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料理人として独立へ。『酒井商会』の輪郭はどう生まれたのか?【酒井英彰と酒井商会の歩み #06】

酒井です。酒井商会で働くみんなに私の考えをしっかりと伝えたいと思い、私自身と酒井商会の歩みを書いていきます。今回は、将来自分の店をもつために、『並木橋なかむら』で修行していた私が、どういう風に自分の店の輪郭を描いていったのか。酒井商会が誕生するまでの過程について書いていきます。

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私が独立を決意し、修行先のフェアグランドの代表である中村悌二さんにその旨を告げたのは、私が『並木橋なかむら』で働きはじめて約2年半が経った頃でした。

その頃の私は、『並木橋なかむら』で刺場と煮方をやらせてもらっていて、
店内の全てのポジションを一旦経験し終え、学びに終わりはありませんが、和食における基礎的な仕事を繰り返し学んでいました。

自分の料理の腕に自信をもっていたかというと、そうではありません。自分より腕のある先輩が大勢いらっしゃるなかで、自分はまだまだ未熟と思っていました。

ただ、私の中では「こうした店をやりたい」という構想が明確になっており、それを実現させたい気持ちが強くなっていました。また、料理に関しても、ここからは自分で考えながら、学んでいく段階と捉えていたので、それを自分の店で挑戦してみたいと考えていました。

私が思い描いていた構想。それは、自分の好きなお酒である、自然派ワインと燗酒。そして、『並木橋なかむら』で学んだ和食を掛け合わせるというものでした。


自然派ワインと和食を掛け合わせたい

私が自然派ワインと出会ったのは、『並木橋なかむら』で働きはじめて1年目の頃でした。

当時、自然派ワインはまだ今ほどどこでも飲めるわけではなく、私は妻の友人に連れていってもらった駒沢大学にあるビストロで、偶然存在を知りました。そのお店の名前は『ラ・キャンタン』で、今はなくなってしまったのですが、様々な自然派ワインを扱うお店でした。

自然派ワインをはじめて飲んだ時、大きな衝撃を受けました。自分がそれまで知っていたワインとは何かが違う。ミネラル感が強く、出汁っぽい。そうした感想を伝えたら、お店の方がそうなる理由について丁寧に教えてくれました。

自分がやっている和食に、自然派ワインは実によく合う。和食に自然派ワインを合わせるお店があったら、自分だったら通いたい。直感的にそう思いました。

今でこそ、和食店や居酒屋で自然派ワインを取り扱うことは増えましたが、当時はかなり少なかったように思います。

だからこそ、『並木橋なかむら』で学んでいた和食に自然派ワインを合わせるというアプローチを、自分でやりたい。挑戦したいと感じました。なにより、純粋に自然派ワインの美味しさや奥深さに魅了されていたので、この掛け合わせを追求してみたいと思いました。

それからは、自然派ワインを深く学ぶべく、定期的に『ラ・キャンタン』や自然派ワインを取り扱うお店に通うようになりました。お店の方々にも本当によくしてもらって、様々な種類の自然派ワインをテイスティングさせてもらい、味を覚えさせてもらいました。

特に、『ラ・キャンタン』の店主の鈴木さん(現在は千葉の松戸で『bonsoir』というワインショップをやられています)には本当によくしてもらって、様々な種類の自然派ワインをテイスティングさせてもらい、味わいなどを教えて頂きました。

実は、酒井商会のオープニング時に手伝ってくれたうちのひとりは、『ラ・キャンタン』の常連で別の自然派ワインのお店で働いていて、ちょうどお店に行った時に紹介して頂きました。現在、彼女は白金台にワインバーを出していますが、オープン当初の酒井商会を本当によく支えてくれました。そういう意味でも、『ラ・キャンタン』との出会いは、酒井商会の誕生において大きかったと感じます。

そして、自然派ワインの世界に魅了されてからは、自然派ワインの試飲会や、自然派ワインの勉強会などにも参加するようになりました。

また、『並木橋なかむら』で働いていた最後の年には、ソムリエスクールにも通っていました。自然派ワインはいわゆる一般的なワインの法律に囚われないスタイルも多く、ソムリエスクールで教わることは自然派ワインの世界ではあまり役に立たないという意見も耳にします。ですが、私は純粋にワインそのものへの興味が高まっていたので、ワインの基礎をきっちりと学びたいと考えました。

