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懐かしラノベ「変化草子」は、大人になった今だからこそ面白い小説だった。

 先日突然、子供のころ読んだラノベをもう一度読みたくなったのだが、タイトルも著者名も何ひとつ思い出せない。
 数少ない覚えている要素で自分なりに調べても出てこない。
 思い余ってnoteで聞いてみた。
 マイナーなラノベだった(と思う)のでダメ元で聞いてみたが、なんと記事をアップして四時間後に教えてくれたかたがいた。(ありがとうございます!)
 人類の叡智を感じた。ネットすげえ。
というわけで、「変化草子」全3巻を購入して読んだ。

◆「変化草子」あらすじ
 
時は清和天皇の時代。
 京の都では藤原良房が藤原家で初めて摂政の地位につき、これから藤原の世が始まろうとしていた。
 仙術を操る偉大な妖狐・金剛と人間のあいだに生まれた半人半狐の少女くぬぎは、人間の母親を探すために山を下りて京にやってくる。
 天皇の教育係を務める菅原道真と知り合い、追いかけてきた弟のちくまと共に居候になる。
 そうして母親を探すうちに、天皇暗殺を巡る陰謀に巻き込まれる。


◆文章やキャラはラノベの枠組みだが、描いていることが大人っぽい。

 凄く面白かったが、子供の時は余り面白いと感じなかった。それが何故かも、今回読んでわかった。
 対象年齢を意識してか、文章は平易でキャラの作りも現代風に寄せている。だけどその反面、実際の歴史や物事に基づいているので読むのにある程度知識が必要だ。
 ラノベにしては設定順守の縛りがキツい。物語で描いていることも比較的大人っぽい。

 例えば金目と決着をつけに行ったくぬぎを追おうとするちくまを、父親の金剛狐は「くぬぎはお前に守られる事より、あの者と戦うことを選んだ。それがどういうことか、判らないお前ではないね」と言って止める。

 ここで金剛がちくまに「判らないお前ではないね」と言っていることの根本にある考えと同じ
「『他人と一対一で全力で対峙することによって自己を認識する』という軸においては、戦いと恋愛は脱構築できる」

という記事をつい先日書いたばかりだ。

金剛に言わせると、一年仔の(生まれて一年しか経っていない)ちくまにさえ「判らないお前ではないね」らしい。
 この年まで全然わからなかったんだが……orz。

 くぬぎの母親の暁が、なぜ金剛狐の下を離れて基経のようなひどい男の妻でい続けるのか。
 子供のころは、暁が行き着いた「人生をある程度生きたからこその諦念や後ろ向きになってしまう心境」に興味すらわかなかった。(逆に「暁の気持ちわかる」という十代がいたら、どんないらん苦労をしているんだろうと心配になる←余計なお世話)
 キツイ言い方をすれば「弱者の戦略」みたいなのが徹底している人だなと思う。いま読むとかなり面白いキャラだ。

「変化草子」は自分の感覚だと「この年になったから、ようやく関心が持てたり実感できる」と思うことが多々書いてある。


◆主人公のくぬぎが好き。特に「自分の女性としての魅力を自覚しているところ」が。

「変化草子」は、主人公のくぬぎが良かった。
 明るく元気で前向き、負けん気が強く、ふかふかの狐の尻尾を持っている。何と言っても、自分の女性としての魅力に自覚的なところがいい。
「女性としての魅力」というと性的な要素を連想しがちなため、女性向けの創作では忌避されたり「悪」にされやすい。(ライバルがそういう部分を請け負うことが多い)
 女性が主体的に自分の魅力を出すことがあたかも悪いことのように描かれているのを見るたびに、残念に感じる。

*↑の漫画のなっちゃんみたいな感じが好きなのだ。

 くぬぎはちくまの求婚を断りつつも、自分がちくまに対して影響力を持っていること(露骨に言えば自分のことを好きなために言いなりになること)に自覚的だ。
 くぬぎのいいところは、余裕がなくてちくまを都合よく扱ってしまったら、それを反省するところだ。
 こういう「女性としての自分の魅力に自覚的で、それでいながら自分を好きでいてくれる相手にフェアであろうとする女の子キャラ」が大好きだ。
 暁は金目に対してアンフェア(これはこれで面白いが)なので比較が出来るところも面白い。


