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【選手名鑑Vol.9 佐久山颯人】 ーSaintsの絶対的エースのラクロス人生ー

チームの絶対的エースである佐久山。順風満帆に見える彼のラクロス生活に秘められた本当の思いとは。

苦悩と成長

幼少期から高校までサッカーに明け暮れていた佐久山。中学時には埼玉県選抜に選ばれ、高校時代にはその圧倒的な実力でチームを牽引するエースとして活躍した。

そんな彼であったが大学ではラクロスを選んだ。「小さい頃からサッカーの日本代表に憧れていた。サッカーでは叶わないかもしれないが大学から始められる、努力でどこまででも実力を伸ばせるラクロスで日本代表になって、周りから憧れられる人間になりたくてラクロス部に入った。」佐久山は照れ臭そうにこう語った。

しかし、入部当初はサッカーとの違いに苦戦し、なかなか思うように行かなかった。という。「サッカーをずっとやってきたから、上半身をうまく使えないし、サッカーが大好きだったからなかなかラクロスのことを好きになれなかった。」そう語る佐久山は、夏季大会当日まで一度も自主練習をしなかった。けれども持ち前の運動神経とサッカーで培ったボールへの嗅覚で夏季大会では10得点をあげ、関東ユースに選ばれた。これが彼の転機となる。

転機

「ユースに行ったら自分より上手い人がわんさかいて、自分はかなり下手な方だった。これだと目標にしていた日本代表にはなれない」こう思った彼は自主練習に明け暮れるようになる。遅いときにはボールが見えなくなる時間帯まで自主練習を行なった。「日本代表になるためには圧倒的な武器が必要だ。」そう考え、ウィンターまでの約4ヶ月間、徹底的に左ランシューを練習した。結果としてウィンター本番では徹底的に磨き上げた左ランシューで5得点を上げ、大会MVPに選ばれた。ウィンター後もユースに残り、着実に実力を高めていった。

ウィンターでの活躍を認められ、一つ学年を上げ、二年生になった佐久山はチーム内でも2年生オフェンスの中で唯一、Aチームに選ばれた。しかし、周りのうまい先輩についていくのがやっとで、日々焦りが生じた。練習に行きたくないと思ったこともあった。今の彼からは到底想像できない言葉である。

しかしこのとき「これは試練だ。この試練を乗り越えたらもっとうまくなれる。自分が活躍してチームに勢いをつけよう。」そう思ったという。がむしゃらに努力をし、二年生ながら圧倒的な存在感を示しチームに貢献した。その実力が認められ、目標であった日本代表へと選ばれた。レベルの高い仲間とアジアの頂点へと立った。佐久山は日本代表の中でも一際目立っていた。「スポーツ人生で一番輝いた瞬間だったな」彼は語る。

そんな幸せの絶頂期、彼はこう思ったという。「日本代表で勝つことも嬉しいけど、やっぱり辛い時も楽しい時も時間を共にしてきた立教のみんなと日本一の景色を見たい。」これが新たな目標となった。

後悔

4年生が引退し、また一つ学年を上げ、3年生になった佐久山は新体制となっていたチームにおいてオフェンスの中心として、チームを引っ張る存在になった。

自分が活躍をしてチームを日本一へ導きたい。佐久山はがむしゃらにプレーをした。時には上級生とぶつかることもあった。それでもチームのために体を張り続けた。自主練はボールが見えなくなる時間までやり続けた。全ては日本一の景色を全員で見るために。たくさんぶつかり合い、言い合ってきたがそれが形になってきた。 

「実力もトップクラス。このチームなら絶対に日本一を取ることができる」佐久山はそう確信していたという。しかし結果はリーグ戦ブロック予選敗退。その結果に佐久山は、悔しさとやるせなさを感じていたという。「チームのためにやろうとしていたのに、結局自分だけが上手くなろうとしていた。意見を押し付けてしまった。だから負けてしまった。 

次は自分が周りを支え、引っ張り上げるリーダーになって必ず日本一を取る」そうその時誓った。

リーダーとして、エースとして


佐久山は最高学年となり、副将という立場になった。前の代での失敗を胸に、「チームを勝利へ導きたい」という思いからの立候補だった。新チームの方向性は「勝ちと価値の両立」。この方向性に佐久山は初め反対だったという。「勝ててもいないのに両方追い求めたら元も子もない。まずは勝利を追い求めるべきだ」そう思っていた。

考え方の違いから後藤(現四年副将、FO)とぶつかったという。しかし、後藤の熱い思い、価値を求めた先の勝利、そして価値を追い求めることの大切さに心を動かされた佐久山は「勝ちと価値の両立」にコミットしていくことを決めた。

コロナの中、佐久山は自主練習に加え、「勝ちと価値の両立」を実現するため奔走した。様々な事象の数値化、ASとの連携の強化、オフェンスの戦術インプット。現状を正確に理解することをチーム全体で行なった。一人の力ではなく、チームとして強くなることを思っての行動だった。「コロナで練習が自粛になってからはより一層チームにコミットしようと思った。いまだからできることだと思ったしやっぱりチームで日本一になりたいから」佐久山は力強い言葉でこう語った。

感謝

練習が再開してから、佐久山はいままで関わってくれた、支えてくれた人たちへの感謝の気持ちでいっぱいになったという。「コロナの中、チーム全体として一生懸命勝利のために行動していたなと感じた。

自分たちの代だけじゃなくてもしかしたら試合には出れないかもしれない後輩たちも自主練だけじゃなく、チームの底上げのための行動に全力を尽くしてくれていた。コーチや監督陣の方々もチームが勝つために、自分たちに真摯に向き合ってくださった。ここまで周りが頑張ってくれているのに『勝たない理由』がない。

チームの代表として、副将として試合に出る。責任やプレッシャーはもちろん感じる。だからこそ一つのグラボであったり一つの得点に対して本気で取り組む。築き上げてきた礎を体現して今まで関わってくれた人たちに感謝の気持ちを伝えたい。そしてやっぱりチーム全員で日本一の景色を見たい。絶対に。」

佐久山の言葉には一点の迷いもなかった。勝利のためにやるべきことはやってきた。あとは戦うだけだ。日本一の景色を見るために、いざ。

記事 山縣飛翔

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