いまこそ見たい映画「セッション」

私は「セッション」を映画館で観た。7年前の「ハラスメント」は今日ほど人々が問題視していなかったように思えたし、みんなそれよりも菊池成孔と町山智浩の論争に興味があった。かくいう私も、菊池成孔先生のバイアスたっぷりに映画館に足を運んでおり、当時の感想を正確に記憶していないが、少なくとも「面白かった」「良かった」とは結論付けていなかった。

とにかく、アマゾンプライムの「もうすぐ公開終了」の中で再び観る機会を得られて良かった。

今日ではボロクソに叩かれそうなスパルタ教育が痛快に思えた。そしてその先には、一切のハラスメントを憎み、男も女も無く均一なパーソナリティを目指す凡人どもには到達することのできない地点があることを描いていた。決して「音楽」を描いていたわけではなかったのだ。その点において「ただ速く叩くことしかできないガキ」と称し、音楽家としてこの映画をこき下ろした菊池さんは正しい。

この映画の主人公もそうだが、いつだって「ハラスメント」と関わらないようにしようとすればできるのに、自ら関わろうとする。
そして順応できなかったときに文句を言うか、精神を病み訴えるのだ。

そもそもアプローチしてきたのはどちらからなのか。丁寧に優しくしてまでお前と付き合わなけれなならない理由はあるのか?そうしたらお前はしっかりと辿り着けるのか?

今まさに告発で溢れる日本映画界隈に漂う「正義」に対し「嫌なら辞めればいい」というアンサーがこの映画から伝わってきた。


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