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感覚マニア

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目には見えない感覚の世界に潜り込む。そんな記事をまとめています。
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#味わう

「ダメ」を引きずると「いい」を味わいそびれる

この旦那がどう、というのは一旦置いといて。 この感じ、程度は違ってもあるあるじゃない? イライラする自分を否定して罪悪感もくっつけて重くなりがち。 感謝「しなきゃ」と思うほど心から感謝できないよね。 (対処法) まずはイライラする自分を否定しない。否定せず味わう。 「いまは」イライラする。とこの瞬間をまるごと受容する。 察してよ、とか自分がやれば早いではなくて どうしてほしいかを自分自身で自覚してシンプルに伝えるチャレンジをしよう。 ネガティブな感情を心の奥で否定し

人がほしいのは究極、感覚である。

- どうして? - 幸せってなに? - その気分ってどんな感じ? 人がほしいのは「お金」や「モノ」や「成功体験」そのものではなくて 曖昧に定義される「幸せ」でもない。 ほしいのは、その先にある 感覚 そしてそれを感じる器(身体)と感じる力 感じる力も、愛を受け取る器も もともと誰もが持っている。 「どうするのが正解?」「こうするべき」「そんなのおかしい」 意識が外側に向けば向くほど、感度は鈍くなっていく。 すると目の前にある小さな幸せには気づくこともないし

「あじわう」 をとことんやってみたら、なにげない日々の充実度が格段に上がった。

先月はとにかく「あじわう」ことを改めて感じ体感に落とした1ヶ月でした。 いや〜、今までもあじわってたつもりだったけど、もっともっと奥がある。 この期間まじで良かった!余白って大事ね。 「感じる」ということを意識しはじめてかれこれ8年くらいにはなるのですが こつこつこつこつと自分の体感で実験し続けていたら あのころと世界はまじで違っています。 #感じ続けることで変わったこと それでもゴールはなく、まだ奥がある!まだある!が楽しい。 #感覚マニア 単純にね、毎瞬全身

あたまの中・・・しずか。 【感じ続けることで変わったこと】

先日、唐突に気づいたこと。 少し前まで常にわたしの頭の中では あーでもない、こーでもない、どうしたら、こうしたら、こうしなきゃ、ああしなきゃ・・・と 言い合いをしていた。 頭の中で考え事や自分の中の争いをしていると 自分の中のエネルギーが頭に上っていって下りられなくなり 身体の感覚や意識も希薄になる。 目の前のことを「感じられなくなる」のだ。 感じるが希薄になると、まるで世界は白黒になったよう 見ているし聞いているし味わっているのだけれど どこか味が薄い。旨味が沈殿

あじわう。 あじわう。 あじわう。

例えばここにストーブがある。 近くにいたら温かい。熱を感じる。 手をかざしてみる。あたたまる。 上に載せたやかんのシュンシュンと沸き立つ音もする。 だけどそれだけじゃない「なにか」を 目を閉じてより繊細に受け取ってみる。 少し離れたら寒いと思っていた場所からもほのかな熱は感じられるし やわらかさや丸さ、目には見えない火のジワジワジワジワ。。という熱エネルギーの波のようなもの、お湯が湧いてポコポコ弾ける圧のようなものも伝わってくる。 それを受け取ると同時に、冷えて縮こま

前提や先入観をほどいて いま、この瞬間の「そのまんま」を味わってみたら。

暑いのは苦手だ。暑いのは嫌なものだ。 炎天下の日、強い日差しに照らされながら仕事で外を往復する日があった。 「暑い、暑い」 そう声に出しながら、一刻も早くエアコンの効いた部屋に戻りたいと足を早める。 皮膚はジリジリと焼け付いて、痛いくらいだ。 ふと、「あれ、今月のテーマは"味わうこと"だった」と思い出し。 「暑い暑い」と声に出すのをやめ いま、この瞬間に感じているリアルな感覚に意識を向けてみた。 一旦深呼吸して、無意識にバリアを張っていたような皮膚の感覚をほどき