伊達政宗㉛

仙台に入った政宗のすることだが、大きなことはできない。
仙台城の建築と城下町の建設、それに江戸の天下普請で、相当の資金を使っているのである。今は他日に備えて倹約する時期だった。
政宗は女性についても「倹約」していた。
多くの戦国大名同様、政宗も多くの子を持った。しかし山岡荘八も述べているように、政宗は側室を持ったが、秀吉や家康のように同年代の女性を多く側室にするのではなく、年頃の女性を一人か二人側室にする。
それで充分性欲は満たせるし、子もできる。
女性を多く抱えるのは、金がかかるのである。
また江戸に行けば、大久保長安を相手に散財することになる。政宗も金を出していかねば、長安が「金を貸す」と誘ってくる。
政宗は金を借りたくないので、長安共々散財せざるを得ない。しかも長安と遊べば、夜は多くの遊女を相手にすることになる。
(やれやれ、気の疲れること)
仙台でわずかな側室を相手にする方が、気が休まると思うこともある。
取り敢えず仙台では、川村孫兵衛に各地を回らせて、領内の開拓事業の計画を練らせている。

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