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鎌倉のセンセの思い出 1 葦津珍彦先生歿後25年の墓参(令和6年4月4日)


先月、鎌倉のセンセが亡くなった。お付き合いするようになったのは、まだ二十代のころだったから、もう40年になる。

最後にお会いしたのは、センセの父君、戦後唯一の神道思想家と称される葦津珍彦先生の歿後25年の集まりだった。ごく親しい10人が呼ばれたのだが、思いがけず私もその末席を汚すことになった。

駅の西口に集合したとき、すでにセンセが待ち構えていた。帽子をかぶり、杖をついていた。以前より痩せていた。退院したばかりとのことだった。

しかし饒舌だった。そして元気だった。奥津城までは徒歩で15分以上かかる。まして病み上がりなのに、杖など不要なほどハイテンションで、タクシーを呼ぶのをやめて、軽やかに、にこやかに歩かれた。軽快に歩けるのが自分でも不思議だと顔をほころばせた。

自宅近くで酒席を囲んだ。「親父のことをいまも思ってくれる人たちがいるのは、親父は幸せ者だ」。センセは笑い、言葉を詰まらせた。そしていまが時代の節目だと力説された。

「奥さんと一緒に泊まりに来たら」と誘われたが、とうとう果たせなかった。かえすがえすも残念である。

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