見出し画像

"最低な方法で責任転嫁!?" 「表現の不自由展・その後」の問題点⑤ ~あいちトリエンナーレ~

「『表現の不自由展・その後』に関する調査報告書」に関して、問題点や疑問に思った事等を述べたいと思います。
愛知県が組織したあいちトリエンナーレあり方検討委員会が作成している所為か、やけに「表現の不自由展・その後」を擁護しようとし、無理が出ている様に思われます。

なお、出典は基本的に「『表現の不自由展・その後』に関する調査報告書」に依り、同報告書から引用する際は「(報告書p〇)」と表記します。

**
あいちトリエンナーレのあり方検討委員会とは…
あいちトリエンナーレについて、県及び実行委員会等の関係団体における企画、準備、実行の体制、公金を使った芸術作品の展示、芸術活動への支援、開催時の危機管理体制、対外コミュニケーション等のあり方を、客観的・専門的見地から総合的に検証するとともに、今後の類似イベントの充実・改善に向けた意見を聴取し、あいちトリエンナーレ及び今後の類似イベントの開催に関する改善策をとりまとめ、その結果を知事に提言するために設置されたものです。(愛知県HPより)


前回のまとめ

「報告書」の全体所見3. 1)について以下の観点から検証しています。
①「表現の不自由展・その後」自体に本当に問題はなかったのか?
②批判したのは本当に「美術に関心のない人々」なのか?
③「個人の思想・心情を訴えるために利用した」のは誰か?

**
<「報告書」の全体所見3. 1)の趣旨>
「表現の不自由展・その後」に係る問題は
・作品の意図、企画者の意図と無関係であり
・美術に関心のない人々によるものであり
・個人の思想・心情を訴えるために利用された結果である

「表現の不自由展・その後」は全く悪くない
だが、愚かな大衆が高邁な思想を理解できずに騒いだがために問題化した。
社会に愚かな大衆が増えたことは大変嘆かわしいことである。


…………大変 アリガタイオコトバ だと思います。

前回 "①「表現の不自由展・その後」自体に本当に問題はなかったのか?"
について検証し、その結果

「表現の不自由展・その後」自体に数えきれない問題があり、まさに問題になるべくして問題になったと言うべきである。
市民に責任転嫁するが如き発言は、本当に不誠実且つ無責任な放言でしかない。

という結論に至りました。
引き続き、②の検証を行っていこうと思います。


1.アリガタイオコトバ に関する検証②

②批判したのは本当に「美術に関心のない人々」なのか?

前回と内容が重複しますが、
全体所見3. 1)は根拠データすらなく、事実関係すら無視して「表現の不自由展・その後」の自己正当化を図っているように見受けられます。

当然、「美術に関心のない人々」という客観的データも一切示されていません
度々主張しますが、
無根拠に芸術鑑賞者及び批判者(=市民)に責任転嫁するという非常識且つ不誠実且つ無責任な姿勢であると言わざるを得ません。

今回は "批判が「美術に関心のない人々」によりなされたのかどうか" について考えたいと思います。


1.-(1) あいちトリエンナーレ2019の評価

※本節は、津田芸術監督が「報告書」とは異なるデータ(2010年分のデータがあり、2019年分のデータも県のアンケート結果と異なる)を示しておられたため、それも含めて考察したものです。
しかし結果的に
"あいちトリエンナーレ2019の評価は大変悪い" という
これまでのおさらいのような内容になってしまいましたので、津田芸術監督のデータに興味のない方は 1.-(2) からお読みください


津田芸術監督
(あいちトリエンナーレの芸術部門の最高責任者)がtwitterであいちトリエンナーレ2019について、"あいちトリエンナーレ2019の『成功』を示すデータである" と誇らしげに示しておられる、あるデータに注目したいと思います。

