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まんじゅうこわい。ほんとにこわい。

数年前まで、なんというか、治安の悪いところに住んでいた。
どれほどかというと、子供が生まれたときに、大家から「育児をするなら、この辺から引っ越したほうがいい」と心配されるほど。
マンションの最上階に住んでいるにも関わらず、毎晩外から怒声が聞こえてくるし、駅から徒歩3分の距離にも関わらず、帰宅途中に黒服4,5人ぐらいから声をかけられる。
お巡りさんが酔っ払いを飲食店から引っ張り出している姿を見るのも日常茶飯事だった。

こうして書き出してみると、よくそんなところに住んでいたな、と思うのだが、住めば都という言葉もまんざら嘘ではなく、駅から近いし、家賃は安いし、コスパを考えれば悪くないのでは、ぐらいに麻痺してしまうのである。
子供神輿や縁日など、子供を巻き込んでのお祭りにも熱心。
カオスが高じて、子供が大声で遊んでいたところで不快になる住人が少ないというのも、後から思えば良かった点だったのかもしれない。

さて、なんでこんな話をしているかと言えば、そこに住んでいたときの出来事を振り返るため。
徐々に麻痺していくとはいえ、引っ越したばかりの頃は、夜な夜な聞こえてくる怒声に戸惑う日々だ。
怒っている誰かは、もしかすると隣人かもしれない。
その怒りの対象が、いつか自分に向くかもしれない。
過剰に怯えていたつもりはないものの、頭の片隅に、そういった懸念というのは、ずっと燻っていた。

そんなある日、家に帰ってくると、自宅のドアに何か貼ってある。

印刷されたものではなく、手書き。
癖のある英語で書いてある。

瞬時に、これはヤバいやつだと本能で察知。
お酒を飲めない僕なので、部屋でどんちゃん騒ぎをすることなどないのだけれど、ヴィジュアル系のCDはよく聴いている。
うるさい、騒音だ、という苦情を受ける可能性がないとは言い切れないのだ。

若干読み取れない単語もあるのだが(固有名詞の可能性があるため、写真はぼかして掲載)、興奮している様子が伝わってくる。
土地柄、外国籍の住人も多いであろう、このマンション。
どうも、英語を母国語とはしていないものの、日本語を書くことができないため、片言の英語で張り紙をしたためているといったところだ。
まずは翻訳を試みよう。

"Manju is good!"

「まんじゅうはおいしい!」

びっしりと書かれた英文のほぼすべてが、まんじゅうに対するメッセージであった。
まんじゅうは素晴らしい、まんじゅうを食べたい、まんじゅうをありがとう、などなど、まんじゅうへの感謝が込められている。
危ない筋からのクレームでなかったので一安心と言いたいところではあったが、同時に、別の怖さがやってくる。

まんじゅうを作った記憶も、近所の誰かに配った記憶もない僕だ。
当然ながら、心当たりなど持ち合わせておらず、誰がどんな目的で書いたのかは不明と言うほかないのである。
別の誰かにお礼をするつもりだったが、部屋を間違えてしまった、と捉えるにしても、ドアに直貼りって時点で怖い。
下手なクレームの100倍怖い。
子供同士のコミュニケーションであれば可能性はあるか、とも考えたが、筆跡が子供っぽくはないし、マンション内で子供を見かけたこともないし、メモのやりとりをするにしても、郵便受けに入れれば十分なはずだった。
まんじゅう教への勧誘と言われたほうがしっくりくるぐらい、どこを切り取っても意味が分からないのである。

"日常の謎"系のミステリーであれば、ここから素人探偵が名推理を発揮するところかもしれないけれど、残念ながら、ミステリー好きは探偵役を引き立てるだけの凡人だと相場が決まっている。
貼り紙は、念のため1週間ほど靴箱の上に置いていたが、名探偵は登場せず、燃えるゴミの日に捨てた。

結局、そこには4、5年住んだのだが、保育園への導線などを考慮して、駅を挟んで反対側の住宅街に引っ越すことになった。
たまに近所の子供がお母さんに叱られている声が届くくらいで、毎晩聞いていた怒声は、もうほとんど響いてこない。
家賃が上がり、駅から遠くなった以外はメリットしかないなと思ってしまうのは、"住めば都”マインドが働いているからだけでもないのだろう。

強いて言うなら、前のマンションでは一切訪れなかった訪問販売がわんさか来るようになった。
パンや牛乳、コーヒーなど、在宅勤務時に欲しいと惹かれてしまうものを持ってくるので憎たらしい。
この間は、「ペットボトルのお茶よりも、茶葉から作ったお茶を飲みたいと思いませんか?」と言うので、てっきり茶葉を売ってくるのかと思ったら、急須のセールスがはじまった。

今は、熱いお茶がこわい。


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