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櫻坂46が紡ぐ"らしさ"とは何か

快進撃の2023年を終え、2024年も勢いそのまま突き進む櫻坂46。7th Single BACKS LIVE!!を皮切りに、小林由依のアイドル人生の最後を見事なまでのステージで美しく終幕させた。小林由依という櫻坂のパフォーマンスにおける要と別れ、新たな覚悟を胸に8th Single『何歳の頃に戻りたいのか?』を引っ提げツアーに挑む。全8公演で北上していくツアーは"新・櫻前線 -Go on back?-"と銘打たれ、櫻坂の新たな魅力を咲き誇らせると誓った。
さて、そんな4th TOURのうち私が観に行った愛知公演両日と神奈川公演千秋楽において感じたもの、更にはこの期間に出されたインタビュー記事を元に、櫻坂の魅力を存分に語りたい所存である。


1. ツアーの変遷から辿る"変化と進化"

欅坂46の頃、グループのライブは主にコンセプトライブであった。楽曲それぞれの意図とは別に伝えたいことが存在し、セットリストや演出、合間のダンストラックや様々な施策が一本の軸に沿って構築されていく。少しズレてしまう気もするが、簡潔に示せばストーリーが存在しているという言葉に行き着く。
さて、そんなさながら一編のフィルムのようなライブから櫻坂は自分たちの色を見つける為に様々な変化をし、模索する。1st TOURは欅坂の系譜であったと思う。欅坂ほど強固なコンセプトは無いにせよ、途中の演劇やセットリストの組み立て方は意図が垣間見えた。しかし、持ち曲の少なさや1st Single、2nd Single共に櫻坂のコンセプトである"何色にでも染まれる"を顕著に表した楽曲群ゆえに、一本の軸が作りづらそうにも見えた。続く2nd TOURは『As you know?』という大まかなコンセプトを携え、"櫻坂を知ってもらう"という軸を元にライブ構築をしていく。コンセプトの踏襲は無論完璧にこなしたものの、そもそも知ってもらうというコンセプト上、どうライブを組み上げても成立してしまうものであった。故にあのライブがコンセプトライブとして優れたものであったかと問われると、否と言いたくなるのである。
次が大きな転換である。3rd TOURにおいて、櫻坂はコンセプトを限りなく薄めた。そもそも欅坂から培った個々のパフォーマンスの魅力は、櫻坂での年数を重ねることで、あの頃とは比べ物にならないほど洗練されていた。筆者自身、欅坂への思い入れが強いので、やはり記憶は美化されてしまうが、それでも尚今の方が段違いにパフォーマンスが優れていることは疑う余地が1ミリも無い。多少の構成はあれど、曲で、パフォーマンスで勝負する。それこそが櫻坂のスタイルであり、それが見事にハマった瞬間であった。Start over!は確かに櫻坂における契機だ。あの曲が櫻坂をもう一段階上に押し上げた曲であることは間違いない。しかし、櫻坂の快進撃の一手は紛れもなく3rd TOURの舵切りだったと声を大にして言いたい。羽化はあの時から始まっていた。
この大きな一手は、2023年のライブ全体を進化させ続けるモノであった。3期生の勢いも余すことなく乗せられたのも、それが要因であると強く思う。 
1stから2nd、2ndから3rdとより良く刺さるものを求め変化し続けた櫻坂は4th TOURにおいて正統な進化を遂げる。


2. 4th TOURにおける進化

コンセプトを切った際、では何をどうすればライブが優れたものになるのか。それはライティングや特効といった演出とパフォーマンスの親和性、ステージの構成、そして最も肝となるのは"多彩であること"であると私は考える。

