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留学は簡単じゃない でもしか留学はするな! 4 

アフリカからの留学に いろいろ疑問を持ち 俺は率直に 持ってる単語で目一杯質問をした すると その彼は 嫌な顔一つせず きちんと答えてくれ 俺としては感激ばかりだった。単なる留学は親の脛齧りがほとんどだと思うが 彼曰く 家はそんなに裕福ではないが 普通の家庭だったでも 海外に行くなんて もってのほか。そこで彼は国費留学を狙って、目一杯勉強して 国から全ての援助金をもらい アメリカに来ただから そのお金の分以上に勉強して帰らないと国に申し訳ないと。俺はその時 頭を殴られたような気がした。なんて俺は恵まれて 好き放題生きてるんだ。そんな中もう帰らないと行けない時間になり 彼はバス停まで送ってくれたが 俺的には 来る時 そんなに時間がかかった感覚がなかったので 歩いて帰ると彼に言って そこから今泊まってるホテルまで歩くことにした これがまた大きな失敗で 来る時 俺はバスの中で寝ていたことで 時間の麻痺を起こして実際には バスで2時間かかっていた(後で分かったことだが)夕暮れのUCLAを後に あるけどもあるけども 全く宿泊してるホテルに到着しないそして、そしてとうとう ここは危ないぞってところで 後ろから来たバスに乗った。そしてそこからバスでまた小1時間かかった。なんてこったもしあのまま歩いていたら、ホテルにたどり着いたら真夜中だ、または途中で殺されてるかもしれない。なんと無謀なことを。こんなこと叔父が知ったらまた激怒するだろうな。食事もほとんど食べることができず ホテルに戻って近隣のレストランを探してみたが どこもなく(実際ホテルの場所はビジネス街 夜にレストランなんてあるわけもなく)とうとう また あのスペイン語しか通じない カフェテリアで夕食 何を食べたかもわからないけど なんでもいいから お腹にぶち込んで ホテルで爆睡。
そんなこんなのアメリカ西海岸ツアーだけど 何せ歩いては学校などを探し、ホテルで得た情報で ロスアンジェルス市が運営してる 留学生のための英語学校があると言うことで、そこを翌日に訪問した。
朝起きてまず 行うことは今日こそは何かアメリカらしいものを食べるぞって感じで ホテルを出て (この時アメリカ到着後4日が過ぎようとしてるがまともな食事は全くなし。痩せ細っていく自分が目に見えてわかった)
ロスアンジェルス市が運営してる学校は ホテルから 歩いて 30分くらいのところで 朝行ってみると、多くの外人(俺も含めて・しかし、なんだか難民みたいな感じ)列に並んで 学校の職員にいろいろ質問をすると なんと ビザを発給してくれるとのこと それも F-1 ビザ(学生ビザ)すぐ 申し込み用紙など4通もらい(なんで4通 書き損じた時のための予備として・絶対書き損じることは自信があった)
書類をもらった段階で 俺はもうここにくるぞって意気込んで、日本に帰った。帰国後 すぐに 親に 大学辞めて アメリカに行くって言い出すと 親父は やっぱりな お前なら言い出すと思っていたよって なんだか見透かされたような。しかし 親父の答えはノー 日本の学校も中途で海外の学校で務まるわけがない。日本を4年しっかり卒業してからなら行け。なんだか今回は妙に親父の言い方が格好良くて 負けてしまった。いつもなら口答えする俺が 、海外生活の先輩から言われると(親父は アフリカのナイジェリア暮らし2年 ドイツのボンで1年暮らした人間 海外の難しさをしっかり知っていた)親父の言う通り 大学を4年真っ当に進み 卒業することに落ち着いた。それからと言うもの 留学するための資金稼ぎで アルバイトは朝から 大阪中央市場で野菜 果物屋で 朝5時から9時まで働き その後学校へ(当時中央市場のアルバイトは給与が非常によく 時給当時で 1000円くらいもらっていたと思う。よって 毎日4000円くらいの収入があり、月額 8万円くらいもらっていた。当時俺のアメリカの話を聞いていた友人4人が 俺も大学卒業したら アメリカにお前と一緒に行くって 仲間が増えて 俺も気持ちが大きくなり、連日アメリカの話をしていた。服装もアメリカかぶれになっていたと思う。そして 大学4年になると皆就職活動を行い気がつくと 一緒にアメリカ行くって言ってた連中皆が 就職説明会に えー なんで ? 彼ら曰く やっぱり夢追い求めたらあかんわってあっさり 残されたのは俺一人 まー元々 一人で行く予定だったから 別にいいんだけど。そして 卒業を迎え 皆が就職 俺一人周りと違う方向へ進み 大きなお金を稼がないと行けないことで トラックの運転手のアルバイトをこれがまた過酷だけど いいお金になった。
俺の親は、こいつ何してるんだって目で見ていたけど別段なんのアルバイトしてるんとは、一切聞かず、俺は必死でトラックの運転手のアルバイトを’行った 普通免許で乗れる一番大きな4トントラックに毎日乗り込み 配送
多くは建築現場への資材運搬 そんな中 兵庫県の芦屋で資材を下ろしてる時 横を通った家族の母親が 子供に勉強しないとこの人にみたいになるよって、(俺別に勉強しなかったわけじゃないし、この先も勉強するんだけどなって思いながら 唇を噛み締めたことがあった)

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