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霧島はるか
2024年3月6日 20:23
お母さんが死んだのは、私が十歳の頃だった。自殺だった。この町では、特別珍しいものではなかった。渡呉(わたらご)の土着の病みたいなもんだ、なんていう人も少なくなかった。颯のお父さんも、杏子ちゃんのお父さんも、蒔田の娘さんも、みんな、自殺だった。そこをふまえれば、『ササメサマの禍イ話(まがいばなし)』も、渡呉祭の生巫女流し(イキミコナガシ)も、渡呉の町が生んだ、らしすぎる文化といえるだろう。
2024年3月11日 20:26
私は中学二年生になっていた。度重なる演技で、私の心はぼろぼろだった。さらに、自ら抱いた疑念のせいで、何の罪もないヘレナさんの優しさをうまく受け入れることができず、私の心から、再び平穏が失われつつあった。私は周りから変わってしまったねと、思われるようになった。お母さんのことがあるから、みんな口にこそ出さないものの、彼らから向けられる視線は、明らかに変わってしまった私への戸惑いを感じさせるものだ