女は差別主義者であるという差別という皮肉

女の殆どは虫嫌いであると思う
そして猫や犬は好きな者が多かろう
男にもその傾向は言えるが虫への嫌悪感を抱きそれを露骨に示すのは女が多い
故に女ほど差別主義者であると言える

ただしそれは女達個人個人が原因ではない
その原因は多くの差別がそうであるように
「そう教えられてきたから」である

「虫は気持ち悪い」
「みんなと同じであれ」
「女は多少の我儘は許される」

そのような(暗黙的にせよ明示的にせよ)教育や訓練が存在しそこに疑いをもつ賢さを持たないようにもやはり教育ないし訓練されている

(訓練の意味を履き違える人がいそうな予感)

では何故そのような教育や訓練が存在するか

虫は気持ち悪いについて
虫は人間にとってどのような存在だろうか
益虫、害虫という二字熟語がある通り人間にとって益する虫もいれば害となる虫もいる
虫が生態系にとって重要な役割を持っていることは義務教育を修められる日本人であるならば周知のことであろうからここでは人間にとってと言う部分に絞る
人間にとっての益をみると例えばミミズなどが土壌に与える影響は基本的に「好い事」であり、我々が作物を摂取しなければならない有機的存在である以上は虫がいなければ我々は生きていけないと言い切ることさえ可能に思えるほどである
一方で害に目を向けるとやはりこちらもその規模も威力も計り知れないと言える
人類を最も殺している生物が蚊であるとビル・ゲイツが画像で喧伝したことがあり虫による病気の媒介は我々日本人にも想像が容易い事であるように思う
その面を見て虫は危険な存在であるとする捉えることもできよう
病気でなくともハチやムカデのように元々毒を持つ虫がいる
アリやハエのように隙あれば食物に集ってくる虫もいる
ダニや毛虫の類は痒みという耐え難い状態を引き起こすものであり
それがアレルギーを起こすと言う場合もある
カメムシのように不愉快な匂いを発生するものもあればバッタなどのように作物をダメにするものもある
なのでそういった虫の負の側面を見て虫を「忌避やら嫌悪すべき存在」とするのは想像に難くないことだ

ここまで益と害を書いてきて思ったこととして、現代日本人の多くは一次産業に従事せずとも良いという背景等も関係している予感がわいた
昔はほとんどの物にとって一次産業が身近であっただろうし
今ほど建物の密閉性や高さも高くなかったと思う
益虫も害虫も身近であったろう
しかし現代はそうではない
そうではないから虫の身近さは昔に比べると希薄になり続けていることと思う
身近じゃないからそれが現れればそれは日常ではなくアクシデントやイベントの類となる
身近じゃないから未知であり怖いと思う
そんな面があるような気がした
それともう一つ
垢抜けないダサい人を芋と呼ぶことにも表れていると思うが
一般に
特に若年層にとって
一次産業やそれが行われている郊外〜田舎よりも都市や都会や二次以上の産業のほうが「カッコいい」「憧れの対象」もっと平易にいえば「良いもの」とされる風潮があるように思う
「田舎的なもの」「有機的であるもの」「アナログであるもの」は忌避厭悪され「都会的なもの」「無機的であるもの」「デジタルであるもの」がた尊ばれる傾向があるように思うのだ
虫は当然田舎的で有機的でアナログチックな存在なので忌避厭悪されるのではないか
そのように思う
都会的な人間ほど「ムダ毛」を嫌う印象があるがその「ムダ毛に対する嫌悪感」と「虫に対する嫌悪感」はかなり近いものであると個人的に感じている
彼らは「キッチリしたい」のであり「雑然とした」「自然のまま」を厭悪する
不自然に都合よく切り取られた「木の温もり」などと言っても実際に木々生い茂る山奥に住むつもりはなくそこにある各種の「不都合」は彼らにとって恐らく「悪」とさえ言えるように思う
虫はその中でもとりわけかなり最初の方に挙げられ易い存在ではないか
端的に言えば雑然とした下草に入りたがる六本木女子はいないだろうということ
これは「女子化」が進んでいる女好きの男達にも言えることであるし女嫌いの男であってもその全てが嬉々として入りたがるなどと考えているわけではないことは断っておく
そうであっても「女ほど」そうであろうとこれまでの人生経験から推察している
もちろんそうでない女がいることも把握している
様々な人間がいるのだから本来このような偏見で他人を見るべきではないとする価値観も持っている
逆にこのような偏見で人間を見ることは便利であると言う価値観もまた持っている
話が逸れてきているので戻すが男に比べるとやはり女の方がそういうことを「何が何でも避けたい者」が圧倒的に多いであろうと予測しているに過ぎない
特に現代の農業に於いての主力は男であろうからその点でも女が虫に「仕方なく」とも触れる機会は低いように思う
虫が益虫となる機会や業種に女が縁遠いのであれば益々女にとって虫は害のみが目立つことであろう
虫が何故気持ち悪いものと喧伝教育されるのかをまとめるとつまり
「害に着目し危険回避の為の教訓として」
「身近じゃないものを警戒せよという危険回避の方針として」
「都会的で整然としたものがより良いとする価値観の蔓延の一環として」
が原因ではないかと思われる
所謂「生理的にムリ」のどこまでが本能でどこまでが教育の賜物であるかは本人にさえ正しく測ることができないことであると思うが、そのどちらも訓練や収斂の結果であると考え、その背景には恐らくこういった事情があるのではないかと並べてみた次第だ
多分な
めんどくさくなってきた笑

