「働き方改革」の前に考えたいこと

「働き方改革」
それは号令だけは勇ましくも、遅々として進まない魔物のような言葉・・・

どんな学校でも「働き方改革」という名の付く何かは行われているのだと思う。「ノー残業デー」「行事の見直し」「ICTの活用」などなど。

でも、こんな声も聞こえてくる。「働き方改革は決して楽するためのものでなく、もっと子どもたちに向き合う時間を確保するためのもの」

間違ってはいない。間違ってはいないが、最上位の価値に「より子どもと向き合う」を掲げる限り、仕事が減ることはないし、そもそも今子どもと向き合えていないと首肯するような教員がマジョリティを占める学校もないのではないだろうか(スタートラインが共有できていない)。となると、ある程度向き合っているのに、さらに向き合う?!向き合いすぎ?!

文科省の説明にも以下のくだりがある。

このため、文部科学省では、教師のこれまでの働き方を見直し、自らの授業を磨くとともに、その人間性や創造性を高め、子供たちに対して効果的な教育活動を行うことができるようにすることを目的として、学校における働き方改革を進めております。

文部科学省「学校における働き方改革について」

現実が「様々なことに追われすぎていて、もう研修も、子どもたちと遊ぶことも、新たな学びに挑戦することもできません!!!」ならば、それをするための時間を捻出するというシンプルなものになるのだろう。

ただ現場はえらいので、なんだかんだ上記のことをこなしている。そこに「働き方改革をしてさらに、さらに!!!」なんてやっていたら、もう雪だるま式ではないだろうか。

やらされる「働き方改革」ではなく、自分がしたいことのために「よりよい働き方」にしていく気概と仕組みを。そして、その前提として「自分がしたいこと」を思い描ける人生にしたい。


久しぶりに「#教師のバトン」を見てみたが、twitterが混迷を極める中、ツイート自体もさらにカオスとなってきている。不満を吐き出す場所は必要だが、それだけではエコーチェンバー/フィルターバブルでマイナスの連鎖が増幅していく。どこかで現実とのリンクも必要だなと感じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?