津田芸術監督ツイート

来場者アンケート見るとあいちトリエンナーレ2019は過去4回で「大変良かった」と答えた人の割合が最も多いんだよね。それで過去最高の来場者と黒字出した。これでも適当な文句言われ続けるのがあいトリ2019なのです…。
(2020年7月29日 午後4:56 津田芸術監督ツイートより)

津田芸術監督ツイート資料

注目するべきは、津田芸術監督が示しておられる資料に於いて
・「大変良かった」の割合が、過去4年間でほぼ差がない
(津田芸術監督は割合が過去最高だったと誇っておられますが、例年平均とほぼ変わりません)
・「良かった」の割合が、過去4年間で2019年が最低
・「普通」の割合が、過去4年間で2019年が最高
・「良くなかった」の割合が、過去4年間で2019年最高(突出)

という、悪指標の増加が顕著に出てしまっている点です。

**
~「大変良かった」の割合~
 〇2010年全体 :27.5%
  2010年美術展:26.7%
 〇2013年全体 :27.3%
  2013年美術展:30.7%
 〇2016年全体 :24.2%
  2016年美術展:26.4%
 〇2019年全体 :29.1%
  2019年美術展:31.7%


~「良くなかった」の割合~
 〇2010年全体 :4.6%
  2010年美術展:3.6%
 〇2013年全体 :1.8%
  2013年美術展:1.3%
 〇2016年全体 :2.3%
  2016年美術展:1.9%
 〇2019年全体 :9.7%
  2019年美術展:6.6%

つまり、「大変良かった」の割合は、
 〇全体が最大で1.20倍(最低値の2016年との比較)
     最小で1.06倍(最高値の2010年との比較)
 〇美術展が最大で1.20倍(最低値の2016年との比較)
      最小で1.03倍(最高値の2013年との比較)
「良くなかった」の割合は、
 〇全体が最大5.39倍(最低値の2013年との比較)
     最小2.11倍(最高値の2010年との比較)
 〇美術展が最大5.08倍(最低値の2013年との比較)
      最小1.83倍(最高値の2010年との比較)

「大変良かった」の割合は最大でも1.20倍しか無いにも関わらず、
「良くなかった」の割合は最大で約5倍以上、最小でも約2倍程あることになりますね。

「大変良かった」の割合は正直、誤差の範囲に思われますが、
「良くなかった」の割合は有意にかなり悪化しているのです。

大雑把に2019年の評価を過去3年分と比較すると
「大変良かった」の割合:平均1.12%高い
「良かった」の割合  :平均0.78%低い
「普通」の割合    :平均1.30%高い
「良くなかった」の割合:平均3.60%高い

「大変良かった」の誤差の範囲と思える微増以外、
全て悪化しています(「良かった」が過去最低、「普通」が過去最高、「良くなかった」が過去最高(約4倍))。

この資料を、"あいちトリエンナーレの『成功』を示すデータである" と全世界にお示しになることができる津田芸術監督は、本当に色々な意味で非常に凄い方だと思います。

…「大変良かった」が例年の1~1.2倍になる代わりに、「良くなかった」が例年の2~5.4倍になり、他の評価群も全て明確に悪化したなら、

当然、 ”適当 (『適』切妥『当』) な文句" を受けるでしょう。批判を受けない方がおかしいと思います。いえ、批判を受ける必要があるのではないでしょうか。(何よりも、津田芸術監督には説明責任が生じてしまっていますが、その説明にすらなっていません)

こうやってデータ出して反論したら鍵をかけられて逃げられる。
美術批評家からは「突出した作品は全体の1割に満たない」「クオリティは近年至るところで行われているほかの芸術祭と同じような(低い)レベル」と酷評される。でも、観客こそがどういう芸術祭だったのかを知っていると思いますよ。
(2020年7月29日 午後7:09 津田芸術監督ツイートより)

津田芸術監督が示されたデータを見る限り、
美術批評家の方の酷評は断じて見当違いなどではなく
また、いみじくも津田芸術監督ご自身が仰っているように、
正に『観客こそがどういう芸術祭だったのかを知って』いたわけです