みんなと同じであれ
日本人の性質として特に悪様に語られるものとしてよく見聞きするこの教育ないし慣習
個人主義の対としての文脈に於ける一種の社会主義…いや集団主義という方が適当か
同調圧力という言葉もある
これは何故存在するか
思うにこれについても歴史的な背景があるように思う
日本的であることを表す字として「和」というものがある
改めて「和」とは何か?
日本人であるならばその単漢字に漠然とでも意味を持っていることであろう
漢字ペディアというwebサイト曰く

①やわらぐ。おだやか。のどか。「和気」「温和」「柔和」
②なかよくする。争いをおさめる。「和解」「和議」「平和」
③合わせる。合う。ととのう。「和音」「唱和」「調和」
④あえる。まぜる。「混和」「中和」
⑤二つ以上の数を加えたもの。「総和」
⑥日本。日本語。「和服」「和文」「和洋」

https://www.kanjipedia.jp/kanji/0007398500

とのことだ

「日本」を意味する単漢字の他の意味として「なかよくする」「合わせる」があることは非常に味わい深く感じてならない
言われてみれば確かに日本語において加算の結果値を和とも呼ぶ
別のものが混じりあう時に合わせて仲良くすべきという印象さえここに感じてしまう

「和をもって尊しとなす」とは聖徳太子の言葉であったか
検索してみると孔子の論語にも「礼の用は和を貴しと為す」という言葉がある様だ
わたしは孫子の兵法こそ読んだことはあるが孔子の論語は読んだことがない
だからその事実確認は読者諸氏にお任せするが検索の結果複数のwebサイトにて記載があるとされているので恐らく事実であろう
(そも、それを疑うのであらば出版社から出される本にある情報自体も同じく疑ってかかるべきとも思う)
孔子は儒家の始祖であるが儒教の道徳観は日本人に多大な影響を与えたとわたしは思っている人間なのでそこに繋がりがあるのはさもありなんというか合点がいくというか…
年功序列やらわたしは大嫌いだがわたしが嫌いなタイプの女どもは好きそうだしな
まあ儒教否定はそれこそ米帝の教育の賜物の可能性が否定しきれないのでこの辺にしておこう
兎も角
二千五百年前や千五百年前の時代から「忤うこと無きを宗とせよ」とか言ってお互いに仲良く調和することを求めているわけだ

単漢字「和」の検索の過程でWikipediaに「和の思想」なる項目があるのを見つけた
そこに適当と思われる一文があったので引用しよう

「日本民族の精神文化の本質は、個の自律を重視する精神文化ではなく、集団の秩序と安寧、また礼儀と作法を重視した精神文化である。」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/和の思想

また同項目の「歴史的材料」下に先述の聖徳太子の件はやはり触れられている
日本人ならば和の精神の話で普遍的に真っ先に思いつくくらいにはやはり「教育が行き届いている」情報であろう
ところで
この項目自体この件について一考するならばわたしのように集団主義を批判する者への批判や指摘の例を含め一読の価値がある様に感じた
余談だが
聖徳太子が儒教と仏教の影響を受けていることはわたしもなんとなくそう思っていたところであるので並べ立てて書いた次第だが
当該項目でも十七条憲法が「儒教思想と仏教思想が混合する形で成立している」と述べているのでそれは概ね一致しているようで安堵を覚える

