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空想紀行文 4月24日 無宗教都市キハナ


旅が好きなのですが、こんな状況では次の旅の計画すら立てられません。
そのため、空想の世界にて架空の都市へ出かけたいと思いました。
今後も旅欲が破裂しそうになるたび、この営みに頼るでしょう。

ー4月24日 キハナ

列車に揺られつつ、キハナへ向かう。久々の夜行列車は意外と快適だが少し寒かった。身体が窮屈さを感じる前に入眠しようと、アウターを2枚着込んで目を閉じた。この国の列車は予定時刻より早く着いても構わず5分で発車してしまうので、7時にアラームをかけておく。目が覚めてから、キハナについて少し調べた。
キハナは無宗教都市として名高い。宗教対立を発端とする三国戦争への反省が土着の転生観と結びつき、宗教的なものを一切廃した都市・制度設計が成立したようだ。その実態は無宗教というよりも反宗教に近いらしい。ゲートでは信仰を示すものが雑に回収されてしまい、取り返すためにはそれなりのお金を払わないといけないとのこと。お土産が没収されるんじゃないかと不安になった。ダリア大聖堂のプリントTシャツなど、べつにいらないけど愛着のあるものがバックパックに詰まっている。
結局列車は予定時刻通りにキハナに到着した。秋口の朝陽は、肌寒さのヴェールをゆらりと融かしてくれるようでなんとも心地が良い。キハナは中央を河が流れ、環状のオフィスビルに囲まれた都市だ。こんなつくりの街は見たことがない。中世の城壁を思わせる景色に心が躍った。周りをキョロキョロしながら駅のゲートをくぐる。噂の荷物チェックは思ったより雑で、数点をスキャンされてタグを付けられただけだった。滞在中に屋外でそれをカバンから出すと、条例の上では没収されることになっているが、年に10件もないらしい。宗教都市の宗教性が緩やかに失われていく現代では、反宗教都市のそれもまた弱まっているらしい。
まずは歩いて宿に向かってみる。道中に街の様子を観察したが、まさに観光都市の郊外といった感じで、ホームレスの寝床やpharmacyという名のコンビニなど、絶妙な殺伐感が旅情を掻き立てた。
歩いていて何かの違和感をずっと感じており、この時には気づかなかったのだが、いま日記を書きながら思い出したことがある。街中のどの店も、看板のフォントが同じだった!そういえば三国戦争はカリグラフィーの神性に関する論争が発端となったはずだ。どのようなフォントでも人間が文字を文字として理解できること、すなわち聖典の表記可能性が無限であること。現代ではゲシュタルトの理論で説明できる(はず)のそれが、印刷技術を独占したい俗権力の思惑と結びついたことで、あの奇妙な戦争が起きたのだ。それゆえこの街ではフォントを統一し、その論争の起きる余地をなくしている。それにしても、そんな強引な条例で文字の神秘性という概念そのものを排するのは、むしろ極めて宗教的な営みじゃないだろうか?そう考えると、宗教的なモチーフが街中で目に入らないようにするという発想も、偶像崇拝の禁止とやってることは同じだ。本人たちにその自覚はあるんだろうか?
宿は安いわりにシャワーもベッドもきれいで、キッチンも充実していた。滞在中に一度は料理をしたい。なんでも、特徴的な香りのスパイスセットが人気で、「キハナフレーバー」として国全体で愛されているらしい。
歩いたのでお腹が空いてきた。昼食は名物のハイハナポッタを食べたいと思い、宿の人におすすめを聞いてそちらへ向かう。人気店だけあって11時でも混んでいたが、ひとりだったのでカウンターにすぐ入れた。すでに美味しそうな匂いが漂ってくる。ハイハナポッタは川魚と象肉を合わせるというとてもめずらしい料理で、とにかく分厚い鍋に金色の滋味深いスープが並々と注がれている。良いタンパク源からしか感じられない芳しい、甘くて、少しナッツや花を思わせるような香りが強く食欲をそそる。思わず奮発してビールも頼んでしまった。また、揚げパンを浸して食べるととても美味しいらしく、それもセットで注文する。20分ほど待ってようやく料理が届いた。思ったより肉がゴロゴロ入っていてうれしい。事前に大鍋で下茹でされた肉はプリプリで、レンゲですくうと川魚の繊維質な肉が絡まってくる。たしかにこれは絶妙なハーモニーで、ガツガツと食べてしまった。エシャロットのような見た目の香味野菜が美味しく、これを使った料理を自分で作ってみたいなと思った。