2019年は、観客データ(来場者評価)が示す通り、過去4年間で最悪のあいちトリエンナーレでした。
まさに『観客こそが知っている』明々白々な事実ということですね。


もう一つ注目するべき点は、
"2019年も、過去3回同様に「来場者アンケート」で評価を聞いていた" という点です。

私は以前(”問題点②” (2)-1. )、来場者アンケートについて、
2010年分は愛知県HPにて設問、結果ともに確認ができず、2019年分は評価を聞く設問がなかったと述べております。

2010年分に関しては、芸術監督という立場上、愛知県HPでは埋もれてしまったデータをお持ちでも不思議はありません。

しかし、2019年分に関しては、公表されている来場者アンケートに於いては、評価を聞く設問は存在しないのです(当然集計結果も存在しません)。
(報告書 別冊資料7 p35 より)

実際、アンケート結果を無理やり肯定的意見に繋げ、否定的な結果は一切排除した、大変不誠実無責任な愛知県の「報告書」でも触れられていません。

もし津田芸術監督の示されるようなデータがあったなら、
「表現の不自由展・その後」を肯定するために「報告書」全体所見2. 同様に、
"アンケート結果によると、あいちトリエンナーレ2019及び「表現の不自由展・その後」は、過去4回で最高の評価を受けたと言える"
等と不誠実無責任恥知らずにも結論したであろうことは想像に難くありません。

つまり、
①「報告書 別冊資料7」で公表されている「来場者アンケート」及びその結果が誤っている
②津田芸術監督の示した2019年分のデータは、県が把握していないものである
のいずれかであると思われます。

いずれの場合にしろ、
「資料が誤っている、調査内容・結果を全て把握できておらず、掲載漏れがある」、又は
「事実と異なる(県(トリエンナーレ実行委員会)が実施したものではない)アンケート調査の結果をあたかも例年と同じ調査の結果であるかのように提示している」
と、不誠実で無責任であるという批判は免れないとは思いますが、どちらなのでしょうか?


ここで、実施したアンケート一覧を掲載しているページ (報告書 別冊資料7 p34) に大変興味深い記述を見つけました。
県に情報提供されていない、"表現の不自由展実行委員会が独自で実施したアンケート" なるものが存在する模様です。

上記の種別以外に、表現の不自由展実行委員会が独自で実施したアンケートがあったが、取りまとめ結果については、提供されていない。(報告書 別冊資料7 p34)

となると、上記の②"津田芸術監督の示した2019年分のデータは県が把握していないものである" という可能性が高いですね。
そうであれば、県の発表している「報告書」及び「別冊資料7」に一切記載、言及がないことも納得できます。

**
県(トリエンナーレ実行委員会)が実施したものではなく、これまでの「来場者アンケート」と実施方式等が同じであるとは言えないかと思いますので、
その旨を伏せて、過去3回の調査結果と同列に並べて比較することは決して誠実とは言えないかとは思いますが…


ただ、もし仮に "表現の不自由展実行委員会が独自実施したアンケート" の結果であったとしても、県が実施した複数のアンケート結果と、結果的に傾向は同じです。


以前の記事 ("問題点② (2)-1.")  のおさらいになってしまいますが、県が実施した2種類のアンケート(広聴及びインターネットリサーチ)では、
評価項目が
「とても良い」
「良い」
「どちらとも言えない」
「悪い」
「とても悪い」
の5項目と、従来の「来場者アンケート」の設問と異なる方式で実施* されています。

*厳密には、2019年も県によって「来場者アンケート」が実施されたのですが、その設問は過去3回のトリエンナーレとは異なっており、"来場者の評価を聞く項目" がなくなっていました。 (詳細は "問題点② (2)-1." をご覧ください)

