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「年下に囲まれて働く」ことの幸運
僕が働いているキュービックという会社には、若い人たちがたくさんいます。インターンも数多く働いていますし、20代の管理職というのも珍しくありません。社員・インターンを含めた全メンバーの平均年齢は20代であり、今年46歳になる僕はもう、社内の最年長クラスです。
当然、僕と同じメディアを担当しているメンバーたちはみんな年下ですし、僕の上司も年下。社長も年下です。ほぼ全方位を、年下に囲まれて働いていることになります。
「なんという幸運に恵まれているのだろうか」
最近、そんなことをしみじみ感じることが増えてきました。
以前の職場は、社内には同世代が多く、社外には大先輩や大御所ばかりという環境でした。業界の中を見渡せば、僕はまだまだ若手。もしくはせいぜい中堅クラスといったところでした。
それが、転職をきっかけに最年長クラスに躍り出た(?)のですから、職場環境としては激変です。
もちろん、転職活動中に「キュービックには若い社員が多い」というのは知っていましたし、それを承知で入社を決めているわけですが、こういった年齢差に「少しも不安がなかった」と言ったらウソになるでしょう。
「年下の上司、年下の同僚たちに囲まれたらどうなるのだろう。もしかしたら居場所がなくて憂鬱になったりするのかもしれない…」
なんせ今まで経験したことがない状況ですから、そんな不安もありました。
しかしフタを開けてみれば、それが完全に杞憂であったことに気づかされました。いや、杞憂は「取り越し苦労」という意味ですから、表現としては違うかもしれません。
例えるならば、若い武将たちに平伏して忠誠を誓う老将、といったところでしょうか。「拙者、老いたりとはいえまだまだ戦場には立てまする! ぜひお仲間に加えてくだされ!」と。
そのくらい、若者たちはキラキラと輝いていました。ともに仕事をしていて「そもそも僕とは器が違う!」と舌を巻いた経験は一度や二度ではありません。
そして冒頭にも書いた、「なんという幸運に恵まれているのだろうか」という言葉にたどり着くわけです。
かつての僕の頭には、「年齢=会社における地位」という価値観が、少なからずあったように思います。
「努力や能力に応じて、若い人たちにも裁量が与えられるべき」なんて言葉を、建前じゃなく心の中で本当にそう思っていたのか。今にして思うと、少々怪しいところがあったような気がします。
こういう固定観念をぶち壊すためには、そんな観念がまったく機能していない世界に飛び込んでみるのが一番でしょう。さしずめ、雷にうたれたような、ハンマーで殴られたような、目からウロコが落ちるような、そんな経験とともに、僕は考えを改めることができました。
若い人たちに囲まれて働いていると、自分の中の「情熱」が再び燃え盛ってくるような気がします。そして、オッサンになるにつれ少しずつ肥大化していく「まったく、今どきの若いモンは…(侮蔑)」という、悪性腫瘍のような偏見が消えていきます。
これを幸運と言わずして何と言おう、と。
僕は今年で46歳。
場合によっては若者たちの倍は生きていることになりますが、ただ長く生きているということに、さほどの意味はない。
人生の折り返し(であろう)地点でそれに気付けたこと。心の底から納得できたことは、大きな収穫であったと思います。
「老いたりとはいえ、まだまだ武勲を立ててみせまする! ぜひ拙者に先陣をお申しつけくだされ!」
そんな気分で日々を過ごしています。
さて、明日からもまた、僕の役割をはたすべく戦場を駆けるとしますか。
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