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「あなたがそれを望んだからです」という恐怖に気付く異色のファンタジー

『短くて恐ろしいフィルの時代』という、奇妙な小説を読みました(この作品はnoteの主催する「読書の秋2021」の課題図書にもなっています)。

重苦しいテーマを奇妙な世界観でくるんだ、疲れた日に見る夢のような物語。読み終わってしばらく考えてから背筋がひやりとする、そんな読後感のある作品でした。

(感想を書くにあたりネタバレを含みますのでご注意ください)


冒頭から明らかになる主題

「ファンタジー世界に社会的なテーマを潜ませる」というのは、小説やアニメなどにしばしばみられる手法です。たとえばディズニーのアニメ『ズートピア』は、一件かわいい動物たちの物語のように見えて、実は裏テーマに「人種差別問題」が潜んでいます。

こういった手法は、読者・視聴者にインパクトを与えるためにとても効果的といっていいでしょう。ストーリーが進むにつれてじわじわと隠されていた部分が明らかになっていき「なんてこった、この物語には別のテーマがあったのか!」と気付く瞬間は、最大の盛り上がりどころ。

もちろん制作者側もそういった衝撃を狙って、巧妙に「真のテーマ」を隠そうとするはずです。


その意味でいうと、この『短くて恐ろしいフィルの時代』という作品は、「ズートピア的手法」とは真逆の構造と言えるかもしれません。なぜなら、この物語のテーマは冒頭でいきなり明らかになるからです。

数ページも読めば、読者は「この話には難民・差別・紛争といったテーマがありそうだ」と気づくことでしょう。


物語の舞台は、とあるファンタジー世界。

ここにある「内ホーナー国」と「外ホーナー国」には明確な格差があります。内ホーナー国の領土はあまりにも小さく、そこに住めない国民は外ホーナー国の「一時滞在ゾーン」という狭いエリア内に住まわせてもらっているのです。

不遇の内ホーナー人は、外ホーナー人の恵まれた暮らしを見て思います。
「なんだよあいつら。あんなに土地があり余ってるんなら、こっちに二、三百平方メートルばかし分けてくれたってよさそうなものじゃないか」と。

満ち足りた暮らしを謳歌する外ホーナー人は、内ホーナー人を苦々しく思っています。
「もしこれ以上あいつらに愛する祖国の土地を分けてやったりしたら、ほかのみすぼらしい小国が我も我もと押し寄せてきて、自分たちにも土地をよこせと言いだすかもしれない」と。

ここまで読めば、誰もが「現実の世界情勢にも似たような難題がある」と考えることになるでしょう。


そんなリアリティを感じさせる一方で、この物語の世界観は、非常に奇妙なのです。内ホーナー国と外ホーナー国が存在しているのは、空想の中か、異次元か、あるいは地球から遠く離れた惑星か。いずれにせよどこか不思議な世界です。

「内ホーナー国は非常に狭い」というのは先ほど書いたとおりですが、なんと、その国土に住むことができるのはたった1人だけ。それ以外の6人の国民が、外ホーナー国にある「一時滞在ゾーン」に住まわせてもらっています。

そして、そこに暮らす国民は明らかに「人類」ではありません。

「八角形のスコップ状の手」を持つ者や、「エントウィスル孔」という器官からひゅうひゅうと音をたてる者、「振り子のように揺れ動く半透明の被膜」を持つ者など、不思議な描写が連続します。これらの生命体(なのかどうかもわからない)についての説明はいっさいありません。

物語のタイトルにもなっているフィルという外ホーナー人は、「脳をスライド・ラックに固定しているボルトがときどきはずれ、脳がラックを勢いよく滑って、地面にどさっと落ちてしまう」という構造。どうやらこの世界の登場人物(便宜的に人物とします)たちは機械のような構造を持っているようですが、イメージできるのはそのくらい。明確なことは何もわかりません。

こうした奇妙な生命体が住む不思議な世界に、難民・紛争といった、リアルで深刻な問題が根を張っています。


悲しいほど現実的な展開

note公式ページに書かれているこの本の紹介文には『奇想天外かつ爆笑必至の物語』とあるのですが、正直なところ、爆笑するかどうかはかなり人によるのではないかと思います。

たしかに、この物語を構成する人物たちが不思議でコミカルな生命体のため、おもしろおかしく読める部分もあります。フィルが雄弁な演説をするのは「脳が滑り落ちている間」というのも、風刺が効いた描写だといえるでしょう。しかし、どんどん権力を拡大させていくフィルには誰もが不安を感じるのではないでしょうか。

