見出し画像

【選手名鑑Vol.1 高島遊】 Bチームから世界へ ー躍進を支えた職人並みの愚直な努力ー

2020年1月初旬、一人の男がアメリカでの世界トッププレイヤーとの激闘を終えてSAINTSへと帰ってきた。彼は今回のブログの主役である高島遊。新4年AT(アタック)で背番号は6番。今年からチームのATリーダーを務める。U25日本代表のメンバーに選ばれた彼は元旦から7日間、アメリカ・カナダのナショナルチームと激戦を繰り広げた。

画像1

ー最初の挫折ー

現在では日本代表に選ばれるまでに成長し、順風満帆なラクロス人生を歩んできたように思える彼だが、そこに至るまでの道のりは決して平坦ではなかったようだ。


彼が経験してきた挫折とは。そこからどのようにして日本代表まで上り詰めたのか。その全容を明らかにしていく。


---------------------------------------------------------------------------
小学校はソフトボール、中学校は野球、高校はハンドボールと多くのスポーツを経験してきた高島が大学で選んだスポーツは「ラクロス」だった。


大学から始められるスポーツというところに魅力を感じ、自分からラクロス部の先輩に声をかけ、すぐに入部を決めた。


入部するとラクロスの面白さにどっぷりとはまった。最初は初めて手にするクロスの扱いに手こずったが持ち前の運動神経と高い探究心でぐんぐんと上達していった。

最初の学年の公式戦であるサマーでのAチームメンバー入りを目指してひたすらに練習を重ねた。




そして忘れもしない。
2017年8月11日、サマーABメンバー発表の日。


Aメンバーに高島の名前はなかった。


実力の面では申し分無かった。
メンバー選考に関わる重要な練習試合で寝坊をしてしまったことが原因だった。


当時のことを高島はこう振り返る。


「それでも流石にAチームだろうと思っていた。Bチームで名前を呼ばれた時にはあまりの悔しさで返事をすることが出来なかった。本当に悔しかった。」


その日の練習態度は最低だった。グラボに寄らない。走らない。
完全にやる気を無くしていた。
練習の後、更衣室で人目を憚らずに泣いた。


そんな高島の様子を見た学生コーチの枝廣(現4年)から彼にこんなラインが送られてきたという。

画像2

*当時の高島はディフェンスの選手だった


「Bでもユースになれると証明します」

彼が決意した瞬間だった。



そこからは気持ちを新たにBの中心としてチームを引っ張った。

しかし、優先したのはチームの勝利よりも《自分の活躍》だった。



Aとの紅白戦でも「俺はBにいるけどAのお前らより上手いよ」ということを証明するためにプレーした。


そんな高島率いるBチームは大会までの練習試合で全敗。

「やっぱり勝てないのかな」

試合を重ねる内にそんな諦めのような気持ちを抱くようになったという。





そして迎えたサマー当日。
立教のBチームは3得点をあげた高島の活躍もあり、奇跡の決勝リーグ進出を果たすことが出来た。


その決勝リーグ進出を決めた一橋戦を高島はこう振り返る。



「自分のラクロス人生で最も楽しい試合だった」

Aチームである一橋相手にチーム全員で戦い抜き。勝利をもぎ取った。


勝利の瞬間、メンバー全員と泣いて喜び合った。応援席にいたAチームのメンバーや先輩達も泣いて喜んでくれた。



「《チームでの勝利》というものを初めてあんなに喜べた気がする。それまでは自分が活躍することしか考えていなかったが、この一橋戦は『チームで』勝てたことが本当に嬉しかった。」


自分の活躍にしか興味が無かった男が『チームの勝利』を心から喜んだ瞬間だった。


これほどの喜びは彼がAチームで戦っていたら味わうことは無かった。
Bチームという、いわば「弱小集団」の一員に選ばれたからこそ経験することが出来た最高の勝利だった。



そして高島はBチームながらユースに選ばれ見事に有言実行を果たしたのだった。

ーラクロス史上最大のミスー

「ラクロスをやっていて最も辛かったことは?」

筆者の質問に高島は苦い顔をしながらこう答えた。


「あすなろ決勝でのスラッシングかな」
--------------------------------------------------------------------------
チームはサマーでAチームが優勝。ウィンターも優勝を果たし、グラウンドスラム達成まで残るはあすなろの優勝のみとなっていた。

