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アデライトの花3巻感想、母親と娘の肖像

作者のTONOさんは明るくもどこか切ない作風が特徴で、どのような世界観の話でも独特の空気を持っている。
ギャグ一辺倒のものやエッセイも多く手がけているが、アデライトの花のように終始シリアスなものとなると、SNSで大々的にストーリーについて語り合うよりは一人、心の内でじっくりと噛みしめて考え込みたくなる。
そういうわけで、SNSなどで購読していることも特に言わず、こっそりと買って静かに楽しんでいる派だった。だが、最近出た3巻を読んだ時に気持ちが揺れた。
1〜2巻で丁寧に敷かれていた伏線や関係性の強調などがなされ、またその内容が衝撃的で、かなり心に残ったのだ。
そしてどうしても、簡潔にでもいいのでストーリーの良さ(というかコロナ、チーズ関連のネタバレを)自力で書き記して表現したくなった。
もし未読の方がいればここで踵を返して欲しい。
というか、全巻読んでいる前提で要点だけ書くので知らないと意味不明になる。




1巻の段階で良家であるハント家の娘であるコロナが一介の召使にすぎないチーズに助け舟を出したり、擁護する場面が目立っていた。しかし、実母であるはずのパイロープとは互いに無関心でそっけない態度を取っていた。
それゆえ、ある程度「コロナとチーズは何かあるのかな?」と予想できてはいた。けれど二人の正確な間柄、正体については全く考えつかなかった。
2巻で「グル」=互いに身内であり共謀者と判明するのだが、そのシーンの生々しさ、リアリティーにまず舌を巻いた。

花の病というパンデミックを恐れ、一夜のうちに逃げ出した料理人にかわりチーズが台所に立ち食事として用意したのは山盛りの茹でた卵と芋。
貧民街出身で教養に乏しいゆえか、皿の上に乱雑に置かれたそれは料理とも呼べない代物だった。
しかし、コロナはためらわず席につき、文句も述べず手に取り食べ始める。味付けがないから塩が欲しいとだけ言い、チーズがその言葉を受けて「どこだったかな」と探し始める。
その自然な会話がなされる近しい距離感、空気は赤の他人やただの友人では出せないものだ。
そして明かされるチーズの過去、コロナの出生のきっかけ。
コロナは本名をコーラといい、パイロープの弟ジャイロとチーズの間に出来た子供だった。血縁関係はあるが、死亡したコロナに成り代わって屋敷に入り、何年も演技を続けてきた。
ジャイロは意識のない中チーズと関係を持っており、チーズとその母が非嫡出子として育ててきたため、成り代わりがなければ貧民街から抜け出すことは難しかっただろう。
3巻をふまえて1〜2巻を振り返るとコロナことコーラは、芯が強いものの控えめなパイロープとは違い自分に強い自信を持っていた。何不自由なく育った令嬢のはずなのに、なんとしても現状を良くしようという野心をにおわせていた。
そのしたたかさは、生まれてこのかた貧乏で明日の食事にありつくことすら困難だった過去培われたものだろう。
相手や周りの気持ちより自分の感情を優先させたがり、どこか高慢さがにじむところなどはチーズに似ている気がする。

また、こういう成り代わりものでよくある「自分の出生を恥だと思い、伏せようとする」動きがなかったのも意外だった。
物語において貧しい出生を持つ者が成り上がった場合、なんとか過去を打ち消そうと関わりを持った場所や人間を次々と消して証拠隠滅を図るのが定石というか、よくある展開であると思う。
しかしコーラは正体が露呈しても貧民街出であることや実母がチーズであること、今まで身分を偽ってきたことを特に卑下する様子がなかった。
ただ、自分の正体をバラしても得をしないこと、チーズが虐げられ屋敷にいられなくなるような事実を公にすれば実力行使に出ると釘を刺したのみである。
コーラがそんな行動を取り、自分が自由になれそうな場所へ行く際には母チーズも連れて行く気まんまんなのは、貧民街での生活が愛に満ちたものであったからだろう。
ろくに食事にありつけなくても、世に出られるような学を身につけられなくても、コーラにとってはチーズをはじめとする家族から心底必要とされ、大切に育てられた「悪くない環境」だった。
客観的に見て不幸であっても、当人の抱く感情がそうであるとは限らないのだ。

チーズが病に侵されたと気付いた時、きらびやかな館の暮らしより過酷な貧民街の方がマシだったとコーラは回顧する。
コーラの想いと、娘と精一杯そばにいようとするチーズ、それからハント家の人々。
彼らがどういう形の決着を迎えるか想像もつかないが、その瞬間がせめて満足のいくものであるようにと思い数年後の次巻を待つ。