【人生のすべて】サッカーとの出会い

サッカーをすきになったのは、小学生の頃。関西に生まれて、当時は阪神タイガースの絶頂期だったこともあり、小学校ではみんな野球をやっていた。
運動センスのなかった俺は、野球をしても打てない、取れない。どんくさい感じだったので、基本的にスポーツ全般がキライだった。今でいう、陰キャな感じだった。
それではいけない。と父親がいろんなスポーツ観戦に連れて行ってくれた。
テニス、アメフト、サッカーなどいろんなスポーツの試合を観に行った。
その時に、サッカーボールは大きいし、蹴れそうだな。って単純に思った。
丁度、そのころに1986年のメキシコワールドカップが行われていて、テレビでたまたまマラドーナ選手を見た時にサッカーが大好きになった。

中学受験があるので、それまではサッカーはダメ!と、母親に言われていました。そこは自分でも「中学校に行ったらサッカー部に入るんだ!」という中学受験へのモチベーションとして、塾通いを頑張っていた。小学校6年生になるタイミングで、父の仕事の関係で千葉へ引っ越してきた。
千葉では、サッカーが盛んで、休み時間には野球ではなく、サッカーをやるのが当たり前だった。そんなところから、サッカーをやり始めた。別に誰に習うわけでもなく、自然とサッカーを楽しむようになった。

中学校は東京の私立中学に無事、入学した。志望校ではなかったが、2期生として入学できる新設校だったので、学校生活は楽しかった。ただ、勉強の方は全然、ダメでした。笑
自分で言うのも何ですが、中学受験での燃え尽き症候群?みたいな感じで、88人中、常に86~88位という学年最下位争いを繰り広げていました。

高校サッカー部入部とJリーグの開幕

中高一貫校でしたから、高校受験もなし、サッカー部で練習をしながら、勉強のできない中学3年間を過ごしていました。母親も「中学に行ったら、サッカー部に入っていい!」と言ってしまった手前、成績が悪くても、部活を楽しそうにやっている俺に何も言わなかった。
そして、高校へ上がるタイミングで、高校のサッカー部へ入部したい!と申し出た。それは親父もお袋も「はっ??」という感じで反対された。
高校は昭和53年に全国大会3位になったことのある古豪と言われたサッカー部でした。当時、昭和バリバリのめちゃめちゃ厳しい練習で、絶対に勉強が疎かになる!と言われ、母親からは大反対をされた。父親は「とりあえず高校2年の1学期まではやってみたらええやん!」と、母親を説得してくれた。

高校のサッカー部に入ったものの、練習にはついていくのがやっと。中学校からサッカーを始めた自分が他の同級生たちと対等にできるわけもなく、選手としての限界は分かっていた。でも、サッカーが大好きだった。中学校の頃から、電車で通勤していた関係もあり、途中の駅にあるスポーツショップに行って、買わないくせにスパイクをめっちゃ観に行っていた。サッカーマガジンは毎週買って読んでました。
ちょうどそのころ、日本にもプロサッカーリーグが誕生する!ということが話題になり、プロのサッカーチームで働いてみたい!という夢みたいなものを描き始めた。
もちろんプロチームで働くと言っても、どんな仕事があるかもさっぱり分からないので、いろんなサッカー雑誌を読んで色々調べていたら、用具係のホペイロという仕事があることを知った。これだ!!!と思いました!!!
高校で入部した時から、先輩のスパイクを磨いたりするのが好きだった。時間があれば、細心のスパイクを見にスポーツショップに行っていたぐらいですから、まさに天職!!って想いました。

高校2年生になるころから、Jリーグの開幕に向けて、KAZUさんも帰国したこともあり、日本代表の試合などが国立競技場で盛んにおこなわれるようになって、そこに高校生が飛び降り防止役員とボールボーイとして、駆り出されることが増えた。1回の試合で500人とか600人の高校生が集まります。
一応手当1000円も出るので、名簿を毎回記入して、回収して、東京都協会の人に提出して、、、みたいなことを最初は先生たちがやっていました。
私の高校の先生はそういうのが面倒なので、先生が当番の時は、全部私に任せていました。他の高校の名簿も全部集めて、人数を確認して、集計表に記入して、協会の人へ提出する。いわゆる雑用です。
でも、プロチームで働きたいと思った自分には、そんな雑用も全然雑用ではなく、すべてが勉強になることばかりでした。

そのうち、東京都サッカー協会の職員の人たちにも名前を覚えてもらい、土日の試合などでは、協会の人たちと同じ時間に国立競技場に行かせてもらって、控室の準備とか会議室の設営など、いろんなことを手伝わせてもらいました。
今思えば、サッカー協会の人たちにしてみれば、いい小間使いだったのかもしれません。でも、高校生の自分にとっては、あこがれの日本代表選手やJリーグの選手たちが使う控え室に入ったり、記者会見用の会議室の準備をしたり、来賓が使うVIPルームにも入ったことがあります。もう、そりゃ、すべてが勉強になることばかりでした。

そんな経験をしながら、Jリーグの開幕戦 1998年5月15日も国立競技場のスタンドの下で迎えた時のあの感動は今でも覚えています。あの興奮をピッチと同じ高さで感じられたことは人生の中でもとても貴重な経験でした。
そして、絶対に俺もここで選手たちをサポートする仕事に就きたい!と、心に強く願ったんです。

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