見出し画像

アトリエ撮影。始まりも終わりもない制作のリアル。

 自分の制作を、他の人の視点を通して撮影してもらおうと思い立ちました。以前、カメラマンに依頼し、完全にホワイトキューブの空間で多層ガラス絵の制作のダイジェストのような動画を制作してもらいました。それはそれで気に入っていますが、それは点と点を繋ぐような動画でした。今度撮るなら、より線的な、様々なものと結びつくような動画を改めて撮影したいとぼんやりと思っていました。この辺は文字で書くのはちょっと難しいところです。撮影する人のセンスが問われるので、誰でもOKというわけではありません。プロアマもあまり関係なく思えました。
 そこで、10代からの知り合いで、独自の視点を持った方にお願いしようと考え、作業場に来てもらう事に。どんな風に撮るかは勿論ノープラン。とにかく全てお任せして現場のリアルな姿を撮ってもらうという話に。

お互い会うのは久しぶり。やりながらどうなるかその場で一緒に考えていく。
折に触れて来てもらう事に。ありがたい。


 撮影が始まってすぐ、やはり銅版画制作に慣れている自分と、普段見ない他人は注目ポイントが結構違うと実感しました。銅版画を制作している作家なら普通に通り過ぎるような場面も丁寧に撮影してくれました。きっと観る人にもそれは伝わるのでしょう。
 そして、これは自分でも予想していなかった事でしたが、「制作はどの時点から始まりどこで終わるのか」という事をかなり意識するきっかけになりました。
 要するに、始点も終点もない、という事に気づいたのでした。
 ある一連の動きを終える頃にやっていることは、実は次の動きを予感させる事で、明確な境界など最初からありません。大袈裟に言えば、道具を所定の位置に戻す何気ない動きすら、結局は次の制作への準備なのです。素材や道具類、その配置や自分の身体がこの場所で連動し、行為が生じ、それが途切れる事なく繋がっている。
 作品もアトリエも共に、構築途中の場なのです。

林檎の樹の葉のあたりを描く。

 個展の前には動画はまとめられるかな・・・?
 今取り組んでいるテーマと経過(Work In Progress)の撮影は呼応するように進んでいきそうです。

続く

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?