【祭制/イキルハマツリ】ステートメント
『祭制/イキルハマツリ』
あおいうに・フルヤアツシ 共同声明
「人生はお祭り騒ぎ」。
一度きりしかない人生という虚構を、精一杯楽しもう、
「どんなに馬鹿なことでも思い付いたら何でもやっていこう」というアートコレクティブ。
祭制は、「イキルハマツリ」と同時に「サイセイ」と読んでもらいたい。
前者は、上述の中枢のコンセプト
後者はその「お祭り騒ぎ」の手段としての
”60年代前衛体【制】の再生”を意味する。
また「祭り」の概念は
それが連帯の中で構築され、多様性の中に、
思いも寄らない新しい創発(Emergence)を行うという含意がある。
解体へと向かっていった60年代的熱狂は、
連帯と関係性の綿密さ故に類を見ないスピード
と熱量を以てアートシーンに大きな影響を与えた。
この力を再解釈、再利用し
コロナと文化的倦怠で停止しつつある現在のアートシーン、共同体をもう一度「お祭り」として賦活できないだろうか?
同時に、美術文脈でのパフォーマンスアートと、現代におけるYouTuberのパフォーマンスとの差異は何なのか?
という問題提起も重大なテーマである。
赤瀬川原平が令和にいたらトマソンをツイッターに投稿するか?
ハイレッドセンターが令和にあったら、YouTuberをやるか?
両者の境界が曖昧になっている昨今、60年代リバイバルは批評性の媒介となりうると考える
そこから抽出・濾過された成分は単なる焼き直しにとどまらない新しさも伴って
不完全燃焼していた新しい前衛を令和の世界に賦活・再構築できるのではないだろうか?
前衛芸術を復興させよう。大きな祭りをとり行おうその中で解体してしまったアートにおける人々の連帯
集団のネットワークの中でしか発生しない創発の力を取り戻そう
解釈し、行動し、破壊し、構築し。
停滞を祭制したところに、
社会的実践としてのアートを通じて
「我々は終わることのない祝祭を巻き起こす。」
野外で、路上で、早朝に、真夜中に。
あらゆる境界の隔てを叩き割るその破片の上で
「我々は終わることのない祝祭を巻き起こす。」
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