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「光る君へ」第12回の感想。道長の人物像がよくわからない。

※タイトル通り、若干辛口の感想です。前回の感想は↓こちら。

 自分が道長とまひろの恋愛にまったくピンとこない(穏当な表現)のは、道長の人物像がよくわからないせいではないか。
 今回見てそう思った。

「光る君へ」の道長は、ド直球に言うと「『まひろとの恋愛』という都合によって動くだけのキャラ」に見える。
「道長というキャラがまひろを好き」なのではなく、「まひろと恋愛をするという前提ありきの言動の集合に実体を与えたものを、道長と名付けている」ように見える

 道長は、まひろのこと以外の父親の兼家や兄の道隆を、朋輩たちを、宮廷政治を、藤原家を、自分の将来や国の行く末をどう思っているか、という内面がまるで見えてこない。
 自分の父親が野心から天皇を、策略によって退位させたことを始め、藤原家のやり方をどう思っているのか。
 仕方ないと思っているのか、内心は反発しているが大義のために従っているのか、どうでもいいのか。
 それもよくわからない。
 朝廷のことも国のことも民のことも藤原家のことも特に関心がなく、個人的な考えや構想や野心もない。
 ただただ「まひろがみんなが住みよい国を作って欲しい言うから、その望みをかなえる」という、今のところ「まひろ」という要素しか持っていない。

 大きな物事についてはさておいても、日常の目の前のこともまひろとの恋が上手くいかないために倫子への求婚は投げやりになっている。
 自分がうまくいっていなくて落ち込んでいるから、何の関係もない相手は雑に扱ってもいいという態度はどうかと思うし、政治的にもまずいだろう。幼いころの道長の様子と考え合わせても「そんなキャラだったっけか?」と疑問が浮かぶ。
 道長がまひろを凄く好きなら凄く好きでいい(それは恋愛モノのお約束のようなものなので)
 だがそういう結論ありきで他の言動もすべてそこに合わせているように見えることが気になる。
「まひろの運命の相手」という要素しかなく、それ以外は紙人形のようだ。まひろの依り代のようにしか見えない。

 この二人は「もう会わない」という言葉を何回か口にするが、口にした次の回には何事もなかったかのように呼び出したり出されたりする。
 恋愛モノにおいてすれ違いはあったほうが盛り上がるのでそれはいい。
 ただ普通は「会わない」という言葉を口にしたら、二人はそのつもりだったが何かの強制や偶然が働いて、とならないか。「会わない」と言ったのにどう考えてもいるだろと思うところに行ったり、相変わらず気軽に呼び出したり呼び出されたりしていたら出来レースに見えてしまう。

「光る君へ」は、今のところは道長とまひろの恋愛周り以外では、そういう部分はない。他の登場人物たちは、この時代の論理に基づいた人物像として描かれている(だからまひろはしょっちゅう怒られる)
 これまでストーリーを見た限りでは、まひろは知識はあるけれどさほど頭がいい人間には見えない(知識があることはそれはそれで凄いことだけれど、イコール頭がいいではないと思う)
 まひろの弟の惟規などは、まひろをそういう意味で「頭がいい」と言っている節がある。惟規はまひろの扱いかたをよく心得ており、惟規のほうがよほど頭がいいのではと思って見ている。

 まひろの性格をきちんと理解した上で愛情を持って接しているキャラもいるので、こういうところは凄く面白し好感が持てる。
 直秀もまひろの世間知らずで困った部分に怒りながらも惹かれていた。
 直秀は、まひろとの関係以外でも物事をどう考えているか、世の中をどう見ているか、その内面がきちんと伝わってくる人物だった。なぜこういう人はあっさり退場させてしまうのか。(惜しい人を亡くした)

 宣孝の婿探しや倫子の学びの会の様子、詮子の人物像など面白いところもある。
 だがまひろと道長の恋愛が絡むと、関わった物事が途端におかしくなる。
 新キャラの源明子は自分の好みのキャラなのだが「のちに、まひろ(紫式部)の存在に鬱屈がたまっていく」という人物説明に嫌な予感しかない。

 本音を言わせてもらうと、まひろと道長の恋愛は幼いころの気の迷いくらいで済ませて欲しいなと思う。ストーリーのコンセプトを見るとそうはならないんだろうけれど。
 今の人物像のまま道長が権力者になる、というのはさすがにちょっとないだろうと思うので、今後に期待したい。

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