あいちトリエンナーレ2016及び2013の悪評価(良くなかった)は 2.3%、1.8%(平均 2%)に対し、
2019年の悪評価(悪い、とても悪い)は 34.2%、13% です。仮に広聴とインターネットリサーチを平均しても、平均 23.6% と過去2回の平均を10倍以上上回ります。

「報告書 別冊資料7 p44~68」に示されたデータで過去2年と比較すると、
・「とても良い」の割合は、微減
・「良い」の割合は、減少
・「普通」の割合は、減少
・悪評価の割合は、激増(突出)
となります。

**
~あいちトリエンナーレ2019に関する広聴~
  〇とても良い    :19.9%
  〇良い       :31.8%
  〇どちらとも言えない:10.0%
  〇悪い       :  8.1%
  〇とても悪い    :26.1%


~インターネットリサーチ~
  〇とても良い    :25.9%
  〇良い       :50.0%
  〇どちらとも言えない:11.1%
  〇悪い       : 5.6%
  〇とても悪い    : 7.4%


あいちトリエンナーレ2016 来場者アンケート結果
  〇大変良かった   :24.2%
  〇良かった     :56.2%
  〇普通       :17.3%
  〇良くなかった   :  2.3%

あいちトリエンナーレ2013 来場者アンケート結果
  〇大変良かった   :27.3%
  〇良かった     :57.5%
  〇普通       :13.4%
  〇良くなかった   :  1.8%

※あいちトリエンナーレ2010の来場者アンケート結果は愛知県HPから発見できませんでした
※愛知県HPで公表されている「来場者アンケート」の来場者評価の結果は、津田芸術監督の資料の「全体評価」と数値が同じです。
一方、津田芸術監督の資料の「美術展評価」に関しては愛知県HPから発見できませんでした

「普通」の割合は減少していますが、その代わりに悪評価の割合が大変激増(10倍以上)しているため、
悪指標の増加が顕著という点に於いては
津田芸術監督が示された資料での例年比較と同一傾向にあると言えるでしょう。

**
県のアンケート調査結果では、あいちトリエンナーレ2019の評価に関し、"「とても良い」の割合が (誤差と思われる範囲であれ) 最高だった" とすら言えないため、
あいちトリエンナーレ2019の評価は例年と比較して良いところが全く無い
という結果になっています。

そのため「報告書」では、当然のように当該調査結果は完全に黙殺されています。実に不誠実無責任恥知らずな姿勢だと思います。


さて、県が実施したアンケート結果でも、津田芸術監督が示されたアンケート ("恐らくは表現の不自由展実行委員会独自実施アンケート") 結果でも、


2019年は、過去最悪のあいちトリエンナーレだったということが、他ならぬ
観客(アンケート結果)によって明確に示されている
と結論できますね。

なんだかこれまでのおさらいのようになってしまっておりますが、
あいちトリエンナーレ2019の来場者評価は例年で突出して最悪だった
ということが改めて示された形になりました。


そして、あいちトリエンナーレ2019に対する最悪な評価は、
「表現の不自由展・その後」の悪評価がそのままトリエンナーレ全体への悪評価に繋がってしまった結果であると言える
というのが、前回 ("問題④") 導出された結論でした。

「表現の不自由展・その後」の問題の大きさが大変よくわかると言えるでしょう。


1.-(2) 「表現の不自由展・その後」を批判した人は?

