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「光る君へ」第11話の感想。まひろと道長の会話に「コントかよ」と思わず突っ込む。

*タイトル通りの楽しみ方をしています。違う見方をしている人は注意。

 第11話の道長とまひろの結婚するしないの会話を聞いて、思わず「コントかよ」と突っ込んでしまった。
 第11話の道長とまひろの逢瀬時の会話に、まひろがどういう人間かが集約されている。

 例えば同じ第11話で父親の窮状を訴えて官職に戻してもらおうと、まひろが兼家に直談判するシーンがある。父親を官職に戻してもらうためには兼家がどういう人間かを理解した上で、兼家の心を動かさなければならない

「八百万の死にざま」という小説の中に、兼家のようなタイプを端的に表す言葉が出てくる。

(あんたは)何が買いたいんだ? 何が買いたくて、何が払えるんだ?

(引用元:「八百万の死にざま」ローレンス・ブロック/田口俊樹訳 早川書房 P38/太字は引用者)

「お前は奴が嫌いなのか」
好きでも嫌いでもないさ。おれのダチはみんな商売のダチさ。マシュウ。チャンスと俺は何の商売もしていない。おれたちはたがいに売っているものを買い合う仲じゃない。やつはヤクを買いたがらないし、おれはスケなんか買ったりしない」

(引用元:「八百万の死にざま」ローレンス・ブロック/田口俊樹訳 早川書房 P38/太字は引用者)

 まひろよりもこの男のほうが(言語の違いはあるが)よっぽど兼家と話が通じると思う。

 この台詞を言うのはニューヨークのハーレムに住む麻薬密売人だが、この男の物の見方は兼家とほぼ同じだ。
 情は意味がなく、ただ「その交渉において、こちらにどんな利益があるのか」という条件だけを出せ。その条件によって判断する。
 こういう人間と交渉する時は、心が動くような条件(何が払えるか)を出さなければいけない。

 自分がまひろの言動に疑問を持ったのは、そういうことを理解できずに交渉を成立すらさせられなかったからではない。「兼家には自分の理屈は通じないかもしれない」ということをまったく考えず、ノープランで兼家に会いにいったからだ。
 
まひろはまだ子供で世間知らずではある。だが、直前に父親の為時が「右大臣さまは自分を許さないだろう」と言ったように、父親の話から兼家の人物像はある程度推測することができる。倫子も非現実的な妄想(としか言いようがない)を言うまひろに怒っているため、兼家がいる世界がどういうものかはわかるはずだ。

 まひろは、基本的に相手のことを考えない……というと「自分勝手」という含意があるが、そうではなく相手のことを(そして現実も)知ろうとしない。
「自分にとってはこれが正しいから、これをそのまま言えば通るはずだ」と考えている節がある(※)

「光る君へ」は、まひろ視点のストーリーなので、このシーンでは兼家が権力を笠にきたひどい人間のように見える。
 だがまひろはこのシーン以前にも、この性格からくる言動でしょっちゅう相手を苛立たせ怒らせている。自分より上の立場の人間だけではなく、直秀にも「庶民の気持ちがわかっていない」と指摘されている。
「他人」という概念がなく(本人はあると思っているのだろうが、他人は自分とは認識が違うという前提を考えず、無視する時点で存在していない)ナチュラルに「他人であること」を無視する人間は人を凄く苛立たせる。
 頼み事をするために押しかけてきて、こちらの心をどう動かすかを試みるどころか前提をすり合わせようとすらせずに、一方的に自分の認識をゴリ押ししようとする。
 そんなまひろに直接会って自分の見解を述べて「そもそも自分とあなたでは前提となる認識が違う」と説明するだけ、(このシーンに限れば)兼家は他の人間よりもまひろに対して親切である。

 まひろはよく言えば自分があり誇り高い、悪く言えば現状認識が出来ない上に我が強い。
 
そんなまひろの真骨頂が、道長との逢瀬の場面である。
 まひろがそういう人間であることを理解していれば、「愛人になってくれ」という話はまひろのプライドを慮りつつ、そこを刺激しないように慎重に持っていかなければならない。
「北の方は無理だ」なんてそんな本当のことを言うのは、絶対にやっちゃあかんだろう。(ノ∀`)アチャー ←本当にこんな顔になった。

 まひろは自分が好きな相手である道長に対してさえ自分の認識を譲らず、相手に理解を示そうとしない(ある意味徹底している)
 ただ道長も道長で好き好き言う割にはまひろがどういう人間かまったくわかろうとしていない。
 
わかろうとしていたら「これで万事解決」と言わんばかりに「愛人になってくれ」と言わないだろう。
 この辺り、まひろを持ち上げつつ「世の中は、男はこういうもので、それは悪いことばかりではない」という一般論と自分の話の使い分ける宣孝の話の持っていきかたの上手さと対照的である。

 道長が「ではどうせよというのだ」とキレた時には、いやキレるなよと思わず笑ってしまった。
 こういうのを見ると、道長は何だかんだ言って自分のような身分の人間に選ばれればまひろも喜ぶはずだ、という意識があるのではと思ってしまう。
 まひろの自意識の強さを舐めすぎである。

 まひろはナチュラルに「周り(世界)が自分に合わせるべきだ」という姿勢で生きている。自分から見るとかなり異様な人物だ。
 こういうタイプのキャラは苦手だが、まひろは今のところ、余り嫌いになれない。
 何故だろうと不思議なので、とりあえずそれがわかるまでは見続けようと思う。
 変に成長したりせず、このままラストまで突っ走って欲しい。
 道長とのやり取りを見ても、そのほうが絶対に面白いと思う。

※ついでで悪いが、第11話を見ると道兼も父・兼家がどういう考え方をする、どういう人間か把握している様子がない。「お前、息子を何年やっているんだよ」とツッコミたくなった。

※続き。第12回の感想。


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