現役最年長Fリーガー金山友紀選手と歩んだ20年間の島根県のフットサル③
島根県サッカー協会に携わるようになり、20年目に突入しました。
ボランティアとしての関りでしたが、出会いや別れ、多くの思い出と学びを経験させていただきました。島根県サッカー協会を通じた、これまでの記録と思い出を、ここnoteに全8回に渡って綴ります。
3回目となる今回は、日本全体のフットサルや浜田市の地域の中でのフットサルの状況をお伝えします。私の島根県サッカー協会での『今まで』と『これから』を語る上で、簡単にお伝えしていこうと思います。
当時、地域の中でのフットサルは…
前回の記事では、島根県サッカー協会に名乗りを挙げたお話をしました。それによって、島根県の浜田市・江津市・大田市を統括する担当者として、島根県サッカー協会 浜田支部フットサル委員会の委員長となったこともお伝えしました。
2000年前半、当時はフットサルが全国的に広まっていく過渡期でした。それは、島根県も同じでまだまだ県内でのフットサルの認知度は低く、環境も整備されていなかったように思います。
だからと言っては何ですが、当時は今よりもっと気軽にフットサルに参加できる体制がありました。今でこそ、加盟料を払ったり登録したりする必要が出てきたフットサルですが、当時は費用の発生もなかったです。
その中で、島根県サッカー協会も『島根県内のフットサル競技者全体を増やしたい』と目的を置いていました。私は島根県フットサル委員会の委員として、大会を主催したりイベントを開いたりする役割を求められていました。
フットサルの魅力は気軽に出来ること!
フットサルは5人1組で、手軽に出来るところが何よりの魅力です。しかし、それらを上手く活用し広報していくことはそう簡単ではありませんでした。
『どのようにすれば、多くの方にフットサルを知ってもらい、一緒にフットサルを楽しむことができるのだろうか』と、頭を抱えていたときのことです。『フットサル日本代表の中に、浜田市出身の選手がいる』と教えてもらいました。現在、日本フットサルリーグdivision1で活躍する金山友紀選手です。※2023年シーズンで22年間の現役生活を終え、引退。
この情報が私にとって大きなものとなりました。もっというと、この選手との出会いが、私がサッカー協会に長きに渡って関わる大きなターニングポイントとなりました。
次回は、島根県浜田市出身フットサル日本代表 金山友紀選手のとの出会いの話しをしましょう。
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