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青天の霹靂~適応障害再発、退職~

それは今年の3月のことでした。
学童では春休みを迎え、朝から夕方まで子どもたちを預かっていました。
毎日、少し離れた公園へ遊びに連れていき、一緒に遊びました。
楽しいは楽しいのですが、私は体力がないので負担です。休みも少ないし。

4月。新しい1年生が入ってきました。まだ全然幼児と変わらない彼らを小学1年生にして、学童の生活になじませないといけません。
例年なら私と旦那上司で1年生をみるのですが、今年は違いました。
奥さん社長のいる事業所から移ってきたベテランバイトの大学生が私の補佐で、私メインでみることになっていました。

ところが、その大学生が私の補佐を越えて子どもたちに指示をするのです。
「すみません、私も気になったので子どもたちに話をさせて下さい」と。
初めは助かるなぁという気持ちでしたが、どうも違う。
だってこの学童は学校の教室のようで、話をするときは教壇に立つ教師のごとく、皆の前に立って話すわけですから。
私が話したあとに彼女も指導する。
子どもたち、とりわけまだ1年生にもなってない彼らへ二重で指導するとどうなるか。最初の話が頭から抜けていくのですよ。
つまり私の指導が通りにくくなるのです。

でもそんな彼女を旦那上司は評価し、私に指示するよりも彼女へするようになりました。なので、私が逆に彼女へ質問することが多くなったのです。
立場が逆転してる…。

そんな風に大学生のことで悩み、一方で毎日のように公園遊びがあって疲れが溜まり、春休みが終わる頃、遂に風邪でダウンしてしまいました。
いつもならただの、春休みの疲れです。
ですがその時は長引いてしまい、約1週間も休んでしまいました。

旦那上司には、新1年生が初めて学校から学童へ帰る日なのでなんとか治して出勤するように言われ、完治する前に少しふらつきながら出勤。
結局はそれが最後の出勤となってしまいました。
何があったかというと――。

昼、給食なしの午前授業のみの新1年生を迎えに行きました。
いつもなら子どもたちにお弁当をちゃんと持っているか、学校に忘れていないか確認して帰るのですが、その日は迎えにいくのがやっとで確認を忘れてしまいました。
学童に着いてから気づき、旦那上司に注意されました。
その後、別の学校の新1年生を迎えに行き、今度は途中で他のグループについていって、いなくなった子どもがいることに気づき、また旦那上司に注意を受け…。
後からその子どもは元々自宅へ帰る日だったそうで、無事に祖母と合流したと連絡がありました。でも私の確認ミスなのは変わらないそうです。

連続で注意を受けて昼食が喉を通りませんでした。
そんなところに今度は奥さん社長のいる事業所で働いている正職員Aが来ました。Aさんは私の一歳上で保育士経験がありますが、この学童には私よりも2年あとに入っています。ここでの歴は私が上です。
しかしAさんは社長直々の指導で鍛えられ、自信があるようで、その時は私に対して指導、叱責をしてきました。
「あなたが休んでた間に私がヘルプで入ってたんですが、色々言いたくて」
「年度初めに休むっていうのがありえない。責任感がない」
「そもそも休みの連絡が遅い。出勤時刻の直前なんて信じられない」
「あなたは正社員なのよ。一人でこの学童を動かせる?もし災害が起きたとして、上司がいないときはどうするの?」
「日常品の買い出しもそう。どうして上司に任せてるの?こちらでは私が立て替えて買い物してるよ?」
「学童内の整理整頓ができてない。他のスタッフに何がどこにあるっていうが伝わってない。あなただけの場所じゃないのよ」

私はそれぞれに反論がありました。
ちゃんと旦那上司と話しながらやってきた、5年間そうしてきたのですからね。
整理整頓については、私が1週間休んでいる間に綺麗にされて、ごろっと変わっていました。
私が空き箱を再利用して作った雑巾入れなんかも勝手に捨てられ、100均にあるようなプラスチックボックスに替えられていました。ショックですよね。
話をされているうちに涙が出てきました。
極めつけは…
「しばらくしたらもう一人、社員を雇うみたいですよ。社長の方で鍛えてから、どっちにも入れるようにするみたいだから、今後頑張れば余裕ができると思う。一緒に頑張ろうね」と。
社員が入る?社長に鍛えられてからってことは、私だけデキない社員になる?最長歴なのに?まさか私を解雇する準備か…?

涙が止まりませんでした。子どもたちがいるのに泣いてしまい、心はズタボロ。
そこにとどめを刺すかのように、奥さん社長がやってきて呼び出されたのです。

社長「ねぇ、あなた何考えてるの?1週間こっちの様子みてたんだけど、私の指示を全然聞いてないじゃない」
私「指示を受けた後に旦那上司に報告して相談したら、こっちのやり方もあるからって言われて、間を取った動きにしてました…」
社長「彼は男だから、あまり指示をするとパワハラになるので言わないのよ。だから同じ女の私が指示してるの!
それに一番びっくりしましたよ、どうしておにぎり(おやつ)を素手で作らせてるの!?今はコロナで感染予防対策を必死にやってるっていうのに!」
私「それは、前に旦那上司がコロナで手袋が品薄だって言ってたので、あまり使わないほうがいいのかなと…。ラップを使ってるので直接触れてるわけではないですし…」
社長「彼の機嫌取りですか?それでもし感染者が出たら、あなたは責任とれるんですか、とれないでしょ!
この学童をナメてるの?私の言ってることが分からない?ちゃんと理解できてる?
私の指示を聞かないなら、今後も変わらないなら解雇も考えないといけないですね!」

病み上がりのフラフラ状態で3人から怒られて…。
社内で唯一最長5年勤続してるのに新人みたいに怒られたとプライドも傷つき、私のやることを全否定され、解雇をほのめかされ、これ以上ここでできることはないなと思いました。
その場で涙が止まらず、過呼吸気味になり、パニック状態。
それでも社長は「あなたを泣かせようとしてるんじゃない」と突き放したのです。
社長の指示でAさんが私のフォローをしにきましたが、それも受けつけられませんでした。

その日はそれで早退させてもらいましたが、その後もラインでAさんからフォローを受けましたが、どれもとんちんかん。
「適応障害なら、就職するときに話しておいた?どうして秘密にしてたの?」
「またこういう発作が起きたときに対応できるように、上司にも言っておかなきゃね」

社長とその手下感が凄かった。
一緒にずっと働いてた旦那上司さえも私に指示しないことが分かった。
となれば、この職場に私の居場所はない。
新1年生はベテラン学生がみればいい。
そう思って私は退職を決意しました。
ただ、1年生の頃からみてきた2年生以上の子たちとの別れだけが心残りです。

退職手続きをしに、社長を訪れましたが、もう他人行儀で冷淡な態度をとられました。
学童を経営する理念は凄く尊敬しますが、人としては尊敬できないなと思いました。

以上が私の適応障害発症歴です。
現在は仕事探し真っ最中です。学童で条件の揃う求人がなくて困ります(;'∀')
でも元の学童に戻りたいとは思いません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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