Ⅰ.演出とパフォーマンスの親和性

本ツアーのセットリストはダンサブルな楽曲で構築されている。このセットリストからは"踊って欲しい"と訴えかけてくるような強い意志を感じた。ここで言う踊るとは、動作を伴った所謂ダンスの枠に収まらない。リズムをとる、心躍らせる、端的に言えば音楽に呼応してくれという叫びである。じっくりと見つめるのもコールするのも身体を揺らすのも、音楽と正対し、目の前で起こる音楽と自身の境目を限りなく認識しないようにすることの具体例である。言うなれば没頭である。そんなダンサブルな楽曲群に付与した演出は"リズムの可視化"であった。以前からやっていたモノ、というよりライブでは当たり前の演出ではあるのだが、私の感覚ではより強固に意識して作られているように感じた。音楽を耳で、ウーファーの低音を肌で、そしてリズムが可視化された光の演出を目で、3つの感覚から音楽に没頭させる。
そしてもうひとつ明確に意識して作られているのが、楽曲への導入である。クラップという身体動作を促して始める曲もあれば、その曲に関連した音を組み込んで想起させて始める曲や楽曲のサンプリングを用いたダンストラックから始める曲、その楽曲の意図を組み込んだ演出やギミック等々から始める曲などもある。ほぼ全ての曲において導入が存在していた。これは上記で示したコンセプト廃止とかなり関連性がある話だと考える。つまりは、楽曲同士の繋がりを作れない代わりに、次の楽曲を拡張させ、楽曲が始まる前に世界観を構築するという意図であると思われる。このスタイルならではの思考の転換である。
この二つの施策による完璧な親和性はライブを進化させた。

Ⅱ. ステージ構成

アリーナ前方を囲うように配置された花道、センターステージから少し奥に伸ばした造り、2箇所のリフトアップでより多くの人にパフォーマンスを体感してもらう。地方公演では注釈付きと銘打って、メインステージの裏側にも観客を入れ、さながら360°ステージのような配置を行った。前回のnoteで触れたのだが、音楽は確かに会場全体に響き渡る一方で、パフォーマンスは距離の制限がどうしても内在する。ダンスの動きだけならまだしも、表情や細かな仕草までもを捉えるためには近くで見るという条件が必要になってしまう。表現を余すことなく享受したいのであれば、近さは必須事項である。一応補足しておくが、スクリーンで表情や仕草の補完は多少なりとも可能である。しかし、その補完は一部のメンバーかつ基本的にはバストアップのものであり、加えてダンスと同時に捉えることは出来ない。この距離というものに対して限りなく真摯に向き合った結果が本ツアーのステージングであると思われる。あくまでパフォーマンス、ダンスが主体である中で、どうしたら多くの人に届けられるのかを思考したのだなと伝わってきた。この感覚は正直言語化が難しい。しかし、現地に足を運んだ人なら分かってくれると信じている。

Ⅲ. 多彩

なんとも抽象的な要素だが、これこそが今の櫻坂の求心力の根幹であると思われる。これはパフォーマンスや楽曲のジャンルが多彩であることも確かにそうなのだが、一番は門戸が広いことと換言出来得る。今の客層は良い意味でバラバラである。コールをする/しない、そもそも声を出す/出さない、身体を揺らす者、踊る者、ペンライトを持つ/持たない、ファンサを求める者、じっくりと一挙手一投足を目に焼き付ける者、多種多様な人々が存在し、限りなく自由にライブを楽しんでいる印象だ。然し乍ら、それでいて静寂の暴力では灯りを消してじっと見つめていたり、随所で楽曲へのリスペクトは欠かさない。敬愛するASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカルであるゴッチが以前ライブのMCでこんなことを語っていた。
「本当に自由に楽しんで。自分は昔、フェスで小説を読みながら音楽を聴いていたことがある。そんな感じで聴いていても良いし、手挙げたかったら挙げても良いし、本当に各々自由に。」
そんな自由な空間を作り上げているのが今の櫻坂であり、それこそが魅力であると思う。ここからは少し個人的な見解であるが、この自由には制限が全く無いと言うわけではない。一般常識の範囲内であるのは勿論のこと、他者への配慮もあって然るべきである。どこまで配慮すべきかを定めることは現実的ではないが、ほんの少しでも相手を気遣おうという心持ちでいることが大事ではないかと思う。そんな配慮・気遣いを少しだけ念頭に置きながら、自由にライブを楽しめる空間を維持していけたらなと個人的に思っている次第である。


3. 大まかなライブレポ

まずライブとは楽曲単体で云々評することが出来ないことは当然であるのが前提として存在する。単体の評価はあれど、全体を通してどうであったかという話に帰結するということだ。その際に個人的に重きを置いているのが、ライブの始め方である。一曲目がどう始まるのかという要素が良いライブは基本的に良いライブであると感じてしまう。かくいう本ツアーはこの始まりが完璧という他なかった。

Ⅰ. 心を掴む導入(1~3曲目)

