腹がなりませんように」と毎時間毎時間念じたものです。
ごはんを食べるとお腹がなるから、思うように食べれませんでした。
病院にいけば、うつや過敏性腸症候群とでも診断されていたと思います。
当時は家族にも話せず、反抗期も重なり家に帰ると感情のコントロールができず不機嫌でした。(お母さん、ごめんね)
けれども、唯一救われたのが、スポーツ。
当時はバレーボールのチームメンバーや練習が楽しくて居場所があったからこそ、学校にいけていたように思います。
とにかく長い長い、辛い3年間でした。
スポーツと大学受験、浪人生活。
やっと、嫌な環境から逃れられる思いで高校生に。
スポーツの強豪校へ入学が決まり、バレーボールに入部しようとするも、またもやここで早めの挫折。そこで目の当たりしたのは、監督が怒ると手を出す指導。かなりの強さで衝撃をうけました。当時は、そのような指導法は少なくなかったのではと思います。
「他人になんで暴力を振るわれないといけないんだろう」。疑問に感じたことや、自分にはバレーボールではやっていける実力がないと感じ入部をやめました。バレー部で頑張るぞと意気込んで入ったのに、帰宅部になろうとしていた。
ある日、体育の授業で走る姿をみた陸上部の先生が、私に声を掛けてくれた。
長距離走は中学時代から割と得意な方でした。
そこからご縁をいただき、陸上部に入部。
私は競歩に魅了され、素晴らしい仲間と共に練習に励み、競歩で全国大会を目指します。
なんと、運も味方してくれたおかげか、全国出場の切符を手にすることができたのです。
この運ってのは、あることを毎日してました。また改めて書こうと思います。
努力は必ず身を結ぶ。そう信じていた私。
競歩は脚が曲っていたり、走っているとみなされた場合は失格になります。
全国の舞台で初めての失格を経験し、悔しい思いであっさり引退。
積み上げてきたものが一瞬で失う感覚でした。
今思えば凄いことで、労いたいのだけど、昔は自分に超厳しく0か100の人間でした。
ここから受験勉強の日々が始まります。
結局、受験も失敗、浪人生活するも失敗、当時お付き合いする彼ともいまくいかず別れ、兄の心の病いがひどく、おばあちゃん家にしばらくお邪魔することに。お家に帰れない数ヶ月間。おばあちゃんの認知症の悪化でおうちの中で徘徊に目が覚める日々。家庭環境。浪人生活。
すべてがつらかった。
今となっては恥ずかしいけど、2度目の受験に失敗したときは、『死にたい』が一時期私の口癖で、何も成功しない私は価値がない。親のお金を無駄にした自分。努力なんて無駄!
心が完全に歪んでしまいました。
10キロ太ったり10キロ痩せたり。突然、心臓がズキンと痛くなる。自分を否定しまくりました。
あの時の自分を、ギュッと抱きしめたいです。
大丈夫だよと声を掛けながら。
充実した大学生活とアロマの出会い
受験には失敗したものの、女子大で4年間大好きな友達にも出会えて充実していました。
自分を変えたい思いから、心の本を読んだり、友達に出会えたことが大きくて、歪み切った心を少しずつ取り戻していきました。
今の私に繋がる大きなキッカケに出逢います。母と買い物へ行った時のこと。
オーガニックコスメ店に初めて訪れ、店員さんがハンドクリームを母の手に塗ってくれた瞬間、じんわりあたたかくなりました。
「植物の力ってすごい!」オーガニックコスメの存在を初めて知ったのもこの時で、「ナチュラル(自然体)な自分になるにはこれだ!」
ビビッと感じたわたしは、翌月アロマスクールに通っていました。バイト代は、精油やオーガニックコスメへ。施術ベットを買い、母や友人、スクール生同士でトリートメント。
“目の前の人の喜ぶ顔を見るのが好き”
私の大事な価値観に繋がります。
セラピストを目指そうかなという思いもありましたが、会社員を経験しないのはどうか悩み、最終進路を選択しました。
新卒を募集していた唯一のアロマ関連の会社には落ち、7年間お世話になった前職に入社することになります。
会社員7年間の職の変化と心の変化
やる気に満ちた社会人。最初は現場(店舗)を経験してお客さまの声を本社へ届けて、次のステップに進みたい。漠然とそう考えていました。
3年間で2店舗経験させてもらい、とにかく自分のやれることを丁寧にひたむきにやっていきました。素敵なお客さまや働く仲間に恵まれ、感謝しかありません。
少しずつ心の歪みが生じます。
営業時間でこなせないギフト配送。多忙で23時まで仕事をする日々が続きました。
好きな接客が、いつのしかこころから好きには感じれず店頭に出ることも減っていきました。
忙しい店舗で有難い反面、心に余裕がなくなっていき、どうしても自分が機械的な接客になってしまっていることも辛くなっていきました。
私は一体何がしたいの?
