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オステオパスとは、オステオパシーの哲学にのっとり治療を行う者のことを言います。


オステオパシーの哲学とはなんでしょうか?


オステオパシーには、これをあらわす四つの原則があります。


それは、

① 身体は一つのユニットである。一人の人間とは、身体・思考・精神(body・mind・spirit)の単位である。

② 身体は自己調整、自己治癒、健康維持能力を持つ。

③ 機能と構造は相互に関係しあう。

④ 合理的な治療は上記三つの原則から成る。

というものです。


オステオパシーは独特の手技( = オステオパシー・マニュピレーション・テクニック = OMT)も多数あり、このOMTを「オステオパシー」と呼ぶと思われやすいのですが、オステオパシーとはOMTではなく、考え方を指します。


最近、日本でもこのOMTを教えているセミナーもありますが、そこで習ったオステオパシーのテクニックを使うからオステオパス、ではありません。


OMTは安全で、かつ大きな効果を出すことができますが、それはオステオパシーの原則から身体全体をスクリーニングし、どこをどの方法や順番でどういったテクニックを使うか?ということができているからであり、極論いわゆるふつうのストレッチでも驚くほどの効果が出ることもあります。


オステオパシーは医学であり科学です。


つまり、アカデミックな解剖学・生理学・病理学の知識を持って思考しています。


もちろん最先端の知識も取り入れています。


この思考の仕方は、例えば同じ医師でも外科医と内科医では見る角度や思考パターンが変化するように、オステオパシーもまた見る角度や思考パターンが存在し、これがオステオパシー的な思考です。


そしてこの土台になるのがオステオパシーの哲学です。


端的に言えば「解剖学・生理学・病理学の使い方の一つをオステオパシーと呼ぶ」とも言えるでしょう。


このようなオステオパシー的な思考をし、OMTを始めとした手技、(認可国ならば)投薬や外科手術を含め、身体を改善させていく者のことをオステオパスと言います。


OMTの中には、ただ触られているだけに感じるような優しいタッチのものもあります。


受け手側としては、ただ触られているだけだったのに数日間かけて身体が改善していく。


これは知らない人にとっては非常にインパクトを感じることがあるようで、日本でOMTだけが独り歩きする要因でもあるのかな、とも思います。


オステオパスとは、繰り返しですがOMTを使う者のことではありません。


オステオパシー的な思考、その時に起こっている症状をみるだけでもなく、その症状を持っているクライアントの心身をみる者であり、そのために広い見識と視野、センスを身に付けた者のことを言います。


さて、オステオパシーに限らず哲学とはそもそもなんでしょうか?


古代ギリシアの哲学者のプラトンはこう言っています。


「本当に大切なことが何かを見極めなければならない。そこでは現状から離れた視点が必要なのだ。その視点こそが哲学である。」


個人的にはこういったことを身に付け、さらに年月や経験とともに成熟させていくためには、オステオパス専門の養成機関での勉強が大事だな、と感じます。


ちなみにですが、全く別のお仕事をされている方でも同じような見方をしているな、という方と時折お会いすることがあり、ある意味でオステオパスだな、と思うことがあります。



染谷 清行

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