あいちトリエンナーレ2019の評価が過去最悪で、その主因は「表現の不自由展・その後」であるという結論が改めて出たところで、
本題に戻り "「表現の不自由展・その後」を批判した人" について考察したいと思います。

「報告書」全体所見2.で、「表現の不自由展・その後」を正当化するためだけに使用され、批判的な結果は捨象されたアンケート結果を見てみましょう。

**
アンケートについては、"問題点②" "問題点③" で詳しく述べております。ご一読いただきますと、本節の内容がご理解いただきやすいかもしれません(クリックでリンク先記事へジャンプします)。

来場者及び非来場者に対するアンケートは以下の2種類です。
〇あいちトリエンナーレ2019に関する広聴
〇インターネットリサーチ

国際芸術展である あいちトリエンナーレ にチケットを購入してまで来場した参加者が "「美術に関心がない」とは絶対に言えない" と思いますので、
来場者の「表現の不自由展・その後」に係る感想(5段階評価)を見てみましょう。

前々回の "問題点③" と内容が重複してしまうのですが、

「表現の不自由展・その後」を見た人の感想は悪評価(悪い、とても悪い)が非常に多いと言わざるを得ない状態です。
インターネットリサーチで25%、広聴に至っては55.8%と「表現の不自由展・その後」を見た人の実に6割近くの人が感想で悪評価だと回答しているのです。

**
<「表現の不自由展・その後」に係る感想>
~あいちトリエンナーレ2019に関する広聴~
回答対象:来場者且つ「不自由展・その後」を見た人
  〇とても良い    :17.9%
  〇良い       :13.7%
  〇どちらとも言えない:  6.3%
  〇悪い       :  4.2%
  〇とても悪い    :51.6%


~インターネットリサーチ~
回答対象:来場者且つ「不自由展・その後」を見た人
  〇とても良い    :21.9%
  〇良い       :43.8%
  〇どちらとも言えない:  9.4%
  〇悪い       :12.5%
  〇とても悪い    :12.5%

あいちトリエンナーレ2016、2013の全体に対する悪評価の割合が 約2% だったことから考えても、
「表現の不自由展・その後」の悪評価が、10~25倍以上もあるという事実は、大変な異常事態であることがわかります。

**
<来場者アンケート結果>
・2016年の悪評価(良くなかった):2.3%
・2013年の悪評価(良くなかった):1.8%


無論、「表現の不自由展・その後」に対して悪評価をつけた全員が「表現の不自由展・その後」を「批判」していたとは限りませんが、
その多くは批判していたであろうことは想像に難くありません(そうでなければわざわざ悪評価をつけません)。

実際、「報告書 別冊資料7 p51~61」を見ると、自由意見を聞く設問で「表現の不自由展・その後」に対して数多の否定的意見*が述べられていることがわかります。

*インターネットリサーチに於ける自由意見については「報告書 別冊資料7」に記載されていないため、自由意見に関しては広聴のみの結果となっています。
**
<あいちトリエンナーレ2019に関する広聴 「否定的な意見」の一部>
(報告書 別冊資料7 p51~61)

・芸術を履き違えている。偏向している。良い点がない
・プロパガンダを芸術と嘯き、公費で展示するとは許されない。私費で行うべき
・国民の心をズタズタにする展示物は醜悪そのもの。芸術ではなくプロパガンダである
・日本人の気持ちを逆撫でするものばかりで非常に不愉快
・芸術の名を騙るプロパガンダ。到底容認できない
・公金の不正投入である
・これが芸術ならば、今後トリエンナーレは開催しないでほしい
・作品をアートとしてではなく、政治的プロパガンダとしか扱っていないと受け取れた
・政治的プロパガンダ非常識そのもの
・政治的プロパガンダで芸術とは思えない
・これは芸術ではない
・作品も容認できない。大村知事に説明してほしい
・言語道断。嫌悪感を覚える。品格を疑わざるを得ない
・どこに芸術性があるのか芸術監督と知事に問いたい
・常識に照らして展示すべきではない
・税金の無駄遣い
…等々


