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【短編SF小説】2050年の生活③

シーン3「ワーク」


ベーシックインカムは世界中で普及し、最低限の生活を与えてくれるようになった。

中央集権的な仕組みは、大企業から始まり国家までもが、世界規模で解体され、今ではそれぞれの地方自治体が住民を管理している。日本とかアメリカとか、ナショナリズムの根源的要素は排除され、地球人は"自分達"ではなく"自分"の集合体になった。

今の地球で人類は、生活する上で労働はマストではない。だからこそ毎日、猫と同じようなライフスタイルでの生活ができている。

とはいえ貨幣経済はこの時代でも一応健在で、私は映画サントラを家で作り、それを売って生活の足しにしている。私の友達、その友達も同じようなワークをして各々のワークを謳歌している。

エンターテイメントは衰退しない。どの時代でも、文化は暇から発現すると私は思う。

数十年前までは、寿命のほとんどを仕事に使っていたなんて、今では到底信じられない。身を削って働いた対価の多くを献上して、いずれ寿命や病気で死んでいく事が、当時は紛れもなく"人生"だったらしい。しかしながら、そんな先人達の尊い犠牲の上に今の暮らしががあるのだから感謝してもしきれない。

日本の近代史は壮絶なものだったと祖母から聞いた。

宗教と政治、そしてマスメディアの三位一体で民主主義は崩壊し、人々の創造性や人間らしさはマーケティング戦略によって操作されていたという。当時の人類は、そんな神に創られた"幸せ"を信仰していたように思える。 

でも私はそんな時代のプロレタリアート文学が嫌いになれない。Twitterなんかはまさにその集大成だと言える。中央集権型システムの管理下で、日々労働に勤しみ、与えられた余暇を楽しむ。その僅かな隙間に人生の意味を誰もが垣間見る事ができた。

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