かつて読んだとある本ではもっと古く
「国譲り」を引き合いに出して「和の精神はその時代から存在する」としていたことも思い出されるところだ
曰く「普通戦うでしょう。国譲りって言葉自体が異様でしょう?」「話し合いで穏便に解決!みたいなのが昔から好きなんだね日本人は」とかなんとか(意訳、というか、「意略」し過ぎだろうか)

話が逸れたが
「みんなと合わせる」ことは太古の昔からある日本人特に女の色濃い性質の一つであると考える

人間の社会性としてある程度人に合わせると言う部分はありそれは日本に限ったことではないとは思うが「特に日本人は」という話である

「特に女の」としているのは古代から昭和までは狩猟やら金策は男が採集やら家のことを女がやっていたという歴史観の元狩猟や金策は「問題解決」が重要であるのに対し「採集やら家のこと」というのは「協調や自治」が重要であると見るからである

男にもチームワークは求められただろうがチームワークは最重要ではなく一番大切なことは成果を出す事である
獲物を捉えたりプロジェクトを成功させることが本来最重要であるはずだ
取り分については最も成果を上げたものやリーダーが多く取ればいい
年功序列が浸透してからは年長者がとればいい
それだけの話
それだけの話故に大切なのは結果を出す事である
(それ自体は現代もそう)

一方女側には決まった最重要はなくマルチタスク的にやることがあったと思われる
採集にしても協調を優先してそれを見つけられないことはあるかもしれないが大きな獲物を逃す事はないであろうしそも動物相手でなく植物であるばそのかもしれない自体がかなり低確率である様に思う
寧ろ協調して盛んな情報交換やら取り分の分配やらの相談が必要であろう
ご近所付き合いが重要である

まあ男どもも現代は派閥争いやらポジショニングが重視されてしまっているが
それは何ら矛盾もなく日本の官民の病巣の一つであるとわたしは思っている

というわけで女と女化した男ほどそして日本人ほど「みんなと同じ」を重視すると考える

男でも真に陰湿な集団でありがちな野球部やサッカー部もまたこの傾向が強い
陸上部やらは個人主義なのでこの傾向はないと思う
勿論情報として真似したり結果的に同じになることはあれ「協調」を重んじてそうなることはないだろう
それはある元マラソン選手が語った陸上競技者が一般企業で昇進しづらい理由の話の中でも触れられているに通じている

わたしは日本人特に女と女化してる男どもの「みんなと同じ」を求める姿に心底辟易している

「量産型」も「チー牛」も「みんなと同じ」という点で忌避すべき対象であり「どちらでもない何か」でありたい

そもわたしは最初からみんなとは違うので開き直っただけ受け取られかねないし実際そうなのかもしれない
そうじゃないかもしれない
そこらへんはまた長く脱線するのでここでは深掘りせずに次へ進もう

女は多少の我儘は許される
これは教育というより訓練の側面が強い
実際に日本人女は女好きの男どものせいで多少の我儘が許されやすい
男が男に言ったらぶん殴られたり縁を切られるようなことでも女好きの男どもは相手が女であれば「多目に見てしまう」し女の方に図に乗って「そうでなければ狭量な器」とレッテル貼りに勤しむのである
そんな実情だもんで普通にこの国で生きれば基本的に教えられるまでもなく勝手に訓練学習して味を占めるのだ
その結果簡単に実世界で不満を表出するモンスターが量される
男がグッと堪えるようなことや一人で処理せざるを得ないことも女は喚きたい放題であるし「誰か」が手助けしてくれやすい下地がある
「虫が嫌い」「あれが気に食わない」と簡単に表出できてしまうしそれでも怒られない
虫をなんとかしてくれる男がいる可能性も高いし虫に限らず面倒を買って出たり手助けをしてくれる人間に事欠き難いという社会の常態が存在している
抱くことも表出することも許されやすく困っても助けてもらいやすいので身勝手で我儘な性格になりやすい
履き違えたレディーファーストや男女平等の名の下暴れ回ってさえもまだ男ほど炎上もしない
故あって多少差別しても問題になりづらい

