18/09/2020:『My Jinji』
地球をぐらつかせるほどの二日酔いをバケツいっぱいに被った気分だった。うまく目が開かない。内臓と皮膚が入れ替わったのかと思うくらい気持ち悪くて、僕は命を削ってテーブルの上の水を飲むと、そのまま打ち上げられた魚のようにしてトイレへと向かった。
ユニットバスの鏡に映った僕は、メガネをかけなくてもそのひどい姿が簡単に見て取れる。脂ぎった顔、前衛的な寝癖、漆喰色した胸元は昨日の飲み会の激しさを物語っているようだが、あいにく僕は記憶をなくしているようだ。が、かえってその方が好都合とも言えた。
「あー、厳しい。」
便座に座って一人何度も呟く。
冷蔵庫を開けて冷えたミネラルウォーターを取り出すと、喉を鳴らして飲んだ。乾いた布にみるみる色が沁みていくように、僕の血管隅々まで行き渡る。
「まずはシャワー浴びないと。落とそう、全部。」
言い聞かせるようにして、給湯ボタンを押す。43度に設定されたシャワーから勢いよくお湯が出る。そのままユニットバスのドアを閉めて部屋までバスタオルを取りに行くと、開けっ放しのカーテンが晴れた昼間の風に揺れていた。
「というか、今何時だよ。」
ケータイをひっくり返すと、まだ昼前だ。上々じゃないか。
パソコンの電源を入れて、そのままUSBケーブルを挿しながら充電する。メッセージは誰からも来ていない。
安心したような、寂しいような気持ちでバスタオルを洗濯バサミから剥がし取って、シャワーへと向かう。ドアを開けると浴槽からは白い煙がもくもくと湧いていた。
もう一度ミネラルウォーターを口に入れる。
そして熱いシャワーに飛び込むと、それは僕の背中を打つようにして轟々と水を出し続けた。
・・・
しっかりとシャンプーをして洗顔も済まし、体も洗ってしまうと幾分か体が軽くなった気がした。裸のまま部屋へ戻って、しばらく立ち尽くす。ミネラルウォーターはもう半分もない。
適当に下着を履いて、そのままベッドに腰掛けた。
「なんとか、生きてる。」
そう言いながら、残りのペットボトルを一気に飲み干した。絶望的な状況からは何とか脱出できたようだ。
「お腹空いたな。」
確か冷蔵庫には何も入っていない。こういう時に限って、条件は揃っているものだ。横着な気持ちを押さえつけながら、僕はスウェットにTシャツを着て財布をポケットに入れると、サンダルをつっかけて外へ出た。綺麗に晴れた空に風が涼しい。
熱いシャワーを浴びたおかげでもあったけど、きっとそれ以上に、季節が変わったことの方が大きい。こうした日々の繰り返しはいつまでできるのだろうか。若いってどういうことだろうか。
みんなが一斉に歳を取っていく中、世界が進むスピードと僕が歩むスピードが一致することはあるのだろうか。
コンビニのお弁当コーナー。冷やし蕎麦を選ぶ。きっと今年はもう食べ納めか。
「袋とお箸、大丈夫です。ありがとう。」
ケータイでお会計を済ます。横文字が並ぶ名札をつけた彼女は、小さくニコリと笑いかけてくれた。
自動ドアを出ると、真昼を迎えた秋の空がまばらな雲と一緒に青く広がっている。
この瞬間だけでも、未来への不安とか現在への焦りとか、そういったものがほんの少し和らぎ、僕から距離を取ってくれた気がした。
・・・
麺つゆに氷を浮かべるだけでも、爽やかさは一気に増してあっという間に全部平らげてしまう。2本目のミネラルウォーターのボトルが窓から入り込む光を屈折させるようにして、テーブルに影を作った。
午後いっぱい残された僕の時間。
電話が鳴る。
「二日酔いは?」
彼女からの連絡は3日ぶりだった。
「なんとか生きてる。というか、蕎麦も食べてむしろ上々だよ。」
「出てこれる?美味しいコーヒーを一緒に飲んでくれる人を探しているんだけど。」
悪くないオファーだった。でも、このまま行くのはちょっとキツい。
「夕方でいいわよ。ご飯前の時間とかどう?」
「ありがたい。少し休みたいと思ってたし。」
「だと思った。ゆっくりおいで。また連絡して。」
電話を切ると僕はまた一人になった。歯を磨いてベッドへ横たわる。
出発までの数時間、僕は目を閉じてもうしばらく静かにしていることにした。どんな形であれ、誰かが僕を待ってくれているということが、僅かながらも安心に似た気持ちにさせてくれたからだ。
僕が歩いているスピードはこれでいいのだろうか。今日彼女に会ったら聞いてみようと思う。
ミネラルウォーターが作った影は、雲に遮られて少し見えなくなった後、また形を変えてテーブルを模様づけていた。
僕はそのまま目を閉じると、いつの間にか眠っていた。
・・・
今日も等しく夜が来ました。
落日飛車-Sunset Rollercoasterで『My Jinji 』
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