更に
、会場で来場者に配布された「来場者アンケート」に於いても、自由記入欄で作品内容、運営の仕方等に否定的な意見が述べられていることがわかります。

**
<来場者アンケート「否定的な意見」の一部>
(報告書 別冊資料7 p36~43)

・ジャーナリズム色が強すぎる
・韓国慰安婦団体に切り取り利用されているが、当然予想されること
・展示中止による各方面への迷惑等、イメージダウン
・世界に誤った情報を発信した。危機管理能力がなさすぎる
・内容が偏りすぎている
県として恥ずかしい内容
・展示中止に際しての手際が悪すぎる当然想定できたはず
・芸術監督が表に出すぎている
見る人にも優しい展示を願う
・芸術監督がジャーナリストであるためか、作品がアートを楽しむものではなく、社会批判的要素が強く出すぎている
・「炎上」することは分かりきっていた。知事はおかしい
…等々


…まぎれもなくあいちトリエンナーレ2019の参加者、つまり「美術に関心のある人々」から非常に批判されていると思われる結果ですね。

**
当然ですが、「報告書 別冊資料7 p36~43」には「表現の不自由展・その後」及びあいちトリエンナーレについて、肯定的な意見も記載されています。
(「報告書」に於ける不誠実無責任恥知らずなアンケート結果の利用のされ方に鑑みると、県としてはそちらが主目的であっただろうと思われます)

つまり、「美術に関心のある人々」は、当初から「表現の不自由展・その後」を問題視し、批判し声を上げていたのです。
それは上記アンケート結果から明白です。

「報告書」全体所見3. 1)が主張するような、
「表現の不自由展・その後」に係る問題は、「美術に関心のない人」が騒い結果
ということでは、断じてありません。

ここでもやはり「報告書」の不誠実且つ無責任且つ恥知らずな姿勢が明らかになったと言えますね。


一方、
"「報告書」の記述は、『関心のない人々を巻き込み』と表記しているため、批判者のごく一部が「美術に関心がある人」でも問題ない!! "
というご意見もあるかもしれません。


〇それに対する反論ですが、

確かに、「報告書」全体所見3. 1)は、
"美術に関心のない人々を巻き込み(中略)いわゆる「炎上」を招くことにつながった" 
と述べています。

<全体所見3. 1)>
拡大するネット環境によって社会の二極化や分断の進行が露わになるとともに、いわゆる「反知性主義」の存在が可視化されたのではないか。
(中略)
来場者が写真を投稿することで作品が企画者の意図とは切り離されて注目を集める結果を招いた(中略)。こうした個人の解釈によるSNS投稿は、さらに作品の意図とは無関係な、美術に関心のない人々を巻き込み、彼ら個人の思想・心情を訴えるために利用され、いわゆる「炎上」を招くことにつながったと言えよう。(報告書p5)
**
全体所見3. 1)の「反知性主義」(≒非理性的、感情論者)発言に関する考察は、"問題点④ 1. " にて述べております。
"芸術鑑賞者や批判者(=市民)にここまでの責任転嫁を行ったものが未だ嘗て存在したのか" 
と言いたくなるほどに大変不誠実且つ無責任且つ恥知らずな放言だと思います。


所謂「炎上」とは、「批判の嵐」のような意味合いですね(過激な、度を越した、中傷等の域に入ったものも含める場合もあります)。
そして、内容が重複しますが、「表現の不自由展・その後」を真っ先に批判していたのは、「美術に関心のある人々」(=トリエンナーレ参加者) です。

その数については、
あいちトリエンナーレ2019が歴代で突出して評価が悪い結果となった各種アンケート調査からもわかるように、決して少なくありません


「報告書」は、何故、「表現の不自由展・その後」を批判している人々の大半が「美術に関心のない人々」だと分かったのでしょうか?

