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「自分自身を疑ってみる」

こんにちは。

40も後半になってくると柔軟さに欠ける自分を目の当たりにすることは多く、なりすましの若返りにも限界があることを感じずにはいられません。
特に、多くの世代が行き交う職場の中では、世代間ギャップは感じずにはいられず、自分の衰えを直視することで落ち込むこともしばしば...。
故に、若手との意見交換においては、逆に耳を傾けることに意識を向けることで「ふむふむ、なるほど」と学ぶような姿勢で話を聞く場面が増えてきています。
当然ながら自分のエゴはありますし、これまでの経験を通したそれなりの成功体験や、自負というものもあるので、どうしても降りられない場面があるのも理解できなくはありません。
しかし、客観的にこの動画を見る中では、「先生もやっちゃってるな」と思うわけです。

「いつやるの?いまでしょ!」で有名になった林先生の動画をピックアップしました。
傷つけられたくない若者と称して、現実逃避をしている若者像を固定化し、批判を繰り返しているわけですが、「本当にそうなのかな?」という疑問が自然に湧いてきます。
そもそも議論の方法や手段が、我々と若者の間で変わってきていることは事実で、そのことについては知っておくべきものなのではないかと思うところです。
SNSでは若者は議論をぶちかましていますし(逆に、これはこれで問題なところもあるくらい)、表現方法に違いはあるものの意見を出せなくなっているとは感じられませんよね。
とこういうことを言うと、「ネットの世界では顔を出して正々堂々と意見を述べられていないじゃないか」という意見も出てきそうですが、覆面で顔を見せずに意見をすることが意味を成さないのであれば、アンケートというものはどんな意味を成しているのか不思議で仕方ありません。
議論の手法や、表現方法に違いが出てきている。
これが現在の多様性の話であって、一概に議論を対面で交わす中で、傷つきながら人は成長しているということにはならないんじゃないかと考えて見ていました。

特に我々のようなベテランが注意しておかなければならないのは、そのような価値観に変化がある世代と対等に意見し、言い合える場を設けたいと考えるならば、我々はそのリングを設けることに役割があるのではないかと思って見ています。
ほぼ殺し合いにも見える異種格闘技の戦いの中にも、ルールや制限というものがあって行われていることから考えると、喧嘩ではなくスポーツという枠を超えずに競い合えるようにするには、安全で安心なリングの準備というものが不可欠です。
動画の内容だけでは文脈も分からないので、これだけで批判できるものではないのですが、世代特有の価値観を持ち込み、一方的に若者批判をするのはいかがなものかと、少し残念な気持ちになる内容でした。




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