楽しく働きたいだけなのにそれができない。
夢が描けなくなり、こんなに身を削って働くのはもぅ、嫌だ。新たな価値が芽生えました。
親に辞めると相談してみたら、「何を言ってるの!?」と怒られる。なんで怒られなきゃいけないのかわからず、涙がでる。
私のことを想ってだろうけど、受験に失敗したときも、会社を辞めたいと話した時も本当は、ただただ抱きしめてほしかった。
今になって感じるのは、1番自分自身が自分にやさしく接してあげれていませんでした。
休日は、体がだるく、一日中パジャマで寝たきり状態。転職したくても、何がしたいかわからないし、私には何もできないんじゃないかとも思う。やりたいことがわからないのはこんなにも苦しいんだと感じました。
悶々としていたときに、小さな光が見えました。社内で公募制が行われることになります。
未経験でもチャレンジしたい人を募集。
やってみたい。挑戦しないと後悔すると感じ、今の環境から逃れたい思いもあって、応募し面接を行ってもらい、大阪から福岡へ異動することになりました。
はじめての一人暮らし。
寂しいけど、しがらみから解放されました。
実家暮らしでは、料理もせずに甘えっきりだったけど、暮らしを整えようと弁当をつくる習慣がつきました。
静かな朝に弁当を詰めるのが、動的メディテーションになって、すきな時間でした。
新しい部署では、4年の年月を経てカタログの校正や制作進行。WEBコンテンツの企画編集、オンラインイベントの企画運営に携らせてもらい、やりがいがあって、挑戦もさせてもらえる環境。最初はPCの使い方もままならず、先輩に迷惑ばかりかけていました。
「今やっている仕事は、あなたの本当にやりたいことですか。楽しめていますか」そう聞かれたら「はい」と正直に言えない自分がいました。
わたしのすきなことや得意なこと、嫌いなこと、苦手なこと、やりたいことって何?
自分とうまく対話できていないことを実感。
そこからは、ノートとペンを持ち歩き、自分のやりたいことを100個書き出す時間をつくるようになりました。
自分でも知らなかった心の声。
〇〇行きたい、〇〇食べたい、〇〇やってみたい...叶えられることは、叶えてあげるようにしました。
セラピストになることなった整体師さんとの出会い
福岡に来て3年目。恩師に出逢います。その方は整体師。たまたまInstagramで知り予約をしました。
身体を整えてもらってる最中に、なんと私は号泣してしまったんです。今まで、誰にも相談できなくて蓋をしていた感情が溢れ出ました。
寂しい、悲しい、しんどい。
私の身体は既に悲鳴を上げてくれていた。
身体が緩みととのうと、心も元気がのる。
身体と心はリンクしている。
まさか、初対面の人の前で泣くなんて思いもしなかったけれど、ありのままの自分を受け入れてくれる人に出会えて、嬉しかった。
整体を受けに行って数回目のあるとき、
「私は本当は、セラピストになりたいです」と自分の口から不思議と自然とでたのを今でも覚えています。
社会人になってから、アロマのことをすっかり忘れていたけど、自分のやってて夢中で心地いいことだったことを思い出します。
そこからは、またもうひとりの恩師に出会い、彼女からオイルトリートメントを学ぶことに決めました。
跳ね上がる楽しさとかではなくて、やっぱり楽しい。と静かな内側からの喜びのような感じ。
まるで過去の自分と仲直りするような、あのときの私と、今の私が出会ってギュッと抱きしめあう感覚のように。
背中を押してくれた2冊の本(人)との出会い
社会人になってからは自己啓発本を結構読みました。自分のことを知りたかったし、変わりたかったし、諦めたくなかった。
その中で、心に刺さり自分を変えてくれた2冊の本があります。
1冊目。Be yourself。
プロデューサーであり、こんまりさんのパートナーでもある川原卓巳さん。
2冊目。人生やらなくていいリスト
四角大輔さん。綾香やsuperflyなどを担当した元音楽プロデューサー。現在は、NZの森の湖畔でサステナブルな自給自足ライフを送る執筆家。
卓巳さんの本を読んで、自分を変えようとばかりしていた自分に衝撃が走りました。自分にあった環境を探しに行く努力をする。そんな視点が私にはなかったから。
大輔さんの本は読み進めていくと、自分のこころが癒されていくとともに、愛が想いが文章から伝わってきます。
こういう生き方を、わたしもしたい。
自分に100パーセント、正直に生きたい!!
本にでてきた100のドリームリストを読み終わった直後に書きました。(100個書くのが難しかった)
なんとタイミングよく、新刊の超ミニマル主義が出版され、日本に一時帰国されることを知り、福岡に来てくださることになります。話を聞かないわけにはいかない。
会いたい一心で会いにいきました。
実はここに川原卓巳さんもいらしてダブル奇跡が起きたのです。
講演が終わった後のサインで、大輔さんに質問をしました。
「これだけは覚えといて!不安はどんなにすごいひとでも不安になるということを」
どんなにすごい人も、みんな最初からすごかったわけではなく、一歩ずつ行動し続けてきたから今があるんだ。怖くても行動しつづけていく勇気なのだ。
人は誰もがアーティスト
過去を振り返り自分と見つめながら書かせてもらいました。
2023年10月に会社を退職し、実は今、先程書いた整体サロンでアロマセラピストとしてデビューさせてもらっています。
関わる人が、ありのままの自分に還れる。
セルフラブを育めるライフを送れるようになる。
セラピストとしてひとりの女性として、Being在り方を育み、挑戦していきたいと思います。
普通の人なんてだれひとりいない。
人は誰もがアーティスト。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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