(▲)『ラ・キャンタン』にて撮影した一枚


自然派ワイン同様、燗酒の世界にも魅了される

自然派ワイン同様、私を魅了した世界がもうひとつあります。それが、燗酒です。

私が燗酒に興味を抱くきっかけとなったのは、高校時代からの友人で、現在は福岡で『赤坂 藤田』という和食の店をやっている藤田の存在です。

福岡市内に『捏製作所』という名店があるのですが、その店主の菅原さんと藤田は親しくしていて、菅原さんから燗酒について色々と教わっていました。藤田は勉強のために東京にもよく足を運んでいて、ふたりで一緒に色んな店を巡っていたのですが、私も彼から燗酒を教わるなかで、燗酒の世界に惹かれていきました。

そして、燗酒について学ぶなかで、練馬にある『大塚屋』の存在を知りました。

大塚屋さんは、今でも酒井商会の日本酒の仕入れでお世話になっている酒屋さんです。昭和31年に創業した酒屋さんで、取り扱いの日本酒が燗酒や熟成に特化しており、造り手の方々との関係性をとても大切にされています。現在は移転され、地下にお酒の貯蔵と熟成に適した二種類の温度帯の貯蔵庫を設けていて、品質管理と熟成酒の販売に力を入れています。

大塚屋さんでは、お客様とのコミュニケーションを深めていきたいという思いから、お店の奥に小さなカウンターがあり、そこで試飲会や試食会が定期的に開かれています。酒井商会のスタッフも頻繁に通わせてもらっており、お酒についての知識やお燗の漬け方などを学ばせてもらっています。

このように自然派ワインと燗酒の世界に傾倒するなかで、これらのお酒にあう和食の腕を磨き、この掛け合わせの可能性を追求したい気持ちが強くなっていきました。

また、ゼットン時代から計画的に貯蓄してきた開業資金も、なんとか初期費用にできる金額になっていました。

資金も貯まり、『並木橋なかむら』で一旦は一通りの経験をさせてもらえた。このタイミングで、自分の店をもち、自分が可能性を感じる「和食 × 自然派ワイン、燗酒」というコンセプトでやってみたい。お店をやりながら、もっと成長したい。そうした機運が私のなかで高まっていました。


今の場所に店を構えることを決めた理由

私は店を出すなら、場所は渋谷近辺でと考えていました。

ひとつは愛着があること。ゼットンで新店舗の立ち上げを経験した場所は原宿、その前に料理長として働いていた場所は代官山。そして、『並木橋なかむら』は名前の通り、渋谷の並木橋にあります。また、妻も原宿で働いていて、渋谷区は長く働いた場所であり、プライベートで行動することが多い場所でした。

もうひとつは、ターミナル駅であること。地元の人たちが通う名店にも惹かれますが、自分がやる最初の店は人が集まる場所でやってみたいと考えていました。ただ、人が集まる場所でお店を出したいと考えているものの、誰でも気軽に入れるお店というわけではなく、知る人ぞ知る大人の隠れ家のような店にしたいと思っていました。

そのため、人がふらりと立ち寄れるような路面店ではなく、少し入り組んだところに店を構えたいと考えていました。私たちのことを知ってくれているお客様だけが、店を訪れることができる。そんな場所がいいと考えていました。

私たちのお店があえて看板を出さないのも、こうした想いが背景にあります。看板を出さなくても、私たちのことを知ってくれているお客様がわざわざ来てくれるようなお店にしたい。そうした気持ちの表れです。

独立する旨を社内で伝えた後、不動産を本格的に探しはじめ、渋谷の物件を扱う幾つかの不動産さんに相談をさせてもらっていました。出勤前に不動産屋さんに足繁く通い、自分の顔を覚えてもらい、時にはお菓子やお土産を差し入れさせてもらったりしながら、「条件に見合ういい物件があったら、いち早く紹介してほしい」と熱意を繰り返し伝えていました。