メンバーが一列に並びメインステージに競り上がってくる。高まる熱量を逃さないために、クラップを促す。流れるBGMは一曲目の『マンホールの蓋の上』の一節。ボルテージが最高潮に達し曲が始まる。マンホールのポテンシャル・開幕への適性は昨年末のCDJの際にひしひしと感じていたこともあって、櫻坂の新たな1ページ目を飾るに相応しいと強く思うに至った。
ここから流れるように続くは『摩擦係数』。3rdアニラから野生と理性の対比が明確に行われるようになったが、今回が最も綺麗に構築されていたように思う。というのも、ステージがしっかりと分離されながら、座席によっては視界に両者が収まるからである。神奈川公演二日目はメインステージ脇の座席であった為、この対比をとても正確に捉えることが出来た。こういう点からも、本ツアーは座席毎に特有の優れた要素があることが分かる。
ダンサブルな楽曲の連続はまだ続く。砂時計をモチーフにした映像演出から繋がるはBAN。 加えてSKZの文字がセンターステージに落ちてくるのだが、正直あれを導入した意図はライブの最後まで理解できなかった(申し訳ないです…)。BANの安心感は凄まじく、リリースから3年もの間櫻坂の盛り上げ曲の根幹を担ってきた強さは今回も痛感させられた。全員で作り上げる一個体のBANを望んでいる点で、真ん中のオブジェクトに対して複雑な感情を抱えてしまったのはあるのだが、同時に森田と対になってセンターを全うした谷口の凄みが見られたことは途轍もなく良かった点であることも述べねばならない。そういった三期生が櫻坂の未来であると名実共に伝わってきたのも本ツアーの特徴であったと思う。

Ⅱ. 挑戦と成長(4~9曲目)

賛否両論巻き起こる4曲目、『Anthem time』と『ドローン旋回中』のメドレー?的なパートに移る。マッシュアップの類いでもなく、ただ交互に流すのはある意味斬新ではあった。確かにチャレンジングではあるが、各曲への導入をあれだけ凝って作成している櫻坂のライブであるならば、もっと素晴らしいものが出来るであろうという確信があるので未来に期待したいところである。
大まかなライブレポであるのでザクザク進めていく。5曲目の『Don't cut in line!』はコインランドリーでのお話なので、導入部分には洗濯機が回る音が使われていた。初の3期生のみのユニット曲である本楽曲はクールに仕上げていた。三期生のポテンシャルを感じたのもそうだが、この楽曲のシンガロング部分「ウォーウォーウォーウォー」でかなり声が出ていたのが印象的であった。初披露である楽曲でシンガロングがしっかりと起こるのは、ライブへの没入と楽曲へのリスペクトがあることを示していると私は思う。また、ラスサビでの早着替えも印象的であった。真っ白な衣装に着替えるという“洗濯”の具現化を入れていたり、そうした細かな意味性の内在も楽曲へのリスペクトに他ならない。こうした諸要素も櫻坂のライブが今途轍もなく良いことの証左でもある。
6曲目のコンビナートは何か語る曲では無い。とにかく楽しいし、メンバーが楽しそうに踊っているのが途轍もなく良い素敵な楽曲である。無論、推しである増本綺良がセンターを務めているから、その努力の成長を見られること、増本に呼応してメンバーが楽しんでいる姿が見られることもこの曲の魅力である。正直推しのことを語り始めたらキリがないので、そこら辺はいつかの機会に纏めたいところではある。
本ツアー8公演通してのベストアクトには、この7曲目『何度 LOVE SONGの歌詞を読み返しただろう』を挙げたい。導入、演出、音圧、再現、ダンス、表情、楽曲背景、全てが完璧に噛み合っていて、三日間とも呆然と立ち尽くしその美しさを目に焼き付けていた。三期生から発露される郷愁と青春の狭間のような美しさは何なのであろうか。言語化が難しい魅力、しかし誰しもが持ち合わせている“あの頃”を想起させる。イントロのピアノから切り替わるところで眩く光る白のライティングと文字通り体が震えるほどの音圧に姿勢を正された。そこから始まる光景は、三期生が紡いできた青春の時間を切り取ったようで。あの日、あの時、あの瞬間、この曲をもっと“好きになった夜”。
この多幸感溢れる空気を掻っ攫うは武元唯衣。自ら振り付けを考案したダンストラックで激しさとキレを見せつけ、一仕事終えたかのように椅子に座って遠くを見据える。8曲目『油を注せ!』は彼女の独壇場であった。無敵感を身に纏った武元は唯一無二の輝きを放つ。私を見てくれと発露する表現というよりも、見ないわけがないだろうという余裕をも感じさせる空気と共に渾身の感情を踊りに乗せる。この独壇場は彼女一人では起こせない。周りが息のそろったダンスと表現によって、”主役”を構築しているからである。それに武元が全力で応えた結果の作品であり、一対他の相乗効果によって生み出された傑物であった。個人的に愛知公演二日目はこの曲をベストアクトに据えた。
9曲目は新譜の三人ユニットを各地で回していっていた。ここについては、私自身の解像度が余りにも無かったため特筆して綴ることがない。3rdアニラの『確信的クロワッサン』でもそうであったのだが、聴き込んでいない曲は表現を見る前に色々な思考が介在して、感想を生み出すに至らなくなってしまう。それ故に、BACKSで初めて曲とパフォーマンスの良さに気づけた。フェス等で知らないアーティストを聴く際には身構えていくが、ワンマンで聴き込んでいない曲が来るとこういうことに陥ってしまう。ちゃんと全曲聴き込んでライブに行くべきだなた改めて思い反省した次第である。

