専門学校の授業や高校生の駄菓子販売にみる「働くということ」
ここ数年、「地元の食品メーカーさんから商品仕入れて、地元の店舗さんの軒先をお借りして、実際に売る」という授業を専門学校でやらせていただいています。
当初はもっと小規模でパッケージデザインのみの授業だったのですが、「パッケージだけじゃモノを売るにはいろいろ足りないから店頭もやろう」とPOPやマネキンも授業の領域になり、そのうち「商品のバックグラウンド必要だよね」となり、いよいよ商品選択(仕入れ)と利益計算。だんだん拡大してゆき、もはや授業というより事業だ。
「教える」が「事業を組み立てる」に自然となってしまう
教授(情報共有)→発表(各自提案)→フィードバック・再考(ブラッシュアップ)→レポートまとめ(計画書づくり)→実習(実行)と、教えているはずが事業を組み立てるのと同じになっていて、学生さんのスキルやノリによっては会社のプロジェクトチームみたいになる。
今年の学生さんたちとはウマが合って、今はちょうど夏休みで本当ならば接触はないはずなんですが、SNSのグループでパッケージデザインや仕入れの話をしていて、スキーム的には社内のそれをトレースしています。わたしが本職の先生ではないから、教育的なメソッドというか、学術的な論理を持ち合わせていないせいとも言える話なのですが。
いずれにしろ、授業の枠を超えて夏休み返上で働いているみたいなものです。わたしもですが(苦笑)
高校生がうちの店先で始めた駄菓子販売
話は変わって、ちょうど1年ぐらい前に高校生たちが始めた「駄菓子販売」というのもあって、こちらは貸本屋「裏山しいちゃん」の店先でやってるものですが、もともとは2日間のインターンシップがきっかけで学生さんが会社に通うようになり、この店を使って何ができるかな、と駄菓子販売を始めました。さすが飯田のインキュベーション施設を標榜している裏山しいちゃん。
いってみれば自主的にインターンシップをやってるようなもので、ついこのあいだ、目標であった「売り上げで焼肉」を達成。コツコツと1円、2円を貯めていった成果で、始めた頃は駄菓子ってこんなに「粗利悪いの?」って思っていましたが、これぞチリも積もれば。また、イベントに集まって出張販売するなど地道な商売道をみせていただいた感ありです。
バイトそっちのけで駄菓子販売に汗する不思議
起業ブームの昨今、学生時代に起業をどう学ぶかってのは結構重要なのかもしれない。いや、起業という狭義に嵌るとおかしくなり、そもそも「働くということ」全体について考えておくとよいのだろうな。
駄菓子販売をしている学生さんの中にはアルバイトをしている方もいて、駄菓子よりもそっちで稼ぐほうが断然効率がよいみたい。でも、駄菓子販売に対する労働とアルバイトでの労働を同義と捉えていない向きもあるわけです。
どんなに不効率でも駄菓子販売は楽しく夢があり、少し大げさに捉えれば、アルバイトは苦痛が多く、どう楽をするかを常に考えているという事実。これってとても興味深いですね。
「働くということ」を考えつづけているわたしたち
これ、わたしたちの会社「週休いつか」に入ってこられた多くの方々にも共通していることなのです。人生のほとんどを仕事に費やすわけで、仕事が楽しくなければ、それって不幸なのでは?お金のためってごまかしてない?・・・このあたりのことをグルグル考えている人が比較的長く会社に在籍しています。
次第に仕事の目的や過程に強くこだわりが出てきて、お金を目的とするのは本末転倒。本来は自分たちのリソースを使ってクライアントさんの課題を解決できれば幸せじゃない?というような具合になってゆきます。
しかし、この話、経営や生活を考えるとなかなか厳しい。会社の資金繰りや生活がかかっていると、駄菓子販売みたく1年に1回焼肉できたら幸せ!というわけにはいかない。なかなか厳しい現実です。
じゃあ、どうやって生き抜いてゆくか。こうやって「働くということ」に対する思考を深めてゆくことになるのです。
「みんな買いたい?これ。自分の婆さまが買ってきたら?」
一生懸命「売ろう」としている専門学校生と、わたし自身にも問いかける意地悪な質問がこれ。だから、仕入れる商品の背景を知りたくなるし、知らなければならない。仮に「売る」ということにとっては不都合であっても・・・。
わたしたちは、なぜ、この商売をやっているのだろう、何を大切にしているのだろう、と原点を見つめる作業です。
「どうして駄菓子を売りたいんだろう」
みんなで達成したという喜びを焼肉というご褒美で分かち合う。どんなに地味で小さな商売であっても、アルバイトよりも不効率な労働であっても、先述の高校生たちにとっては意味がありそうです。
このように専門学校生や高校生との取り組みは、気がつけば週休いつかの歩みを踏襲していて面白いです。少しだけ先にいる私たちから彼らにgiveできるもの。成熟した資本主義社会のパラダイムシフトを生きる若者たちにとって、「働くということ」という思考を深める、そんな機会をつくることでしょうか。
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