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「男女平等」か「ジェンダー平等」か──イギリス王位継承ルール変更の「パンドラの箱」(令和6年5月31日)


2013年イギリス王位継承法は、「王位継承をジェンダーによらない(not depend on gender)ものとし、王族の婚姻に関する規定を設ける等の法律」という長文題名がついているように、「ジェンダー平等」を明確に謳っている。〈https://www.legislation.gov.uk/ukpga/2013/20/enacted〉

ところが、以前、紹介した河島太朗・国会図書館主任調査員の翻訳では「性別によらない」とされていて、「ジェンダー平等」というより「男女平等」が継承ルール変更の原理であるかのように聞こえる。

「男女平等」と「ジェンダー平等」はけっして同じではないと思うので、その違いにこだわって、少し考えてみたい。イギリス王室の将来に深刻な事態を招くのと同時に、ひるがえって日本の皇位継承問題に困難な影響を及ぼしかねないからだ。

◇1 法律施行までの紆余曲折

今回の王位継承ルール変更は、初めから「ジェンダー平等」で一貫していたわけではない。

ルール変更の出発点となったのは、2011年9月末にキャメロン首相が英連邦諸国首脳に書き送った書簡である。書簡そのものは公開されていないようだが、すでに書いたように、当時の報道では「ジェンダー平等」と表現されていると伝えられる。〈https://www.theguardian.com/uk/2011/oct/12/cameron-commonwealth-royal-succession-reform〉

キャメロン首相は、これもすでに書いたことだが、2005年暮れに保守党党首となったころからゲイ・コミュニティとの関係を深め、党の支持を拡大させていったことからすれば、「男女平等」ではなくて「ジェンダー平等」が継承ルール変更の推進力であったものと思われる。

ところが、同年10月28日のパース協定には「ジェンダー」は登場しない。これもまた既述したことだが、「男子優先の継承ルールの廃止」と記しているに過ぎない。〈https://publications.parliament.uk/pa/cm201012/cmselect/cmpolcon/1615/1615.pdf〉

エリザベス女王が会議を召集したことを伝えるBBCニュースも、首脳たちの合意を伝えるBBCニュースも、「ジェンダー」とは表現していない。女王は「女性は社会において、より大きな役割を果たすべきだ」とだけ述べたとされる。〈https://www.bbc.com/news/uk-15488237〉〈https://www.bbc.com/news/uk-15492607〉

しかしパース協定の結果を受けた王位継承法案には、「ジェンダーによらない王位継承」とはっきり書き込まれている。イギリス政府は間違いなく「ジェンダー平等」を標榜していることになる。〈https://bills.parliament.uk/bills/1121〉

イギリス下院に設けられた政治・憲法改革特別委員会が2011年暮れに発行した報告書の本文、議事録などには「ジェンダー」が何カ所か登場する。しかし委員会が王位継承と「ジェンダー」の関わりについて深い議論を交わしているわけではない。〈https://publications.parliament.uk/pa/cm201012/cmselect/cmpolcon/1615/1615.pdf〉

新しい王位継承法は2012年12月13日に公布され、翌2013年4月25日に国王によって裁可され、そして2015年3月26日に施行された。この日、公表されたニック・クレッグ副首相(自民党)の声明には「ジェンダー」はない。「歴史的な女性差別の撤廃」と述べているだけである。〈https://questions-statements.parliament.uk/written-statements/detail/2015-03-26/HCWS490〉

◇2 世襲の王位は平等原則の例外なのに

ここまで書いてきて、どうにもモヤモヤ感が否めないのは、「男女平等」で一貫するならまだしも、ときに「ジェンダー平等」と表現されていることだ。パースでの会議以降、議論を重ねているのは、あくまで「男女平等」なのかもしれないが、それなら継承法にわざわざ「ジェンダー」と書き込む必要はないのに、なぜ「ジェンダー」なのかである。

キャメロン首相(保守党党首)がゲイ・コミュニティと関係を深めていったのと時期的に重なるのは、もしかすると単なる偶然かも知れない。つまり、立法者たちにとっては「男女差別」の撤廃こそが目的なのかも知れない。それならなぜ「ジェンダー」なのか。法律が「ジェンダー」を謳っている以上、これから先、簡単には済まないものと予感される。

そもそも議論の仕方を誤っていないだろうか。法の下の平等は普遍的価値であり、いかなる差別もあってはならない。しかし、小嶋和司・東北大教授(憲法学、故人)が強調していたように、男女差別の撤廃は「人権」保障に関わる問題だが、王位継承権はおよそ「人権」ではあり得ない。血統主義に基づく世襲の王位は平等原則の例外のはずである。

にもかかわらず、イギリス王室はもっとも重要な王位継承ルールに、「男女平等」どころか、「ジェンダー平等」を導入した。となると、正義の行動のはずが、皮肉にも、より困難な状況を招くことを覚悟しなければならなくなるかも知れない。

たとえば国王が同性愛者だとしたらどうだろう。よしんば同性婚が認められたとして、子女は生まれず、王統は途絶えてしまう。いまさら世襲を不可能とする即位は認めないと拒否するわけにもいくまい。世襲自体が過去の遺物とみなされてさえいるのだから。

つまり、次世代への王位継承が最初から不可能な国王が、合法的に存在し得る。そして王統は確実に絶え、王朝は終わる。従来なら、女王即位の次は、王統は王配の家系に移り、新たな父系継承が始まった。王族同士の婚姻がそれを可能にしていた。しかしこれからは必ずしもそれができない。王族同士の同等婚という原則を失い、非王族との婚姻が続いている現代の王室は、傍系を求められるとは限らないからだ。

王位のあり方は国民が期待する国王の役割とも関わる。一般には「公務」とされるが、だとすれば、男女の区別は不要だ。ジェンダーは無関係である。骨の折れる仕事を人並み以上にやり遂げたと高く評価されるエリザベス女王の実例と実績が目の前にある。それなら長年にわたる男系継承とは何だったのか。キャメロン首相が断じたように「時代遅れ」なのか。

下院の特別委員会に参加した議員たちは今回のルール変更を、「ミミズの缶詰めを開ける(パンドラの箱を開ける)」とたとえているが、イギリスは開けてはならないものを開けてしまったのかも知れない。日本ではヨーロッパ王室の改革に学ぼうと主張する知識人もいるが、慎重さに欠けていないか。

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