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アヤの日常。

「そんなの、直接アヤに聞いてよ。ママもわかんないよ。」

毎度のごとく、わたしはパパからの質問を適当にあしらう。

「いや、絶対わかるよ。この前、アヤがママに話してたじゃん。SUNLIGHTの誰かがかっこいいって。思い出してよ。このSUNLIGHTってグループ、9人もいるんだよ。しかもみんな同じような顔してんの。パパじゃ、どの人か分からんのよ。」
「えー。ミンホだか、ヤンホだった気がする。」
「ええ〜。ミンホもヤンホもいないよ、ユンホかガンホかどっちかだよ。どっち?」
「もう〜、わかんないって。だからアヤに聞いてって言ってるのに。」


***

16歳になった娘のアヤは、K-POPアイドルにハマる、ごく普通の女子高生だ。
そしてアヤの父親兼わたしの夫であるアキトシは、朝の満員電車がしっくりくる顔と体型をした46歳の中年サラリーマンである。

最後にわたし、アヤの母親兼アキトシの妻:サチは、家計の穴を補填するためパートタイムジョブに勤しむ、ごくごく普通の主婦である。年齢はここでは控えさせていただきたい。

***

最近のアキトシは、少しずつ親離れしていくアヤを恋しがりながらも、思春期ゆえの反抗期を恐れその微妙な距離を詰めきれないようだ。そこで、冒頭のように私を仲介して「最近のアヤ」の情報収集を図る、なんともめんどくさい私的工作員と化している。

「ふーん。ユンホかガンホかぁ。アヤはこういう顔が好きなのかなぁ。どっちかって言うと王子様系がタイプなんかなぁ。」
ぶつぶつとソファに寝転びながらスマホ画面をズームして凝視するアキトシ。そんなことを知って、お前はどうするというのか。

アヤの日常の裏では、この私的工作員が秘密裏に暗躍しているのである。


***

アヤが中学2年生になった頃、アキトシは自分の洗濯物は別で洗濯して欲しい、と言い出した。

アヤが、ではない。アキトシが、である。

「ママがめんどくさいなら、俺、自分で洗濯しても良いしさ。」
「いや、どうせ2回は洗濯機回すし、1回目をアヤと私の分、2回目にパパのやつ洗えばいいから別にいいんだけど。なんで?」
「いつかさ、アヤに『パパ臭いから洗濯物一緒にしないで』なんて言われたら、俺立ち直れないから。先にこっちから先手を打っておけば、傷付かずに済むでしょ。」
もしアヤがそんなこと言い出したとしたら、『パパになんてこと言うの!!』って、わたしがはっ倒してあげるのに。なんでそんなにネガティブ思考なんだ、アキトシ。
わたしの愛、ちゃんと伝わってないのかしら。そういうことじゃないのかしら。

そんなアヤはというと、16歳になった今も『パパ臭いから洗濯物一緒にしないで』などというセリフは吐いたことはない。
なんなら、わたしが時折アヤに洗濯を頼むと、パパの分もまとめてやってしまっている。
「あ、全部まとめて洗濯機入れた?」
「え、うん。だってその方が楽じゃない。なんで?」

よかったね、アキトシ。まだ、というか、たぶんずっと大丈夫そうだよ。


***

夕食後、リビングで家族3人が各々の時間を過ごしていた時。
アキトシが操作していたスマホから、ノリノリの音楽が爆音で流れてきた。アキトシは大慌てでボリュームを下げる。

「…今の、tiktokで流行ってるやつでしょ?パパ、tiktokなんてダウンロードしてたの?」
アヤが少し驚いた顔で言う。

耳を真っ赤にしたアキトシは、
「いやぁ。うん、会社の新入社員がね、面白いですよって教えてくれたんだ。でもなぁ、使い方がパパには難しそうなんだなぁ。」
「へ〜。あ、だったらあれも今人気だよ。」
そう言って、アヤはアキトシの携帯を取り上げて操作しながら、アキトシが座るソファに自分も腰掛けた。

「へぇー。こういうのが流行ってるのかぁ。ふーん。」
「そうそう。で、あと最近出てきたこの人も学校で流行ってて、みんな真似してんの。」

わたしはというと、なんとも嬉しそうなアキトシの表情を横目でチラ見しながら、つい先日、tiktokをアキトシに教えてあげた自分を心の中で称賛するのであった。

感謝せよ、アキトシよ。

***

「なんでそんなにアヤの日常に興味があるの?思春期なんてどうしたって来るもんだし、理解しようと無理する必要なんてないと思うよ?」
ある日の夕食後、私はこう尋ねた。

「え、全然無理なんてしてないよ。」
アキトシはキョトンとした顔で返事をする。
「なんかさ。アヤが小さい頃は、俺たち二人やじいちゃん・ばあちゃん、俺たちが買い与えたものとか作った環境だけが、アヤの世界だったわけじゃん。
それが今や、俺たちの知らない世界も知っていて、自分で世界を広げていっていて、なんかすごく嬉しいんだ。だから、そのアヤの広げた世界が気になるし、少し見てみたくなるのよ。こんなの気持ち悪い父ちゃんなのは、わかってるんだけどさ。本当はほっといてあげた方がいいのかもしれないのもわかってるんだけどさ。気になるじゃん。あとは…少し寂しいのかもなぁ。」
アキトシは恥ずかしそうにそう言って、レモン酎ハイをグイッと口に含んだ。
「ふーん。」
特に何か言うでもなく、アキトシのレモン酎ハイを勝手に拝借し、私も一口いただく。

そっかぁ。そっかそっか。アキトシも、ちゃんと父親なんだよなぁ。

アヤ。
あなたの日常の裏では、『パパ』と『ママ』という私的工作員が秘密裏に暗躍してんのよ。気づいてないだろうけど。
それでさ、そんなあなたの日常に『パパ』と『ママ』の日常はオモシロおかしく振り回されてんの。それがさ、どうしようもなく楽しいよ。

「パパー。お風呂空いたよー。」
風呂場から、アヤの声がした。