高島も着々と実力をつけ、ウィンターではメンバーとして優勝に貢献。あすなろでもチームの主軸として活躍していた。


そして迎えたあすなろ決勝。相手は武蔵大学。
試合は0-0で両者譲らぬ試合展開。一進一退の攻防を見せる中、2Q終了間際に事件は起きた。


高島は自身のボールダウンを取り返そうとして、相手に不用意なスラッシング(反則)を与えてしまったのだ。


*相手にスラッシングを与えてしまう高島



そして、相手のフリーシューが決まり、それが決勝点となりチームは0-1で敗北。



試合後、涙が止まらなかった。


「自分がチームのグランドスラムの夢を壊してしまった。共に戦った同期、応援してくれた先輩や保護者の方々に対して申し訳ない気持ちしか無かった。」


高島に責任が重くのし掛かった。その日の夜は部活を辞めることも考えたという。



しかし、この失敗は高島を更に大きく成長させることとなる。


「この出来事を経験してからはどんなミスも気にしなくなった。あすなろの後にも数多くのミスをしたがその度に『あすなろでのミスに比べたら大したことない』って思えるようになった。」




どんな逆境にも動じない高島の強靭なメンタルは、このあすなろでの苦しい経験を乗り越えて作り上げられたのである。


ー質の追求ー

サマーBチームから始まり、あすなろ決勝でのスラッシングなど大きな辛い経験をしてきた高島だが、昨年はリーグ戦に主力として出場。また、関東ユースをはじめとするDS、U25代表など、数々の代表にも選出された。

彼がここまで成長を遂げることが出来たのはなぜなのか。

その答えは、彼のラクロスに対する真摯な姿勢にあった。



「自分は試合で活躍する為にというよりも一つ一つのプレーの質を高める為に日々練習している。例えばランシューが出来るようになりたいと思ったら、それだけを徹底的に練習する。
『一つの作品を作っていく』イメージ。どんどん磨いて綺麗な玉にするみたいな。」



試合での活躍よりも自分が磨きあげたプレーを試合で発揮した時に喜びを感じた。

「良くないフォームでショットが入った時よりも、自分の理想のフォームでショットを外した時の方が嬉しい。」




とある練習中、ショット練習にて。彼の豪快なショットがゴールに吸い込まれた。

周りの部員
「すげぇ・・・・!」
「やっぱりレベルが違う・・・・」
「かっけぇ・・・!」


だが当の本人は、

高島「うーん。違うんだよなぁ・・・」(独り言で呟く)

このような場面に出くわすことが度々ある。



周りの賞賛に踊らされることなく、自らを磨き続ける高島。

目の前の結果に一喜一憂せず、常に一つ一つのプレーの質を追求していったその積み重ねが、現在の「高島遊」という日本最高峰のプレーヤーを作り上げた。



そんな高島が常に心に留めている言葉がある。

『0.01mmの成長に喜びを感じろ』

「ラクロスをやっていれば伸びない時期というものは必ず訪れる。そこでひたすら苦しむのではなく、ほんの少しの伸びを自分で見つけそれを『喜び』と感じられる奴だけが上に行ける。」


日本代表に選ばれるまでに成長した高島にも思うようにいかず悩んだ時期はあった。

そんな時にはこの言葉を思い出し僅かな成長に喜びを見出して自信を奮い立たせた。


「努力と考えるとどうしても辛くなる。楽しい、嬉しいという感情を大事にしないといけない。『常にラクロスを楽しむ』ことが上手くなる一番の近道だと思う。」

数々の辛い経験を乗り越えてきた高島だからこそ辿り着いた一つの答えだった。



どんなに苦しくても、辛くても、彼の根底には
「ラクロスが楽しい」
という揺るがない思いがあった。




だから辞めなかった。
だから練習した。
それが彼をここまで強くしたのだ。


『自分史上最高傑作』

最終学年となる高島の目標である。

「常に昨日の自分より上手くなる、周りよりも自分との戦い。」


飽くなき探究心で更なる進化を目指す。
「世界」を知った立教の#6はどんなプレーで私たちを魅了してくれるのか。

フィールドで繰り広げられる高島史上最高傑作のプレーに今後も目が離せない。

画像3

執筆:4年坂上・4年飯沢

※この記事は2020年2月にAmebaブログで掲載されたものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?