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幸せに生きるためには?

こんにちわ。キャベツの千切りをしている時が1番無心になっている、じゅんです。

今回は、今もなお本屋さんに並んでいる大ヒットセラー本の『嫌われる勇気』についてです。

タイトルだけ見ると衝撃ですよね。嫌われるの!?って最初、僕は思いました。
誰しもが嫌われたい人っていないですもんね。

でもあえて、この本のタイトルは「嫌われる勇気を持とう」ということを前面に出してるんですね。

この本は今でも本屋さんに行けば1番見える場所に置いてあったりします。それだけ長く売れ続けてるし、おすすめの本なんですね。

では、早速いきましょう!

『嫌われる勇気』

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この本は、世界はどこまでもシンプルであり、人は今日からでも幸せになれる、と説く哲学者と納得のいかない悩み多き青年の会話で物語が始まっていきます。

この「嫌われる勇気」は心理学者のフロイト、ユングに続く“心理学の三代巨頭”の一人と言われるアルフレッド•アドラーの思想(アドラー心理学)についてまとめられた本です。

欧米で絶大な支持を誇るアドラー心理学は、「どうすれば人は幸せに生きることができるのか」について、極めてシンプルかつ具体的に答えを提示してくれます。

大まかに「幸せに生きるための考え方」を四つに分けて教えてくれます。

1.人は変われる

最初のテーマでは「トラウマ」について書かれています。心理学の三大巨頭の一人、フロイトはトラウマについて過去が原因で現在に不幸をもたらすものと言っています。

しかし、アドラーは「自分の経験によるショック(トラウマ)に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す」と言っています。
つまり、自分の経験によって決定されるものではなく、経験に与える意味によって自らを決定しているというのです。

例えば、「引きこもり」についていえば、何かしらのトラウマによって「不安だから、外に出られない」のではありません。「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と考えるのです。

つまり、「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえています。
これは、現在不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んでいることになります。

アドラー心理学ではこれを「目的論」といいます。逆にフロイトが考案したように過去のある時点にトラウマの原因を見出すことを「原因論」といいます。

過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの人生を決定しています。人生とは誰かに与えられるものではなく自ら選択するものであり、自分がどう生きるのかを選ぶのは自分です。

なので、自分が変われないのは、自身で「変わらない」を選択しているためです。人って基本的に変化を嫌うんですね。ラクな方がいいのでそのままでいることを選ぶんです。
#変化にはエネルギーが必要

今のご自身の人生は自分で選んでいるものなんです。これまでの人生で何があったとしても、今後の人生をどう生きるかには何も影響はないんです。

「今までこうだからできない」ということはないんです。

自身の意味付けを変えることにより、今後の自身の人生のかかわり方や行動が変わっていきます。

2.すべての悩みは「対人関係の悩み」

今までを思い出してほしいのですが、大抵の悩みって人間関係じゃありませんか?もしくは、人がかかわっていることが多くないです?

アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言しています。つまり、個人で完結する悩みはなく、必ず他者の影が介在するといっています。

《劣等感コンプレックスと優越コンプレックス》

「劣等感コンプレックス」とは、自らの劣等感をある種の言い訳に使いはいめた状態のことを言います。例えば、「私は学歴が低いから、成功できない」と考えてしまいます。
#本当は関係がないのに

それによって、重大な因果関係があるように自らに言い聞かせることで、納得させたいのです。

一方、「優越コンプレックス」とは、あたかも優れているように振る舞い、自分の劣等感を隠すことを言います。
#意地っ張りですね

この二つのコンプレックスは結局、変化が怖いからラクな方へ逃げるための言い訳なんですね。

本気で何とかしたいのであれば、ラクな方へ逃げないはずです。逃げないからこそ、人生は変わりますし、世界が変わっていきます。
#アドラー厳しい

《課題の分離》

この「嫌われる勇気」の最大のポイントになります。アドラーは対人関係のスタートが「課題の分離」だといっています。

「課題の分離」とは、「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離させる考え方です。

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと、あるいは、自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされます。

家族間では要注意ですね。距離が近いからこそ意識的に分離する必要があります。

良く「周りの目が気になる」ということを聞きます。今で言えば、マスク問題とかですね。「マスクをしてなかったら周りに白い目で見られるのではないか」とかです。

「周りがどう思うか、周りの視線が…」って言いますが、それって周りのからの評価を気にしているということですよね。周りから承認されたいから他者の目線を気にするんです。