そんな感じで
流石にだるくなってきたな書くの

この項目はそんなもんでそもそも論にいこう

そも差別はいけないことか
思考停止して差別はいけないとするのは簡単だ
簡単だが違和感がある
「何故?」が抜けているから

差別がいけないことだと主張するのは被差別者やその親しい者、あとは自らを公平で論理的な人間だとする者、影響を受けやすい考えなしと言ったところだろうか

意見を変えにくい並べてみたが最後の影響を受けやすい考えなしについてはまさしくどちらにでも転びそうだ
「場」の多数派の意見に引っ張られそうに思える
公平で論理的と自認するタイプの人間も数百年前であれば一部の差別は「あたりまえ」であったろうからやはり難しい
結局のところ一番強く差別を悪とするのは被差別者であり次にその親しい者などであろう

彼らは己らが不愉快や不利益を被らない為に差別はいけないと言わないといけない立場である
しかし差別そのものがどうしていけないのかを説明できる論理については…
恐らくそれが出発点ではないし
こじつけられるとしてもそれは言われてから拵える様なものなのであろうと思う

では多くの日本人女が生き物の差別として犬猫等をかわいがり爬虫類をキモいと感じ虫はムリとする
この場合の被差別対象は人間ではないのでこの差別を悪とする人間はいないかというと少数派ながら存在するだろう
それはそれらの生物が好きな人間とやはり論理的で公平であると自認するような人間だ

しかしながらそこに論理的な「その差別が悪である根拠」は恐らく存在せず率直なところは恐らく「自分が好きなものを庇護援護したい心理」や「公平な自分への陶酔」だとか「自分の公平の一貫性のため」と言ったところであろう

では差別は悪ではないのか?

絶対的に悪とするのは難しいか?

誰もが被差別者になるうるとすれば我が身可愛さを理由に差別を「いけないこと」とすることはできても「何故悪か」と説くには意味一的外れな感が否めない

そもそも差別とはなんだ?

差別とは?

検索結果トップWikipediaの当該項によれば

特定の集団に所属する個人や、性別など特定の属性を有する個人・集団に対して、その所属や属性を理由に異なる扱いをする行為である。国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である」としている。正当な理由(合理性)無き区別、不当な差別は違憲や違法である。

らしい

合理性理由有る区別とはなんだと色々気になるところはあるがそれは一旦置いておくとして
「違憲や違法である」とはなるほどその制定理由も含めれば理由として十分な感があるかもしれない
Wikipediaを読み進めてみよう

現代においては、各国で憲法などにより人権の保障と法の下の平等が謳われ、また市民的及び政治的権利に関する国際規約が締約国に対し、「人間としての平等、生命に対する権利、信教の自由、表現の自由、集会の自由、参政権、適正手続及び公正な裁判を受ける権利など、個人の市民的・政治的権利を尊重し、確保する即時的義務」を定めている。

これによれば憲法や法律で差別を嗜める理由としては
「人権を保障する一環」
つまり
「人権侵害だから」
また
「法の下の平等」
が憲法で謳われているから

「市民的及び政治的権利に関する国際規約」
が締約国に
「人間として平等等」
を定めているから
らしい

つまり差別は
「違法」で「違憲」で「国際規約に反く」事
そういうことになるわけだ

日本では「日本国憲法第14条第1項」が該当する憲法の様子
では法律は?
Wikipediaを読み進めよう

日本国の方針や法律においても、「不当な差別的取扱い」は禁止されているが、「合理的配慮」や「客観的に見て正当な目的の下に行われたもの」、「その目的に照らしてやむを得ない場合」は認められている。
障害者差別解消法において、「不当な差別」が規定されており、健常者と異なる扱いに正当な理由があるものは合法とされている。
公職選挙法の被選挙権など各種法令における「年齢差別(年齢制限)」や遺族年金制度などにおける「男女差別(性差別)」など「合理性のある区別」として、合憲や合法とされている。

合理性でゴリ押しできんだったら結構大体が正当と主張できそう…まあ判決は裁判官が下すんで判例見てみないと実際のところどんなのがセーフでどんなのがアウトなのかわかりませんがね

男女不平、女尊男卑の例

「年齢条項」は兎も角「男性は妊娠&出産ができないという正当な理由があるために女性労働者だけに産前・産後休暇が認められている」が正当な区別なのは「そりゃそうだ」感が凄いが
「女性専用車」や「女性専用賃貸」や「女性専用トイレ」が正当な理由ある区別七日男女差別なのかはかなり意見が割れるだろうし一目瞭然で全会一致するようなことではないのにまかり通っている不思議

