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4冊目ー『ミルクと日本人』

このごろ牛乳を飲むことはめっきり少なくなったのだけど、たぶん多くの人と同じように、子どものころは毎日の学校給食で当然のように飲んでいて。

味覚的な食べ合わせは無視されて有無を言わさず毎日でてくる牛乳を、当然のようには飲めない隣の席の子の分までがぶがぶ飲んだり、また隣の友だちとどちらが速く飲めるか競争したり、最中にぶちまけて先生に怒られたり、結果的にお腹がゆるくなって地獄の昼休みを過ごしたり、さまざまな思い出をよみがえらせてくれるアイテムなのだけど。

あのころ「どうしてごはんにはあわないのに牛乳?」と思ったことはあるけれどそれ以上は探求することのなかったその理由と、その背景としての日本の近代化のあゆみについて、この歳になって偶然に出会うことになって。


『ミルクと日本人 近代社会の「元気の源」』武田尚子(2017,中公新書)

著者は早稲田大学人間科学学術院の教授で、都市社会学の専門家。近代社会の都市労働者の生活についての研究が多数あり、『チョコレートの世界史-近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』(2010,中央公論新社)、『もんじゃの社会史-東京・月島の近現代の変容』(2009,青弓社)などの著書がある。

小柄な身体ながら大変闊達な「おしゃべりなおばさま」で、たまたまご縁があって献本いただいたまま「積ん読」してしまっていたのだけれど。

日本人が牛肉を食べるようになったのが明治以降であることはよく知られているけれど、牛乳も同じころ飲用が始まる。

西洋の食文化の輸入という側面が強く、草創期の需要は築地(現在の明石町付近)の居留地や領事館・公使館の外国人たちがその多くを担った。
文明開化を象徴する食品のひとつということであり、ビジネスチャンスを求めて東京では自営の業者が多く生まれた。

なかでも成功を収めたのが、かの渋沢栄一らが出資者となった築地入舟町の「耕牧舎」で、明治21年の東京の「牛乳番付」では最高位に位置付けられているのだけれど、実はこの牛乳屋、芥川龍之介の生家であったりする。


綿密な資料研究に寄り添う文学的想像力

このあたりが本書の魅力のひとつでもあって、芥川の「私は築地の何とか云ふさびしい通で生まれたのでした。家のうしろが小さな教会で…」といった回想を引きながら、「築地は大人たちにとっても魅力的な商業空間であったが、異国情緒は子どもにとってもリリシズムに満ちた詩的浪漫の源になったようである」といった文学的な想像力が織りこまれている。

渋沢ら維新期の経済人たちの群像劇としても興奮させるような記述もあり、またその陰で龍之介少年の作家としての感性が養われていたという物語は、学術的な意味とはまた一味違った価値を感じさせるものだったりもして。

これは後段、少し時代が下って大正から昭和初期、まだ牛乳は日常的飲料というよりは栄養補助食品という位置づけであった指摘につづいて、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』のジョバンニが病気の母のために町はずれの牛乳屋に走る情景と、天の川「ミルキーウェイ」についての「先生」の説明を受けて、「銀河のミルクは、家族の病気と労苦のなかで沈んでいた少年の心に、「ほんとうの幸い」を求める旅を歩む勇気をよみがえらせた。」と結ぶ箇所でも感じることができる。

もちろんこれらがただの想像のつなぎ合わせでないことは言うまでもなく、巻末の参考文献と注に割いている24ページのボリュームは新書としては異例と思われ、膨大な資料を綿密に読み解く、研究者としての誠実さも十二分に感じさせてくれる。


経済的供給と福祉的配給

ビジネスチャンスを生む外来品として受容が始まった牛乳が、広く日常的飲料として全国に普及するのは実は戦後の高度成長期以降のことであり、全国の給食で提供されるようになるのも同じころ。

栄養補助食品としての歴史のほうが長く、その栄養価は明治期から認められていて、都市下層の児童や、震災時の乳幼児に対する福祉的配給の体制づくりが大正~昭和初期のころから模索されていた。

しかし福祉的配給を実現するには、共産主義国家でない以上は経済的供給の体制確立を待たなければならなかった。冷蔵や保管、運搬のための各種技術の発達、消費者としての中間層の増加、それらを受けて供給者が成長、大量生産が可能となり、全国への配給が可能になった。

私の牛乳にまつわるくだらない思い出の数々もこうした先人たちの苦闘と葛藤の土台の上に成り立っていたのだと思うと、いっそう懐かしみの増す思いがしたり、またお腹を壊しそうな気がしたり、しなかったり。


牛乳パックの向こう側に

著者の専門は都市労働者についての研究だけれど、労働というテーマは経済と福祉の交差点であり、それは昨年の暮れあたりからTwitterで燃え上がった「藤田田端論争」にもよく表れているようにも思う。

貧困家庭の栄養不良は自己責任か社会問題か、災害時にまず助けを必要とする弱者は誰か、非常に現代的に思えるテーマが、100年前も議論されていたことが牛乳を通じて見えてくる。

生活の中のありふれた日用品、それらをじっと見つめ、深堀りしていくことで見えてくる社会の歴史と連続性と、意外な文学的発見。

コンビニに並ぶ小さな牛乳パックの見え方も、今この自室にある、タオル、鉛筆、かばん、ティッシュ…、それらの見え方も変わってくるように思える、その意味では自分の世界をひと回りもふた回りも広げることのできる視点がそこにはあって、一見とるに足らないことにもこだわって、学び、探求すること、その醍醐味を教えてくれる楽しい一冊で。

たぶんそれでも牛乳は飲まないけど。

#本 #推薦図書 #牛乳 #社会学

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