人間は少なからず、「承認欲求」というものがあります。認められたい欲ですね。

でも、いくら周りを気にしたところで、周りの人が実際どう思っているかはわからないですよね?
あなたの選択について、他者がどのように評価を下すのかは他者の課題であって、あなたがどうしようもできないことなんです。それを認識しておかなければならないんですね。

逆に、他者の選択についても「自分の課題」として干渉しないことです。
#僕は時々してしまいます
#だって 、絶対に必要なんだもん

適度な距離を保つことが大切なんですね。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないコストを払わない限り、自分の生き方を貫くことはできません。

周りを気にかけて生きることは相手に主導権があるということなのである意味、不自由です。
#自分に嘘をついているということだから

もし、あなたが自由に生きたいと思うのであれば、他者から嫌われることを恐れないことです。自分に正直にいることが大切です。

3.世界の中心はどこか

アドラー心理学の正式名称は「個人心理学」といいます。「個人心理学」というと、人を孤立へと導く個人主義の学問ととらえられてしまいます。

しかし、それは間違いで個人心理学を英語で「individual psychology」といって「individual」は「分割できない」と意味します。

つまり、アドラー心理学ではその人の心と身体を合わせて「全体のわたし」をひとつの分割できない存在としてとらえます。これを「全体論」といいます。

例えば、カッとなって他者を怒鳴りつけたとき、それは「全体としてのわたし」が怒鳴ることを選んだのです。決して、感情が私の意思とは無関係に怒鳴ったとはしません。
ここで「わたし」と「感情」を切り離し「感情がそうさせたのだ、感情に駆られてしまったのだ」とすると簡単に人生の嘘へつながってしまいます。

《共同体感覚》

上記で「課題の分離」は対人関係のスタートといいました。この「共同体感覚」は対人関係のゴールだとアドラーは考えています。どういうことか。

「共同体感覚」とは、他者を仲間だとみなし、そこに「居場所がある」と感じられることを言います。

仲間に囲まれて生きていると感じることにより、人は自らの「居場所」を見出すことができます。自分の居場所が見つかると、人はその仲間のために貢献したいと思うようになります。
#自分がここにいてもイイと感じれます

人は「私は共同体(居場所)にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感することができます。

他者の評価ではなく、自らの主観で感じることが大事です。
#生きる勇気がわく

課題の分離はしつつも、他者に関心を寄せ、横の関係を築き、勇気づけのアプローチをすることにより相手に自らの価値を感じてもらう。

それが対人関係のゴールということです。つまり、相手がこのコミュニティにいたいと思えるように接するということですね。
#当たり前のこと

4.「いま」を真剣に生きる

私たちの人生は舞台劇場に例えられます。会場全体に蛍光灯がついていれば、客席の一番奥まで見渡すことができます。しかし、自分に強烈なスポットライトが当たっていれば、最前列さえ見えなくなります。

人生も同じで、人生全体にぼんやりと光を当てているからこそ、過去や未来が見えるような気がしてしまいます。しかし、もしも「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなります。

人生は連続の刹那であり、過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」には何の関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではありません。

目標・目的を立てたのならば「いま、ここ」を真剣に生きることです。

アドラーは「一般的な人生の意味はない」と語ったあと、こう続けています。「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ。」と。

自由な人生を歩むうえで大きな指針として「導きの星」というものをアドラーは掲げるように言っています。

この「導きの星」さえ見失わなければ、そちらに幸福があるという巨大なりそうになります。

その導きの星とは、「他者貢献」のことを言います。

あなたがどんな刹那を生きていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、何をしてもイイです。

他者貢献を掲げていれば、常に幸福であり、仲間とともにいれます。

世界は、ほかの誰かが変えてくれるものではなく、「わたし」によってしか変えることができません。

最後にアドラーはこう言っています。

「誰かが始めなければなりません。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係がない。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなどは考えることなく。」

私たちは、自分の人生をどこか他人にゆだねているところがあったのかもしれません。しかし、本来あなたの人生は、あなたのものです。

あなたらしい人生を歩みたければ、人生に意味を与えるのはあなた自身です。

是非、「本当に自分らしい生き方は何か?」「その為には何をしたらいいのか?」というのをこれを機に考えてみてはいかかでしょうか。

では、また。

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