満腹になったので、宿に戻ってスマホの充電を確認する。今日は初日だが綺麗に晴れているので、中心街を散歩する。キハナの中心街には装飾を排したキューブ状の住宅が立ち並んでいる。街を東西に走る河のおかげで中心街は夕陽が綺麗に射すらしく、大橋からそれを眺めるとたいそう綺麗らしい。夕陽の美的体験はともすれば宗教的恍惚と結びついちゃうんじゃないか、などと野暮なことも考えてしまった。
中心街には思ったより早くたどり着いた。というか、思った以上にキューブのエリアが広い。白くてちょっとつるっとした外壁の家や店が立ち並んでいるのはそれだけで圧巻。視界のほとんどが無機質な中で街路樹だけ生命力を主張しているのがなんだかグロテスクにも見える。歩いていると、公共施設だけは外壁がうっすらとピンクなのがわかった。図書館を見つけ、せっかくなので入ってみる。さすがに図書館ではいろんな書体の本があった。ただし、どうやら貸し出しの際には無地のブックカバーを必ず付けているようだ。宗教史の棚はどうなっているのかと歩いてみたが、そもそも文字があんまり読めないのでどこがそれなのかわからなかった。
街に戻った。すごく甘くて美味しそうな匂いがしてきて、虫のようにそれに誘われ歩いていくと、大量のドーナツが積み上げられている屋台にたどり着いた。信じられないくらい安い。スパイスと紅茶と多めの砂糖が生地に混ぜられているらしく、クセになる。お茶も買い、ベンチでゆっくりと食べた。
食べながら、少しこの旅を振り返って幸せな気持ちになった。ぼくというちっぽけな存在は、周囲の状況によって容易く折れてしまうし、日常はつねに期待と不安のカクテルだ。苦手な味でも雰囲気が良いから好きと言わざるを得ないような。そんな中で、旅で出会ったすべてのものは、ただただ美しくこの世界に在ってくれる。強い気持ちで抱きしめたいと思う。この世界を丸ごと。戯れに自分の体を抱きしめて、その行為のしょうもなさにフフフと笑う。側から見たらなかなか気色悪いやつだったろうな。
日の入りまではまだ少し時間がある。タブレットで本を読みながら暇つぶしした。今日はわりと文字がすいすい頭に入ってくる日だった。この街は全体として視覚的な情報量が少ないというかシンプルなので、本を読むには良い場所かもしれない。食事も美味しいので滞在を延ばしてもよいかも。
そうこうしているといよいよ日の入りが近づいてきた。空もぼんやりとオレンジに近づいている。河風の心地よさを感じながら、大橋へと向かう。周りの観光客もみなそちらへ向かっていた。幸いにも良いポジション取りができたため、カメラを構えながらゆっくりと街の色が変わるのを楽しむ。白い壁たちは見事に夕焼け色に染まっていく。それが四角く並んでいるので、何か電子回路をロマンチックにしたかのような感覚を受けた。ここに壮麗な建築が並んでいたら、それはそれは神への感謝を喚起するだろうが、そうしないところにこの街の唯一無二性がある。日が沈み暗くなるにつれて家々も光を灯し始めた。そうなると本当に格子状の点が見えてくる。明日からの散歩も楽しみだ。雨の夜も綺麗だろうなと思った。
さて、冷えてきたので宿方向に歩きつつ晩ご飯を考える。もう一度ポッタを食べてもよかったが、道中であまりにも美味しそうな食堂を見つけたので、そちらに入った。キハナフレーバーのスープヌードルと、フリットとワインを頼んだ。今日はもう読みたいだけの本は読めたので、あとはのんびりするだけだ。キハナフレーバーはたしかになんとも言えない魅力的な香りがする。なにか懐かしくなるような、コクのある香り。ココナッツミルクによく合う。麺は細くて、おそらく小麦じゃないんだけど何かわからなかった。美味しい。
宿に戻ったあとは、良い気分のままに地ビールを飲みながら、この日記を書いた。
旅について考えていた時間を思い出しながら、少し泣きそうになった。神のいないこの街にもため息の出るような美しさがあり、それはきっと明日も明後日も訪れる。それこそがこの世界で理性を持ってしまったあらゆる存在にとっての救いだと思った。
この気持ちでこれからの旅も続けたい。寝る。

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