Ⅲ. 系譜と未来(10~15曲目)

後半戦の頭は『Cool』が受け持つ。ダンサブルな楽曲群で構築された本ツアーのセットリストにおいてCoolが選出されることに多少の驚きを感じながらも、嬉しさで胸がいっぱいになった。上記のステージングの話で綴った二箇所のリフトアップはこの曲で使用された。3rd TOURで開幕を任されたこの曲のポテンシャルは計り知れない。独特な世界に迷い込んだかのように感じる空気を掌握する力は櫻坂内でも随一だ。激しさのなかに散りばめられた無重力を表す髪を持ち上げる振り付けやラストの蝶を追いかける振り付け等も音だけでなくその役目を担っていると感じる。一人ピックアップしたいのが、感情を爆発させていた山﨑天である。特にラスサビの際には、踊り狂うという表現がしっくりくるようなダイナミックでエモーショナルなダンスに釘付けになった。今でも鮮明に思い出せるほど強烈に心に刻まれた表現である。
11曲目はこのセットリストと最も相性の良さを感じられた『承認欲求』。無造作に羅列された数字が映し出される導入から始まり、パフォーマンスは圧倒的なまでの表現の圧とダンスの見映え。さらに質実剛健なパフォーマンスに加えて、シンガロングまで内在しているこの楽曲は人を音楽にのめり込ませるパワーが尋常ではない。イントロのダンスから最後の決めまで一瞬たりとも目を離せないのに、身体と心は踊ってしまう。更には圧を感じて呆然と魅入ってしまうこともある。一言で表せば“最強”である。
12曲目は各公演の1日目が『静寂の暴力」二日目が『マモリビト』という構成であった。三期生の骨のある楽曲が対となっている。先ずは静寂から語る。1日目だけという性質上ツアー全体のベストアクトとして挙げるのは否であるが、一番印象深い楽曲はとなると迷わず『静寂の暴力』であると言える。センターを務める山下がメインステージからセンターステージまで無音・無灯の中歩を進める。この演出は3rdアニラを踏襲したものである。そこからもう一つフックを加える。無音・無灯のその状態で山下がダンスを始める。それに呼応するように全員が揃ってダンスを始める。踊り切った瞬間に『静寂の暴力』が始まる。無音である故に、一人一人の呼吸や足踏み、クラップや擦れる音、細かな音が熱量のこもる踊りと共に伝わってきた。また私が見た愛知公演1日目は生歌で行っていた。音程もピッチもお世辞にも上手いとは言えなかったが、そんなことは全く気にならないほどの圧巻のパフォーマンスが発露される。静寂は全てを削ぎ落とし、熱量が剥き出しになったような気迫を常々感じていたが、その極致がこの日のアクトであった。忘れられないアクトというのは今までの人生で何度かある。これは私の中でその一つになった、人生の無形財産である。さて、静寂と対を成すマモリビトに話は変わる。これは“無骨な愛”と言い表したい。欅から櫻へ、一期から二期、そして三期へ、火を絶やさず脈々と受け継がれる意志はマモリビトという群舞になって示される。今回導入において櫻色の光が降りてきて受け取り胸にしまう演出が施されていた。想起するは、欅坂時代の1st アニラの『キミガイナイ』の演出である。百聞は一見にしかずなので、画像を引用する。

