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メーカー営業から外資コンサル、そしてスタートアップへ。20代で3社を経験した私の転職活動 vol.1

20代で未経験の業界・職種に転職。

良く言えば挑戦した、悪く言えば行き当たりばったりにも思える私のキャリア。

メディアでも取り上げていただき、ありがたい限りなので、私のキャリア奮闘記が誰かの大丈夫になればと思い、noteを書こうと思う。


①大学進学〜就職活動

「医者になりたい」という夢を捨てきれず、けど浪人してまでなりたいのかと問われれば、なんとなく自分の限界も感じていた高校3年の冬。

浪人せずとも医者になる道はないか。

そう考えて選んだのが北海道大学の総合理系入試だった。この総合理系、1年時は全員が教養を学びながら、2年進学時に成績順で希望の学部学科に配属される。

少しの希望を持ちながら入学した北大で待っていたのは日本最大級のキャンパスに全国から集まる仲間たち。そして結局高校で不完全燃焼に終わったバスケットも諦めきれずに体育会バスケ部に入部。遊びに遊んで部活に打ち込み、なんとか単位だけは落とさないように最低限勉強をした結果、2年時の進学は選ぶ余地もなく、気づけば理学部化学科に配属されていた。

とにかく楽天的な私は、化学は好きだったし楽しいかも、理学部化学科ライフを満喫。8割以上が大学院へ進学する学科だったこともあり、私も将来のことなんて1分たりとも考えることもなく、大学院へ進学。

そして修士1年の春、何も考えずに大学院に進学した私が初めて将来を考えることになる就職活動。

1社目に選んだのは誰もが知っている超大企業だった。

新潟の田舎に生まれ、両親も祖父母も教員という公務員一家に育った私は、もう本当に恥ずかしいくらい世間を知らず、

・誰もが知ってる大企業で働きたい

・なんとなく専業主婦とかは向いてなさそうだから働き続けられるような安定した企業がいい

・お給料と福利厚生、土日祝日休みは絶対外せない

・新潟、北海道ときたのでそろそろ東京に住んでみたいから、研究所が東京にある企業がいい

という4つの軸で就職活動をしたことを覚えている。

その結果、もう本当に誰もが知ってる企業を受けまくり、運よく内定をいただいた3つの中から「一番売上が大きいところ」という謎の意思決定をして1社目の大手日系メーカーに入社した。

②1社目入社〜初めての転職活動

1社目のメーカーでは技術営業という部署に配属され、技術系総合職で入社した同期の中でも一人だけ本社勤務になり、絵に書いたような「THE 東京サラリーマンライフ」を送ることになる。

1年の半分は出張に出ていたので飛行機と新幹線の時刻表と、地方のビジネスホテルにやたら詳しくなり、

仕事終わりは同期や先輩、上司と本当に毎日のように飲み歩いていた。

仕事は楽しかったし、人間関係にも本当に恵まれていた。

何も考えていなかったとはいえ、送りたい社会人ライフを手に入れた実感があった。とはいえ、60歳までここで働くのかと自分に問うと、「あと40年近くこの興味がない商材を売り続けるのか」と絶望していたのも事実である。

そんな私に異変(?)が起こったのが2年目を迎える頃。

たまたま飲みに行った大学の同期と仕事の話をしていたときだった。

商社内定を辞退してスタートアップで働いている彼が語る仕事への想いに衝撃を受けたことは今でも覚えている。

うまく言葉にするのは難しいけど、部活や勉強に夢中になっていたあの感覚、悔しいと苦しいと、けど達成したら全て忘れてしまう感覚。

その会社と事業への興味関心、会社を信じて進んでいる感覚。

時間も忘れるくらい走り続けている疾走感。

彼の口から聞くそのどれもが、今の私に足りていない、とにかく羨ましくて、その時初めて「仕事に夢中になることを諦めていたのかもしれない」と感じた。

この瞬間、初めて私は自分の将来について考えるようになった。

そもそもどんな業界と職種があるのかもわからなかったので、とにかく情報を集めていろんな人に会った。

友人の友人や、誰も知らない飲み会、親の大学時代の友人、手段は問わなかった。

とはいえ、ここまで勉強も部活も頑張ってきた自負もあったし、現役で”いい大学”に合格し、就活では”いい会社”に入社した私は、レールを外れる勇気なんてなかったし、「本当に転職するんだっけ?」という自分への疑いはずっと心の中にあった。

そんな迷いの中でも転職活動がうまくいくはずもなく、気づけば3年目を迎える直前。

入社以来ずっと面倒を見てきてくれた指導社員といつも通りに飲んでいた帰り道。

「ずっと浮かない顔して、もっとできるのにって顔して、じゃあお前はいつになったら本気出すん?」

突然言われたこの一言が最後の決め手だった。

悔しかったし、申し訳なかった。

こんなに恵まれた環境で、こんなに真剣に指導してくれる先輩がいて、

何を私は自分に言い訳をしてずるずると居座っていたんだろうと思ったし、求めていたはずの高い給料も福利厚生も全て私の実力なんかじゃなくて与えられているものなんだと、当たり前のことに気づいた。

次の日には転職エージェント3社に登録。すぐに面談をしてもらい書類を作成。やると決めた時のスピード感と行動力は褒めたいが、ここで第二の壁が立ちはだかる。

「で、私は何がやりたくて、どの会社にいくの?」

前述した通り、私は自分で意思決定をしたことがなかった。

医者になりたいとは思ったけど医学部進学を決めて受験したわけでもなければ、化学がやりたくて学科を決めたわけでもない。就活が初めての意思決定だったのかもしれないけど、給料・東京・ネームバリュー・年間休日がクリアしていればどこでもよかった。

初めての意思決定を迫られた私は、またも逃げてしまう。

・やりたいことはないけど、いつかやりたいことができた時には、軌道修正できるような市場価値が認められる職種がいい

・スタートアップとベンチャーは後からでも入れるかもしれない、けどこの学歴と経歴が活かせるうちは使っておきたい

この2つの軸(軸と言っていいのかもわからないが)でコンサル業界を中心に転職活動を再開。

最初に内定が出たのが、就活時は名前も知らなかった超大手の外資コンサルだった。

この内定=自分への市場価値と勘違いした私は、すぐに内定を承諾。

3年目の夏に外資コンサルへ転職した。

ここから私のキャリア絶望期が始まる。ので、続きはvol.2で書こうと思う。

紆余曲折経て、現在はポジウィル株式会社でPOSIWILL CAREERというキャリアに特化したパーソナル・トレーニングのカウンセラーをしている。

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