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母校の小学校がなくなった話

こんにちは。まずは簡単な自己紹介から・・・
長崎県南島原市のド田舎から上京して12年目のさいぽんです。30歳を迎えた今、Uターン移住を考えている看護師です。やっぱり私の体には田舎の血が流れているようです。Uターン移住に向けて着々と準備している中、考えたことや体験したことを徒然なるままに書いております。

私が通っていた小学校はもうありません。私が14歳の時に複数の小学校が統合合併して新しく1つの小学校になりました。

そうなった理由は人口の減少です。

私の親世代の頃は小学校の同級生は50人ほどいて1学年は2クラスあったそうですが、私の同級生は10人でした。

親の頃と比較すると1/5ですね。ここからでもわかるように数十年かけて人口がどんどん減っていきました。

私の小学校の同級生は10人でしたが、当時はこれでも一番多い学年でした。

なんたって全校生徒が38人でしたので。

だから全校生徒の名前はみんな覚えちゃいます。学年関係なく昼休みはみんなで遊んでました。懐かしいです。

また、人数が少なすぎて複式学級でした。1年生と2年生が同じ教室で勉強します。算数や国語などの5教科は同じ教室で前側のと後ろ側で分けて授業をするんです。どうやって授業をしていたのかは忘れてしまいましたが担任と副担任の先生がいたので、工夫してやっていたんだと思います。

音楽や道徳の授業は一緒に受けていました。

トラックは1周80メートルの小さい校庭でしたが、毎年運動会もそこで開催されます。当時は広く感じていましたが、大人になって小学校に行ってみるととーっても狭く感じます。

よくこんなところで運動会やってたなと感心するほどです。

とっても小さい学校でしたが、私にとっては思い出がたくさんある大事な場所です。

サムネの写真は取り壊される前の母校です。木が生い茂って廃校感が出ています。数年前までは学校の建物は残っていたので、なんとなくまだ母校はある感じがしていました。

しかし、ついに

建物の取り壊しが行われてしまいました…。

寂しいものですね。

そして、同級生は今何をしてるんだろう。いつか母校の跡地にみんなで集まって同窓会をしたいなと思います。

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