「多数を束ねる為に少数を切り捨てるしかない」という妥協の元男性より女性の方が犯罪被害に遭いやすいという根拠があるのかどうかもわからない直感から支持されているのか
はたまた根拠があるのか

あったとしてもそれによって生じている不平等は解決しなくていいのかという問題
妊娠&出産について別にその分の休みを取れるようにせよなどとは言わないが女性専用車両に関しては男性専用車両も作って欲しい
痴漢冤罪被害者を減らす為にも

女性専用トイレに関しては単純にダメでしょ
それはただ女側のわがままでしかないよね

男女それぞれに専用トイレがある方式かそれができないコンビニなどは全室共用にしないと平等とはいえない
そこには妊娠&出産ほどの妥当性はどこにもないように思える
生理の処理を鑑みてそうなってるのではなく感覚的清潔感とかの理由に基づいているだけだと思うからね
まあ生理を大義名分にするのは勝手だけど主張側自身は自分で何が本音かわかってるんだからそれが欺瞞であるって知ってるよね
本気で言ってんならますますスゲーわ
それが実際の性差なんだから仕方ないってんなら実際の性差によるAVの存在とかを否定するのはダブルスタンダードでは
生理の重さに個人差があるように男性特有の性衝動にも個人差があるんだねって
まあAVがなくなっても困んないけどね
のんでもかんでも女の頓珍漢な主張が罷り通る前例を量産しさえしなければなんでもいいんだ

そういうことに理解を示すのが「まとも」とか「より良い」というのがモテることが尺度な世界観なんだろうけど知ったこっちゃないよね
女好きが無闇に女側の主張をうんうん聞いたり聞き流すことでこっちまで不利益被るのはだるいなぁ

わたしが女嫌いになるに至った理由は存在し苦言を呈する論理は存在するがそれを差別として現に存在する大半の女の横暴が許されることを世界は選ぶだろうか

日本人は間違っていてもみんなと同じつまり多数派を選びがちであり多数にとって穏便な道をとりたがるしかもその為に少数を切り捨てることをなんとも思わない人間ばかりだからきっとそうするのだろう

それが遠くない未来の自分達の首を絞める行為だってことに気づける人間はやはり少数派だからそりゃ滅亡するだろうなぁ

あと何年「日本人」はこの地球上に存在できるかな
平和ボケで弱くて馬鹿でノロマでやる気がなく虐め体質で悪意に満ちた多くの日本人達がこの先世界の変化と競争についていけるとは思えないね

まあ個人の感想ですよ

そもそも差別がいけないのは違憲だからとか人権侵害だからという理由だって完璧には程遠く矛盾というか不全がある
差別であることを理由に

言論の自由
表現の自由

を侵害するのはまた違憲であり人権侵害ではないかということ

それもやはり多数決でゴリ押すか?

1対1億だとでも思ってるんかね?

1対2の3人の場合でも1を切り捨てられるならばそれは画面の向こうの誰かなんてどうでもいい又はそれすら思い至らない想像力の欠如からというだけのことでしょう

それでもまだ個人のだれかを排斥できればいいと?

1000対2000だったら?
1000を切り捨ててもいいのか?

1000対1001だったら?
それでもまだ1000を切り捨てていいと?

そりゃ誰もこんな国に居続けたくなくなってくんだろうね

自分が常に右辺側だといつから錯覚していた?

まあ最後にこれを書いてしめとしよう

別にわたしは女に虫が好きになってほしいわけではない
それに変わってほしいと期待や希望を持ってなどいない

わたしは生い立ち柄自分の遺伝子を継承することにあまり興味がない為一生独身で構わない
故に女に迎合する必要がなく冷静に女を斬ることができる
反感を抱きつつここまで読んだような物好きな女性読者が億が一いるならばその反感をまた好きに表出すればいいと思う
いつも書いているがわたしは皆様が楽しんでいる場で突然演説を始めたつもりはなく
一人きりの趣味の部屋で重い丈の欠片を切り貼りしているだけのことだ
あなたはわざわざこの記事を開き読むことを選択した
その責任は記事公開したわたしではなく読んだあなたにある
昨今の気に入らない言論封殺の風潮には反感を覚える
女どもが現実世界で好き勝手無礼失礼を働き続ける以上はそういう女がわたしを叩く権利は本来ないとわたしは思うがあなたがそう考えることを強制しない
好きにしてくれ

まあ

きっと燃やし甲斐のないものを燃やそうともしない腰抜けどもなんだろうがな


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