欅坂46 1st YEAR ANNIVERSARY LIVE(引用元:https://spice.eplus.jp/articles/117630/amp

これをモチーフにしたのかは分からないが、私はこれを想起してしまったし、血脈を題材とした楽曲だからこそ過去を用いるのは何らズレていることではないとは思う次第である。そしてこの楽曲において特筆すべきはセンターである小島凪紗の表情である。想いが籠っていながら、清々しく真っ直ぐな目をしていた。一点の曇りもない、真っ新な心がそこにはあった。
13曲目は山﨑のダンストラックを導入にして始まる『泣かせて Hold me tight!』。アラビアン的な音作りからゆったりと滑らかなダンスが来るかと思いきや、割とキレのあるダンスに個人的にはギャップを感じた。音源で聴いた時よりも耳馴染みが良く、少しばかり気に入ったのだが、こういう生で見聴きすることによって良さを知ることがライブの醍醐味だよなと改めて噛み締めることが出来た。良い出逢いであるなと。
14曲目、本編のクライマックスに相応しい『Start over!』はペンライトの色あれこれでより禍々しく君臨していた。ヴァイオレットに染めたい派閥と従来通り赤に染めたい派閥が混在し、却って美しさが増したように感じたのだ。演出のライティングも赤とヴァイオレットを交互に使っていたし、結果的に今の具合が良いような気もする。また、この色合いが各々が自由に楽しんでいた帰結であればより良いなとも思う。かくしてスタオバは自由を礼賛/希求する曲であることを歌詞・楽曲表現・観衆の反応という三点から巧みに発露されたことになる。この曲には櫻坂が歩んだ進化の集積が詰まっている。
本編ラストを飾るのは勿論『何歳の頃に戻りたいのか?』。未来への希望を謳ったこの曲は輝きを放っていた。感情が溢れ出すと表現するのが最も近いだろうか。メンバー各々が抱える様々な感情、正負を問わず自らの中に流れるその感情がダンスと表情を通してパフォーマンスに成る。ありのままの感情をぶつけられた観衆は熱量で呼応する。コールやシンガロングがいつにも増して楽曲を高みに連れていくような気がした。音源に被せた歌声が音楽を超えて響く。ラストシーンに近づくにつれて、溢れ出る感情が形振り構わないパフォーマンスに昇華される。千秋楽、歌い切った時の清々しい表情は一生忘れないであろう。それ程までに未来が楽しみになるアクトであった。終幕のコイントスは表か裏か、夢をみるなら先の未来の方が良い。

Ⅳ. 結束が生む多幸感(encore)

アンコールは『Buddies』『櫻坂の詩』の二曲。パフォーマンスに関して取り立てて言うことはないのだが、近頃の櫻坂の空気が如実に現れた時間であったなと思う。愛知公演に訪れた際、MC等の雰囲気を見て、妙にハイテンションだなと感じた。その時はこの日特有のものであるのかと思ったが、どうも違う。そこさくでの雰囲気、ミーグリ定点カメラの雰囲気、ブログやメッセージの内容、ライブ終わりに投稿される動画、そしてMCの雰囲気等々、どの場面でも最近の櫻坂は何処かハイテンションである。しかもそのテンションが絶妙なのだ。決して内輪ノリになることがなく、かといってファンに向けたものでもない。とにかく楽しんでいる空気を常に纏い、その多幸感にあてられたファンもまた心躍るのだ。個人的には向井純葉や中嶋優月がキーパーソンのような気がしてならないが、本当に温かみのある空間が出来上がっている。 そしてBuddiesや櫻坂の詩でもそのような一面が垣間見えたのだ。特に顕著だったのが、櫻坂の詩のラスサビで横二列になるシーンである。こちらを観衆を意識せず隣り合う人にちょっかいをだし、手を繋ぎ、満面の笑みで大団円を迎える。なんと微笑ましい光景なのだろうかと。
千秋楽のMCで山﨑は誰も卒業する予定がない本ツアーが寂しさを感じず楽しくてしょうがなかったと語っていた。また中嶋はメンバーの優しさに救われ、このグループにいることが誇りであると涙ながらに語った。それに対し松田は即座に自身も中嶋に救われたと返す。支え合い、励まし合い、未来へと突き進む櫻坂は無敵であると評する以外何があるのだろうか。
新・櫻前線と銘打ち櫻坂の詩で締めくくることで各地に自分たちの足跡を刻み、Go on back?の問いには未来への希望を確と示した。
最高のライブであったと声を大にして言いたい。


