伊達政宗㉗

「ふむ?」
政宗はしばらく考えていた。小十郎が何のことを言ったのかわからなかったが、
「ああそのことか」
と思い当たったようで、政宗は話し始めた。
政宗は和賀忠親を扇動して一揆を起こさせたが、本来この手の陰謀は、相手方に証拠を掴まれないのが肝である。しかし岩崎城に籠城する和賀忠親に、政宗は伊達家から援軍を送った。
「そもそも、内府殿の天下は内府殿一人の力によるのではない」
政宗は言う。家康一人の力ではなく、加藤、福島、黒田、藤堂といった有力な大名が家康を支持しているから家康の天下は強固なものになる。
この仕組みは、秀吉の天下の時も同様である。
秀吉の時代は、徳川家康をはじめ、毛利、前田といった大大名が秀吉に臣従し忠誠を誓うことで、秀吉は強大な権力を得た。
秀吉にしろ家康にしろ、支持する大名が多く、また強い大名の支持を得れば得るほど、その天下は強固になる。
しかし政宗のように騒動を起こし、単純に家康を支持してくれない大名がいると、家康の天下が強固なものにならない。
特に上杉の処分が決まっていない時のことで、短期のもめ事ならともかく、長期化すると、家康が手に入れた、まだ柔らかい天下はたちまち流動的なものになっていく。
だから家康は、岩崎一揆を扇動した政宗との間に、早めに合意を取りつける必要があった。
また政宗の合意を取りつけ、上杉を大幅に減封した後も、政宗は家康の天下を構成する重要な要素であり、家康も上杉の処分が済んだからといって、簡単に政宗を排除したりはできない。
「大崎・葛西一揆の時はな」
と政宗は、昔のことを語り出した。
秀吉の天下になってまもなく、政宗は改易された大崎・葛西の遺臣を扇動して一揆を起こさせた。
政宗は一揆勢と通じた書状まで秀吉に掴まれながらも巧妙に言い逃れをし、表向きは無罪となったが、その後政宗は転封の際、さりげなく14万石所領を減らされた。
「あの時、儂が災難を逃れることができなんだのは、儂が己一人の力量を頼んで、他との協調を欠いていたからじゃ。あの時は一揆勢も見捨てたままにした」
政宗は言った。
(なるほど、そう言えば)
小十郎は思い当たった。あの戦いでは、政宗は敵味方双方を政宗は救援している。
和賀忠親だけではない。
最上義光にも、政宗は援軍を派遣している。
政宗の扇動で領内を荒らされた南部は、関ヶ原ではどの大名とも戦っていない。
岩崎一揆を扇動してもなお、政宗は南部よりはるかに東軍に貢献しているのである。
(これでは内府様も憎みきれぬだろう)
小十郎は思った。
「よくわかり申した」小十郎は政宗に言った。「内府様は、殿に対し、故太閤とは異なる接し方をなさるやもしれませぬな」
「儂もそう期待しておる」
そう言って政宗は酒を飲んだ。
小十郎は、政宗のやろうとしていることと、家康がやろうとしていることがより明確になった気がした。
「殿はおそらく、いくばくかの加増をお受けすることになりましょう」
小十郎は言った。「されど、そのためには待たねばなりませぬぞ。約束が反故にされたのかと気を揉むほどに」
「そこをなんとかとしたいのじゃがな」政宗は笑った。
「そうはいかぬでござりましょう。殿は内府様の敵なのでござりまする。敵である殿が望むままに、内府様からご加増頂くということはあり得ませぬ。兵五郎様に、どこか遠方に領地を頂くのが最上かと」
遠方に支藩の領地をもらっても、政宗の勢力増大にはならない。政宗の勢力が大きくならなければ、政宗は天下を狙えない。しかし政宗は、
「ーーそうか、やはり兵五郎か」
と、別な感想を持った。
余程の理由がない限り、正室の子を嫡子にしなければ家の乱れとなるということである。
そのことを早期に、家中に知らしめることで、伊達家は安定し、無用な争いを避けることができる。
(やはり殿は、天下だけを考えている訳ではない)
小十郎は思った。
小十郎には、政宗の気持ちがわからないではないのである。
(思えば佐竹も、江戸に近い常陸で西軍に与した)
戦国時代、伊達と佐竹は南奥州の覇権を巡って争ったが、小十郎には、佐竹の気持ちもわかる。
伊達や佐竹だけではない。
伊達、佐竹、毛利、上杉、島津といった大名は、皆鎌倉以来の名家で、その強大な勢力を背景に自立していた家なのである。
天下を狙う政宗だけが飛び抜けた気概を持っているように見えるが、他の鎌倉以来の家とて、大きな違いはない。
つまり、天下が定まった、または定まろうとしているからといって、天下人に簡単に膝を屈することはできないということである。実際、この5家のうち4家が西軍に与した。
つまりこれら5家は、徳川の天下に納得がいくまで足掻かねばならない。足掻かねば徳川の天下を納得できないのである。

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