そうして幾つかの紹介を経て巡りあったのが、現在の酒井商会が入っている物件です。

正直、はじめは「こんなところで大丈夫かな」とも思いました。でも、よくよく考えると、これこそが自分の思い描いていた場所だと気づき、この場所でやることを即断しました。

ビルは古く、入口も狭く、いきなり急な階段です。初めて来た方は「こんな場所のお店で大丈夫か」と不安な気持ちにもなるでしょう。でも階段を登り、扉を開けると、しっかりとしたカウンターがあり、上質な空間が広がっている。それはお客様に感動していただける体験となるに違いない。

当時、その場所には美容室が入っていて、デザインも内装も何も決まっていませんでした。ですが、その物件に初めて訪れた時から、私の頭の中ではそうしたシーンが鮮明に浮かび上がっていました。

(▲)物件契約時の酒井商会
(▲)オープンに向けて内装工事中


祖父の会社の名前を受け継ぎたい

店の輪郭が出来上がっていくなかで、店の名前は「酒井商会」とすることに決めました。

実は、店の名前については、妻と以前からよく話し合っていて、色々な案を考えていました。居酒屋っぽく「ひでちゃん」や「酒井」といった案や、私が海が好きだったので海にちなんだ案もありました。

そのなかで「酒井商会」がいいんじゃないかと言ってくれたのは、妻でした。

実は、酒井商会とは私の亡くなった祖父が営んでいた会社の名前です。酒井商会の名前を引き継いで、いいお店に育てることができたら、天国の祖父はきっと喜んでくれるのではないか。そう妻が言ってくれて、その通りだと思いました。ふたりで一緒に祖父のお墓に行き、名前を引き継がせていただく旨を伝えにいきました。

店名について、私の中で今も記憶に強く残っているのが、フェアグランドの代表である中村悌二さんからの言葉です。

独立する旨を告げ、フェアグランドを退職する前に、中村さんと食事をさせてもらう機会をいただきました。店名とその名前の由来について伝えさせていただくと、一言「素晴らしい」と中村さんは力強くおっしゃってくれました。酒井商会という名前は、やはり間違っていないと確信できました。


オープン前にどうしても実現したかったこと

私はお世話になったフェアグランドを2018年1月末をもって退職し、その年の春のオープンを目指し、酒井商会の開店準備を進めました。

ただ、店をオープンさせる前に、どうしてもやりたかったことがありました。それは、自分の店で扱うお酒や食材の生産者さんたちに会いに全国を回ることです。どんな場所で、どんな人たちが作ったものを、自分は扱うのか。それを知るために、自分の足で現場を見て回りたいと思いました。

開店準備で忙しい時期でしたが、オープンしたら店から離れることはもっと難しくなります。生産者の方々に会いにいくには、この時期しかないと思いました。内装など開業に向けて動いていただいている方々とはLINEや電話でやりとりをさせていただき、レンタカーで全国を回らせてもらいました。

時には酒蔵に泊まらせていただき、時には作業の一部を手伝わせてもらいました。フェアグランドを退職し、オープンするまでの期間、ほとんどの時間を生産者さんのもとで過ごさせていただきました。

(▲)酒蔵にて、酒造りを手伝わせてもらった時の一枚
(▲)農家さんのところで、撮影させてもらった一枚
(▲)酒井商会で使用している器の作家さんとの一枚

今でも、この時期に多くの生産者さんのもとへ足を運んだのは正解だったと思っています。この方たちが精魂込めて作った食材やお酒を自分は取り扱わせいただくのだと、改めて、背筋が伸びる思いがしました。

そして、2018年4月19日。酒井商会は開店しました。

今回は酒井商会が誕生するまでの過程について書いてきました。こうして改めて振り返ってみると、様々な縁に恵まれて、酒井商会が生まれたことを実感します。どれかひとつでも欠けていれば、私の歩みは全く違ったものになっていたでしょう。

開業したばかりの酒井商会はどうなっていくのか。それはまた次回のnoteで書いていきたいと思います。

(▲)オープン当時の酒井商会の表札


<編集協力:井手桂司>

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