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「期待」よ、さよなら

こんにちは♪ さかもとさとみです。

ふと思ったのですが。

私小さい頃から無意識に、
誰かの「期待」に応えようとしてしまう
癖がついてしまっていたように思います。

母の期待に応えよう。
場の期待に応えよう。

…でもそんな風にしてると、
その場では誰かが喜んでくれるのですが

一方で、それって自分の考えや気持ちを蔑ろにしていることかも?

そんな風に今、ふと思ったのでした。


「期待」に応えようとすることの危うさ。

期待に応えようとすること自体は、
必ずしも悪いことではないとは思います。

期待があるから、がんばれたり、
他者に貢献しようという原動力になったり。


ただ危ういと思うのは、

期待に応えなきゃと思って動くとき、
自分の本心・本音じゃないからこそ

期待に応えようとしたその時点で、
どこか何かを他責にしてしまう心が生まれる。

期待に応えようとする過程で、
ネガティブな感情がむくむく育っていき

自分の内面を蝕んでいくか、
どこかでそれが周囲へ向き爆発してしまう。

…そんなことを、そういえば幾度となく
繰り返してきたような気がします😅


そして期待に応えよう、応えなきゃ、
と思う自分がいるということは同時に、

無意識に誰かに期待をして、
期待に応えてくれないと不機嫌になる、
そんな自分がいるということでもある。

↑ちょっと痛みをともなうような、
自分でもう〝っ…と思ってしまうことだけど

自分と向き合ってきて出てきた、
自分にとっての紛れもない事実。👀

あー、また痛いことに気づいてしまったけど、
気づいてしまったからには直視せざるをえない。


じゃあどうしたらいいのか?


思うに、
「期待」というものと距離を置く、

「期待」というものと無関係に、
つまり自分の気持ちや考えに基づいて
自分の言動を選択していく。


それが大事なんじゃないかと思います。

期待を感じ取ることや認識することまでは、
別によいと思うのですが

期待されたから〇〇しなきゃ、
という無意識のパターンに陥るのは避ける。

同時に、期待というものを通じて
相手をコントロール・動かそうとすることを
しないように意識する。

これらのことが、大事になってくると思います。


おわりに

なんとなーく、薄々前から感じてたけど
言語化するに至っていなかったことが、

急に脳内で瞬間的に言語化されて出てきました。

これは私自身にとって、大切な気づき、
「期待」という私にとって大切なテーマだ!

そう思って、noteを書いてみました📖


気づいたからには、変わっていきたいし、
変わっていきたいと思うからには、
変わっていける!

過去の経験から、そんな風に思います😀


よーし、日々コツコツとだけど、
「期待」に左右されない自分になるために
内面をアップデートしていくぞ〜!

(ふぅ、思いを言葉にしたら、スッキリ✨)

それでは、また!


*つづき。期待とさよなら、その後の私

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