もっと自由に書くこと、趣味の重さと軽さ
前回ノートに投稿して1ヶ月が経過した。もともとこのノートは、文章の練習のために始めたものだ。誰が言ったのかはよくわからないが、「修行の過程は、人に見られた方が良い」という言葉が引っかかっており、人に見られる文章を書く場を設けようと思った。
今、私は、文章を書くことそのものを仕事にはしていない。しかし、自分の言葉でもっと世界を語れるようになりたい、と思う。それはきっと、自分のこれまでの生き方に関係があると思うけど、今回はそこを書きたいわけではない。
文章を練習するためにnoteを始めたのに、結局あまりコンスタントに更新ができていない。workflowyに、本を読む中で考えたことのアイデアは溜まっていくけど、ここで書くようなことでもない。もっと気楽に、もっと自由に書けるようになりたいと思っている。
しかし、なぜ、私は1ヶ月もnoteを更新できなかったのか。私は仕事をしているが、正直この1ヶ月は閑散期であった。時間はたっぷりとあった。
一つの要因は、まだ「重く」文章を書くことに執着していることだと思う。やるのであれば、徹底的にやりたい。自分が納得のいく文章を推敲して書き上げたい。そう考えると、文章を書くことへのハードルはどんどんと上がっていく。もっと軽く、もっと自由に書けるように。
それにしてもなぜ、私は書くことを「重く」考えてしまうのか。考えれば、私は、重さや深さを尊んでいる節がある。
特に、趣味のことを考えてみる。私は、音楽が好きだ。小さい頃からドラムを叩いていたし、高校や大学の時はロックバンドをやっていた。大学も後半になると、ジャズを聴き始め、最近は同僚の影響でクラシック音楽の魅力に気が付きつつある。
しかし、いわゆる「音楽好き」の友人と会話を交わすと、なんだか、弱みを感じることがある。ロックもジャズもクラシックも好きだけれど、特に誰か一人のアーティストを熱狂的に好きなわけではない。背景知識に対して造詣が深いわけでもない。自分よりもっと詳しい人間はいくらでもいる。そう考えると、私は「音楽」が趣味であると言ってしまっていいのだろうか。自分が好きなものを好きということに、やましさを感じてしまう。端的に、自分に自信がないということ。
この状態を解消するためには、二つの方法があると思う。一つ目は、自分に自信を持てるくらいに、自分の好きなことについてコミットすること。背景的知識を身につけ、より深く分析をし、例えば好きなアーティストについて、他の人には負けないと思えるくらいにのめり込むこと。これは、趣味というものを「重く」考えることである。趣味というものは、誰にも負けない知識やこだわりをもつこと。一方、正反対の解決策もある。好きであるというそのこと自体に価値があるのであって、そこに、知識の深さや浅さ、コミットによる優劣はない。もっと軽く、自分を肯定すれば良いではないか。
私は基本的に「重さ」を背負ってしまう駱駝なのであるが、しかし、この「重さ」に身動きが取れなくなるたびに、もっと軽く、幼子のように自らを肯定したい、と希望する。しかし、軽さに定位しようとしても、どうしても、重さの感覚がつきまとってきて、離れることがない。私は重さと軽さの間を永遠にゆきつもどりつし、結局時間切れでその場を乗り切る。ある程度考えた末に結論が出なければ、疲れて、結局どうでもよくなるのである。
思うに、重さと軽さという二元論を維持する限りにおいて、私はこの往復をやめることができない。きっと私に必要なのは、趣味についての、あるいは自らの記述一般の、新しい語彙である。重さと軽さに回収されないような、新しい語彙で自らを記述する必要があるのである。自らの理解を自らで決めることができることを尊ぶのはロマン主義の産物であるが、ニーチェはこの「自律」という理念をとことんまで突き詰め、彼自身の語彙を生み出した。
しかし、新しい語彙は、まったく新しいというわけにはいかない。この重さと軽さの感覚を、止揚まではせずとも、何かしらの形で関連付け、新しい繋ぎ方をしてくれるような、そのような語彙でないと、なかなか執着を捨てることはできない。そのような語彙からすればこの二元論は問題とならないのであるが、ここでは、なぜ問題とならないのかということの説明がつかなければいけない。
そして、そのような語彙を、私はまだ知らない。私の自己記述は不完全で、未だにクンデラの語彙が纏わりついて離れない。
21世紀になって、この抗争が弁証法によって必然的に和解されるとは思わない。これは必然性の認識の問題ではなく、自らの語彙の創造の問題である。書くことに対して、壁とは言わずとも少し高めの段差があるような状態の私は、おそらく、重さの感覚に囚われている。この重さと軽さを乗り越え、もっと自由に筆を走らせることができることを希望する。
とはいっても、考えているだけでは書けない。ひとまず、書いて、投稿してみるということが重要であるはずである。これはあくまで練習であるのだから、推敲はあまりせずに、投稿してみる。
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