4. 櫻坂らしさとは

櫻坂のスタイルを確立させたと痛感したツアーであったが、櫻坂とは何なのであろうか。森田ひかるは“櫻坂らしさ”についてB.L.T. 4月号にてこんなことを語っている。

 それを言葉にしてしまうと一つの答えを出してしまうようで、面白くなくなっちゃうのかなって。きっと受け取る人それぞれの“櫻坂らしさ”があると思うので、それを大事にして欲しいなって気持ちが自分の中にはあります。私からすると、お届けするものに“櫻坂らしさ”が詰まっているし、それをお届けしたくて頑張る…みたいな。

B.L.T. 2024年4月号

この各々の解釈を大切にして欲しいという心持ちは、私の記憶の限りではDCDLの藤吉夏鈴から始まっていると思われる。

歌詞だけ見ると恋愛曲なのかなと思うと思うんですけど、私は全く恋愛とは違った解釈を見つけました。なので皆さんも自分なりの解釈を見つけてみてください。

櫻坂46 デビューカウントダウンライブ!! MC

櫻坂はかなり寛容である。というよりも、寛容であることの面白さを示し続けていると言った方が正しい。上記で示した多彩さもその一端である。藤吉は愛知公演の直前に「ライブは自由に楽しんでね」という意のメッセージも送ってきた。この感覚を大切にし続けていることがよく分かる。
また櫻坂に対する解像度に関して、BRODY 4月号の武元×松田のインタビュー記事における武元の発言も引用したい。

表題曲だけでも、ひとつのジャンルに縛られない幅広さがあると思うんです。今の自分たちはどの曲を歌っても「櫻坂っぽいね」と言っていただくことができるようになった。そんな自信がつきました。2年前なら「欅坂っぽいね」と言われるような曲も、今は「櫻坂の曲」と思わせることができるし、『五月雨よ』や『桜月』のような曲でも、『Start over!』や『承認欲求』みたいな曲でも、櫻坂46として見せることが出来ていると思います。これからも「曲負け」しないように頑張りたいです。

BRODY 2024年4月号

ここでも多彩であることが示される。そもそも論、櫻坂のコンセプトが何色にでも染まれるであるからここに至ったことは至極当然ではある。しかし、そのコンセプトだけではないとも思う。多彩さというある種アイデンティティと相反するものをアイデンティティとして確立させようと踠いた結果であり、その道のりで楽曲だけじゃなく様々な“多彩さ”を身につけようとしたからである。
私が櫻坂らしさを挙げるのであれば、誰一人置いていかないという覚悟であると思う。2023年の年始CM、「Buddiesのみんな、準備はいい?」の言葉通り、櫻坂に集まった人も音楽もメンバーも全部引き連れてここまできた。
櫻坂の歴史を目撃できていることがこの上なく嬉しく、誇りである。

5. 続く未来は…

千秋楽のMCで齋藤冬優花が「広い会場になって、たとえ顔が見えなくても、見に行きたいと思ってもらえるライブをつくりたい。それが今の私たちの目標だと思う。」と語っていた。目頭が途轍もなく熱くなった。これほどまでにパフォーマンスに打ち込みながらも、その先の進化を見据えて邁進する。一期生がこのマインドでグループにいてくれることに対して感謝しても仕切れない。
また田村保乃が、悔しさをバネにして進んだことはない理由を、過去も全て今と同じように楽しく、そして今と変わらぬ気持ちでお届けしていたからだと述べた。なんとも誠実な心意気で、これにもまた感服した。自己を肯定することをずっとし続けてきた田村はメッセージを通してその誠実な明るさを示してくれている。そのマインドが舞台上で現れた瞬間であった。

櫻坂は満開にした各地の熱狂を引き連れて、東京ドームまで歩みを進める。しかしそこは決してゴールではない。未来を見据え続ける櫻坂にワクワクを抱き、これからも一瞬たりとも見逃したくない。そう思う次第である。


本日2024年3月29日(金)、東京で桜が開花した。春が来る

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