◆「本気で相手にする気にならない弟」から「スパダリ枠」へと成長するちくま

 記憶の中では「くぬぎにまとわりつく弟」でしかなかったちくまだが、今回読んだらかなり魅力的なキャラだった。
 作内では外見が三歳?→十歳→二十歳越えと成長するが、中身は子供のままという設定だ。だがよく読むと中身も少しずつ成長し、くぬぎもそのことを感じ取っている。
 くぬぎの意思を尊重して支えて、戦いの時はくぬぎを常に守っている。年齢もあるが、くぬぎに対して一切強引な言動を取らない。
 最初から「絵に描いたような理想のキャラ」には興味は持てないが、ちくまは「『好き好き言われても本気に取れない小さい弟』からスパダリ枠に作内で成長する」。しかもケモミミというおまけつきである。


◆美味しい設定がてんこ盛りの金目というキャラ

というように、しっかりとした設定とプロットを下地にして、魅力的なキャラが活躍する極上の面白さを持つ「変化草子」だが、やはりこの話の一番の魅力はくぬぎの最大の敵にして、ラストに何故かくっつく金目というキャラにある。

 金目の魅力は色々あるが、まずは救いのない背景設定だ。
 外国から来た身元不明の異国人の子供で、生まれたときから虐げられている。「魄」を囚われているために人間扱いされず、藤原基経のような下衆に絶対服従しなければならない。同じように基経に囚われているくぬぎの母親・暁を慕っているが、最後にはその思いも破れる。(暁が金目が消滅することを承知で、くぬぎに怪異を止めて欲しいと言った時点で)
 冷静で余裕があるようで、「京の権力闘争など関係ないし興味がない」と言うくぬぎにマジギレするなど内に激情を秘めている。(←こういう人はモテるよな)
 基経が金目をいたぶるために魄を火にかざすシーンを大人になったいま読むと、わ〇らせにしか見えない。(しかもやけに長い)
 当時読んだ人たちが熱狂した胸を痛めた気持ちがよくわかる。


◆「変化草子」の一番の魅力は、表には出てこないストーリーが組み合わさることで話が完成するところ。

 このように金目というキャラは設定自体が魅力満載だが、一番面白いところはその設定や背景からくる内面が話を読むだけではよくわからないところだ。

 ブログのほうで書いたが、金目は「内心をほとんど見せない、描かれないキャラ」なので、作中では何を考えているのかよくわからない。
 ラストでくぬぎとくっつくが、ただ読んでいるだけだと唐突に感じられる。「そんなフラグ(ヒント)あったか?」と思い、思わず読み返したくなる。
 ミステリーの叙述トリックのようだ。

「ラストでやっつけでくっついただけ」なら特に面白くはないのだが、「くぬぎ視点」という先入観を排して本編を読み返すと、くぬぎを主人公にした物語の陰で「金目のストーリー」が進行していることがわかる。
 明るく元気で前向きに陰謀に立ち向かう「陽」のくぬぎの物語の陰に、金目の物語が重力のように存在している。

「変化草子」は、「目に見える陽のくぬぎの物語」と「目には見えない陰の金目の物語」が組み合わさって初めて本来の形になるのだと思う。
 自分が「変化草子」で一番面白いと思ったのは、この「物語の片側しか見せない作り」だ。
 
陰に隠されている金目のストーリーは業が深く救いがない。
 その深い闇に落ちたような人生を歩む金目の救済のストーリーが、くぬぎという少女の成長譚と重なってひとつの物語になっている。
 だからくぬぎは成長する(自己を打ち立てる、主体を確立する)時に、「ちくまに守られることよりも金目と戦うことを選ぶ」のだ。

 子供のころの自分はよくわからないなりに、この物語の隠れている部分に惹きつけられたのだろう。
 この年になってまで覚えていて急に思い出して読みたくなったのは、この物語を読む下地がようやく出来たからなのかもしれない。(遅い)

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