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御代替わりの儀式──践祚、大嘗祭そして改元まで

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平成の御代替わりでの議論は徹頭徹尾、政教分離がテーマでした。そして令和の御代替わりもまたしかりでした。天皇がなさる儀礼には宗教性があるということなのですが、それは如何なるものなの…
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2024年7月の記事一覧

御代替わり諸行事を「国の行事」とするための「10の提案」(2018年6月10日)

御代替わり諸行事を「国の行事」とするための「10の提案」(2018年6月10日)

関係者各位

拝啓 皆々様にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

さて、次の御代替わりまで、早くも一年足らずとなりました。

政府は「前例踏襲」を基本としており、古来の儀礼が非伝統的、非宗教主義的に変更された前回同様の不都合が繰り返されます。次がそうなら、次のまた次も同様であり、いまのままでは「伝統尊重」とは懸け離れた御代替わりのあり方が確定されます。

きわめて憂慮すべき事態であり、国

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有識者たちに望みたい天皇・皇室論の学問的深化──第2回式典準備委員会資料を読む 10(2018年6月17日)

有識者たちに望みたい天皇・皇室論の学問的深化──第2回式典準備委員会資料を読む 10(2018年6月17日)

 第2回式典準備委員会の資料を検証する作業を続けます。

 前々回から、大嘗祭について考えています。前回は番外編的に「御代替わり諸儀礼を『国の行事』とするための『10の提案』」を呼びかけましたが、今回はもう一度、践祚に戻ります。

 御代替わり時のさまざまな問題が浮き彫りになったところで、政府のヒアリングに招かれた有識者たちの発言をあらためて検証してみたいからです。

 結論的にいえば、天皇・皇室

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「立皇嗣の礼」=国事行為を閣議決定。もっとも中心的な宮中三殿での儀礼は「国の行事」とはならず(令和2年3月24日)

「立皇嗣の礼」=国事行為を閣議決定。もっとも中心的な宮中三殿での儀礼は「国の行事」とはならず(令和2年3月24日)

政府は今日の閣議で、来月に予定される「立皇嗣の礼」のうち、「立皇嗣宣明の儀」と「朝見の儀」について、天皇の国事行為として行うことを決定しました。〈https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/202003/24_a.html

▽1 国民を前にして伝進される壺切御剣

先々月末、1月29日に開かれた宮内庁の大礼委員会では、以下のような関連行事が予定されていまし

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朝日新聞が「立皇嗣の礼=憲政史上初」を強調する隠れた思惑(令和2年11月9日)

朝日新聞が「立皇嗣の礼=憲政史上初」を強調する隠れた思惑(令和2年11月9日)

新型コロナの影響で延期されていた秋篠宮文仁親王の「立皇嗣の礼」は8日、中心的儀礼である宣明の儀が行われました。殿下は名実ともに皇太弟となられ、悠仁親王までの皇位継承の流れがこれで確定することとなりました。

さて、それはそれとして、このたびの立皇嗣の礼に関する報道で少し気になることがありましたので、書こうと思います。それは朝日新聞などのメディアが今回の「立皇嗣の礼」を「憲政史上初」「史上初」と大仰

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「皇太子を望まれなかった」? 皇太弟は何をお悩みなのか、『帝室制度史』から読み解く(令和2年11月23日。新嘗の祭りの日に)

「皇太子を望まれなかった」? 皇太弟は何をお悩みなのか、『帝室制度史』から読み解く(令和2年11月23日。新嘗の祭りの日に)

新型コロナの影響で延期されていた「立皇嗣の礼」が今月8日、挙行された。次の皇位継承者が名実ともに確定される国家的慶事であるが、まさにその当日、あたかも冷水を浴びせるかのようなコメント記事が朝日新聞に掲載された。なんと皇太弟ご本人が「皇太子を望んでいない」というのだから穏やかではない。〈https://www.asahi.com/articles/ASNC853WTNB6UTIL032.html

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明治の「立儲令」と来月の「立皇嗣の礼」は何が違うのか?(令和2年3月29日)

明治の「立儲令」と来月の「立皇嗣の礼」は何が違うのか?(令和2年3月29日)

(画像は立儲令)

4月に予定される「立皇嗣の礼」で中心となるのは19日の「立皇嗣宣明の儀」「朝見の儀」と21日の「宮中饗宴の儀」の3つです。いずれも「国の儀式」として皇居宮殿で挙行される予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大で「宣明の儀」は参列者の規模を縮小することとなり、「饗宴の儀」は「取り止め」となりました。〈https://www.kantei.go.jp/jp/singi/gishi

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中曽根議員は立太子礼「国事」論を主張し、宇佐美次長は「神道との訣別」を明言した占領末期の国会審議(令和2年3月30日)

中曽根議員は立太子礼「国事」論を主張し、宇佐美次長は「神道との訣別」を明言した占領末期の国会審議(令和2年3月30日)

公益財団法人モラロジー研究所の皇室関係資料ポータルサイト「ミカド文庫」は、「立太子礼」について「明治42年(1909)の『立儲令』に基づき、大正5年(1916)に迪宮裕仁親王(のちの昭和天皇)が、また昭和27年(1952)に継宮明仁親王(のちの今上天皇)が、さらに平成3年(1991)浩宮明仁親王(現皇太子殿下)の立太子の儀が行われた」と説明しています〈http://mikado-bunko.jp/

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