外ホーナー国の国民たちは独裁者となったフィルを熱狂的に支持し、内ホーナー人への弾圧が公然と行われていく。そして内ホーナー人への弾圧は、最終的にジェノサイドへと向かっていくのです。


この物語は、ジャンルとして「ファンタジー」に分類されるのは間違いないでしょう。物語の舞台も登場人物も、とことん不思議な世界です。

それなのに、ここで繰り広げられる物語には、ノンフィクション作品かのようなリアルさを含んでいる。この小説のもっとも印象深いところは、そこかもしれません。

・フィルの思想は恐ろしいものであるけれど、一部には納得できる部分もあること。

・ジェノサイドは第三国の「大ケラー人」たちによって阻止されるものの、それは大ケラー人の自己満足でしかなかったこと。彼らは英雄的な気分に酔いしれて、さっさと立ち去っていくこと。

・形勢が逆転したことを知った内ホーナー人は復讐を始め、結局のところ「逆ジェノサイド」を行おうとすること。

そのすべてが、現実世界を見ているかのような感覚を呼び起こします。

最終的に、作者は文字通り「世界の創造主」として、この混沌を強制的にリセットするのですが…。リセットされた世界で、フィルの遺したものは新しい世代へと受け継がれていくことが暗示されています。


物語を反芻して気づくこと

この物語を読めば、きっと誰しも「フィルのような考えは危険だ」「自分はこうなってはいけない」と思うはずです。フィルの思想はまさしく歴史上の独裁者たちのものであり、現代人であれば誰しも「認めらない」という感覚があることでしょう。

しかしながら、この物語は「フィルが悪であった」という単純な感想で終わっていいのでしょうか。読後、しばらく考え続けました。

そして、この物語を反芻しているとき。胸の中に小さな不安が生まれる感覚を味わいます。例えるならそれは、白い布に黒い染みがポツリと浮かび、じわじわと広がっていくような感覚でした。

「自分は、どのようにこの物語を見ていたのだろう…?」と。


正義を行ったように見えて、実は自己満足でしかなかった大ケラー人。そして、結局のところ外ホーナー人と同じように野蛮だった内ホーナー人。彼らが繰り広げる泥沼の戦場を見て、「なんだかもう、どうしようもないな」という失望を感じる人は多いのではないでしょうか。

そんな中、究極の手段である「創造主によるリセット」が行われるのです。
内ホーナー国も外ホーナー国もない、新しい世界。そこに住む人々さえも、創造主は新しく作り変えます。今度こそ、善良な人々による善良な世界になると信じて。

このストーリー展開を、初読では違和感なく読み進めていましたが…。物語を振り返ってみると、はたと気づくのです。

「もしかしたら、僕もジェノサイドに加担したのではないだろうか…?」と。


「結局のところ、どの国の人々も残念な存在だった。理想的な人たちはどこにもいなかった」という失望。そして、失望の人々が「創造主によりリセットされる」ことに対する共感。

「自分とは相容れない人々を一掃すれば世の中は良くなる」という思想は、ジェノサイドそのものではないでしょうか。


時間差でやってくる恐ろしい問いかけ

この本のタイトルは『短くて恐ろしいフィルの時代』。タイトルどおり、誰もがフィルの恐ろしさを感じられるストーリーになっています。

「フィルのような思想は危険だ」
「多様性を認め合う社会を目指さなければならない」

読者は皆、読み終わった後にそんなことを考えるでしょう(実を言うとこの感想文も、最初はそのような視点で書き始めました)。
しかし、この物語の本当の狙いは「この世界を神のように眺めていた自分」に気づかせることではないでしょうか。

「あなたは、世界をリセットすることに共感しましたね?」

これが、この物語の真のメッセージなのではないか。物語を反芻してみるとそう感じます。


短かったフィルの時代は、さまざまな要因により瓦解し、リセットされました。しかしリセット後の世界にも、フィルの遺した危険な思想は受け継がれている。それはなぜでしょうか。

「あなたが、それを望んだからです」

読み返してみると、そんな言葉を突き付けられているような気がして、背筋が冷たくなるような感覚を味わいました。


この書評には大まかなあらすじを書いてしまっていますが、詳細な描写はしていません。これから読む人はぜひ、「創造主の登場」の場面で自分にどんな感情が湧くか、そんなところを気にしてみると印象に残るのではないかと思います。

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