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二度目の適応障害を発症して~低迷編~

満を持して就職した幼稚園でしたが、二度目の適応障害を発症し、1週間たらずで退職してしまいました。

教育学部出身なのに、教育現場で働けないとなると、どうすればいいのだろうかと悩みました。
もちろん教育学部出身でも一般企業などに就職する人も当然いるんですよね。それを考えれば、悩む必要はないのですが、当時の私は余裕がありませんでした。固定概念ってやつです。

興味がある仕事もありませんでした。
しいて言えば、二か所目に働いた医学部研究室きっかけの医療系。
とんだ転職でした。結論からいうと、二か所を短期間で渡り歩きます(;'∀')

まずは眼科クリニックの助手です。
無資格でもやれるとのことでした。
しかし、人間関係が劣悪なのと、面接時に言われていなかった日帰り手術準備と立ち合いのハードさにより、試用期間の3か月で退職しました。


人間関係なんて凄いですよ。
おば様チームと若手チームに分かれていがみ合い、おば様たちが若手一人をいじめてるだとか。そのいじめられてる若手が私に対して腹いせのごとく、理不尽な指導してくるだとか。
極めつけが院長に愛人がいて、赤ちゃんまでいて、普通にクリニックの経営に関与してることですね。奥さんご健在なのに。
このクリニックはまともじゃない。私の適応障害も発症して辞めました。

次の転職先は歯科医院、受付兼助手でした。
これも無資格でできるし、スタッフが院長含めて3人しかいないアットホームな職場だと求人票にあったので就職しました。
確かにアットホームでした。4,50代の衛生士のおば様とその幼馴染である院長というスタッフだったので。


でもしばらくすると「おばちゃん」というのに嫌気がさしてきました。
器具の名前を「あれ、それ、これ」としか言わないので覚えられず、診察のときに院長の補佐で動けず、叱られるのです。
それを「あなたはゆっくり覚えるタイプだからね、大丈夫よ」と的外れに励ましてくる。ちゃんと名前で教えてくれたらすぐ覚えるんですよ!
それにおば様たち2人の間でやり方が違い、それぞれに指導されて板挟みになりました。片方のやり方でやってたら、もう片方の人に怒られる。
理由を説明しようとすると「それは言い訳。素直に聞きなさい」と聞き入れてもらえないのです。誰も理解してくれないことがショックでした。
あとは労働条件とうか何というか、ボーナスがまさかの皆で食べる宅配ピザでした。意味が分かりません。下っ端の私は一切れしか食べられなかった。それがボーナス、賞与でした。ありえません。
そんな職場でまたも適応障害発症。院長には「この仕事向いてないみたいだから、試用期間後に退職したら?」と言われました。その言葉通りに退職しました。

4月から立て続けに3か所を転々としてしまいました。
歯科医院を辞めたのが秋ごろ。季節的にも寂しくなり、本当に私は一体どこなら働けるのだろうかと途方に暮れました。


今回はここまで!
最後までお読みいただき、ありがとうございました(⌒∇⌒)

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