所謂「炎上」(=批判の嵐) に至った理由に、『美術に関心のない人々(=「反知性主義」)が介入したから』と主張するのであれば、
当然、アンケート結果等でその証拠が示されていなくてはなりません。


「美術に関心のある人々」が一切批判をしていないのであればともかく、実際に数多くの人々批判をしていることは、上記各種アンケート結果からも明白です。


その事実を、
"県の思惑に反して、「表現の不自由展・その後」を批判しているため不都合である" という理由から、
その存在に、"大半は「美術に関心のない人々」(=「反知性主義」) である" というレッテルを貼り
結果、
トリエンナーレ参加者(=「美術に関心のある人々」) に最低の方法で責任転嫁した
としか考えることができません


これまでに述べた「報告書」の不誠実無責任恥知らずな姿勢に鑑みて、批判者であるトリエンナーレ参加者も含めた「美術に関心のある人々」に、「反知性主義」とレッテル貼りし、「表現の不自由展・その後」の無理やりな肯定を行おうとしているとしか思われないのです。

やはり、不誠実且つ無責任且つ恥知らずな姿勢であると言わざるを得ませんね。


今回の結論(最低な方法で責任転嫁)

繰り返しになってしまいますが、
各アンケート結果は、「報告書」全体所見2. に於いて 
"「表現の不自由展・その後」の再開について理解が得られていた" ことの『証拠、根拠』として、そのごく一部が利用されてました。

このように、アンケートの多くのケースでは再開を望む声が中止を上回っており、また、中止が上回ったケースにおいてもその差はわずかであり、いったん中止した「表現の不自由展・その後」を再開したことに対しては、おおむね理解が得られていたと言える。(報告書p4)

しかしその一方で「報告書」は、
アンケート結果が「表現の不自由展・その後」に否定的な結果であった場合、一切述べず、分析も総括もしない
という大変不誠実且つ無責任且つ恥知らずな態度をとっています。

同じアンケートで出てきた結果について、
一部の結果は『証拠、根拠』として『活用』する一方、
残りの結果は『無視』する

というのは、誠実でもなければ論理的でもありません。結果が自説に有利であれ、不利であれ、データとして平等に扱わなくてはなりません。


これまでの検討・分析*で、
各アンケートは肯定的結果が得られた部分だけを抽出し、「表現の不自由展・その後」を正当化するためだけに実施され、
報告書に於いて "アンケート結果が恣意的に利用(結果を無視する場合を含む)されている" 
ということは明らかになっています。

* "問題点①" 、 "問題点②" 、 "問題点③" 、本稿にて述べております。
(クリックでリンク先記事へジャンプします)。

従って今回、またしても「報告書」の不誠実さ、非論理性が明らかになったということですね。


しかも今回は、
「表現の不自由展・その後」を批判している "トリエンナーレ参加者も含む「美術に関心のある人々」(=事業の本来の対象者にして、事業に賛成してくれていた人々)" に対し、
「表現の不自由展・その後」を無理やり正当化するために、「反知性主義」などとレッテルを貼り、問題の責任転嫁を図った
という点で、


〇「表現の不自由展・その後」を批判していたのは「美術に関心のない人々」ではなかったが、
「報告書」は最低且つ不誠実且つ無責任且つ恥知らずにも、自己正当化のために、それらの人々に責任転嫁を行った


と言わざるを得ません。


「表現の不自由展・その後」を無理やり正当化するためならば何でも行うその姿勢には一種の清々しささえ感じるほどです。

このような姿勢で、真摯に問題の原因究明を行い、説明責任を果たし、市民、国民、協賛企業、芸術家、世界に対し、失われた信頼を取り戻すことができるのか、甚だ疑問と言わざるを得ません。

**
私はこの「報告書」を読み進むにつれ、ますます愛知県(トリエンナーレ実行委員会)への信頼が失われております

この「報告書」の「全体所見」を読んで、
愛知県は説明責任を果たし信頼を取り戻した
「表現の不自由展・その後」は正しかったのだ
と思う方が果たして存在しているのか、私にはわかりません
それ程無理のある、そして不誠実無責任恥知らず最低な姿勢だと思います。



また時間のある時に、続きの記事を作っていきたいと思います。
事実誤認、誤り、不足等ございましたら、ご指摘いただければ幸甚です。追加、修正させていただきたく思います。