35歳になった

今年で35歳になった。
自分は会社員だ。給料はなかなか上がらないが、お人好しな人材が集まる弊社はなかなか居心地がよく、仕事にはそれなりにやりがいを感じている。
プライベートでは、昨年結婚をした。今年の8月には第一子となる娘が生まれた。家族は本当に愛おしい。信頼できる妻、何もかもが愛らしい娘。幸せである。

それなりに充実した人生。周りにどう思われるかは知らないけど、けっこう幸せだ。文句なんて何もない。

文句はない。
でも、それがたまに違和感である。

17歳、ミッシェル・ガン・エレファントを聴きながら部屋で1人エアギターを弾いていた少年は…
20歳、POLYSICSに憧れてDTMなんて何もわからないまま手探りでCubaseを操っていた大学生は…
27歳、アシンメトリーの前髪を振り回し体を痙攣させながらデヴィッド・バーンのように目ん玉をひん剥いてカッティングギターを鳴らしながら歌っていたバンドマンは…

今、この状況をどう思うだろうか?

夢を諦めたつもりなんて一度もない。
諦めたつもりは一度もないが、気が付けば夢の優先順位は下へ下へと下がっていった。

たまにギターを持ってみても、歌いたいことなんて何もない。
世界をひっくり返したくなるようなハングリー精神も初期衝動もない。

今、それなりに、幸せだ。
それが何だか、違和感だ。

大人になった今わかるのは、自分はそこまでの人間だったってこと。
夢を忘れたことは一度もないが、夢と本気で向き合うこともほとんどなかった。
本気のポーズだけ取って、大学卒業後、フリーターになった。

本気とポーズの違いがわからなかった。
バンドを組んで、月に何回か客のいないライブハウスでライブをして、チケットノルマをハコに取られて、それが本気だと思い込んでいた。

ポーズと本気の違いがわかってきた時、一瞬だけ本気になった。
場所を選ばずストリートライブをしてみたり、完全自主制作でアルバムを作ってネット配信してみたり、自主企画をライブハウスに持ち込んでみたりした。
本気でやってみたら、苦しくて一瞬で辞めたくなった。
音楽しかないくせに、本気のポーズしか取ってこなかった自分が大嫌いになった。
20代の終わり、逃げるように就職をした。

社会に出て、自分の小ささを知った。
29歳にもなって自分は何者にでもなれると思ってた男は、鼻をへし折られ、自分は自分にしかなれないと悟った。

次第にありのままの自分を受け入れるようになった。
無理なことは無理、向いてないものは向いてない。
馬鹿みたいな夢は見ず、目の前の幸せを大切にする様になった。

今一番大事なものは家族だ。
そして家族を守るため、どうしようもない自分を拾ってくれた会社のため、与えられた役割が満更でもないと思っている自分のために働いている。

それで良い。それが正解。
本気でそう思っている。

ただ、夢を見続けていた自分に、少し申し訳なさを感じている。

ここまでダラダラと文章を書いてきたが、noteを書いてみたのは、自分の中ですっかり影を潜めてしまった夢見がちで尖っていて、気持ち悪いけど愛おしい自分に光を当ててあげたいと思ったからである。

今後、このnoteにどんな文章を書いていくかは未定である。
今回の記事で満足して今後何も書かない可能性もあると思う。

ただ、一般社会に併合して幸せというぬるま湯に浸かっている裏に確かにあったもの…

初期衝動、反骨精神、ステイハングリー、エバーグリーン、本音、好奇心、オタク心、すけべ心、厨二病、童貞…
※こういった諸々を自分は「パンク」と呼ぶ

noteを使って、たまにはそんな自分とじっくり会話してみようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?