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「死にたい」の中にある「生きたい」

◆こんにちは。小学校教員のねこぜです。「不登校」。非常に難しい問題です。というのも私たち教師は、教室にいる、目の前に座っている子に対して言葉をかけ、話を聞き、アイコンタクトを取り、言葉を交わし…と関わっています。しかし、そこに「いない」子ども(たち)への関わり、寄り添い、慮る…これは容易ではありません。何をすればいいのか、何もできないのか、非力を嘆くこともありました。東畑開人さん著『聞く技術 聞いてもらう技術』にはそんな嘆きを和らげるヒントが隠されていました。


1.表出された言葉の裏に

 「死にたい」とか「消えたい」とか、あるいは「学校に行きたくない」というフレーズ。自分の子どもがこのようなフレーズを口にしたら、飛び上がって心配するでしょう。どうして?なんで?とまずその理由を知りたくなるはずです。当然の反応です。子どもが死にたいと言ったのだから、子どもは死にたいのだと信じ込む。

 「死にたいって言っているのは、反対に生きたいっていう気持ちがあるからなんです」

 かつて一緒に仕事をさせていただいたスクールカウンセラーの先生の言葉。言葉通りが全てではなく、表出した裏には見えない小さな言葉が隠されている。そう気付かされたとき、その見えない気持ちを潰さないように崩さないようにしたい、そう思いました。

 「学校に行きたくない」これも一つの表出です。主張です。まず、親に行きたくなくないんだと自分の思いを伝えられているだけ十分プラス要素なのです。そしてその裏には「行った方がいいのは何となく分かっている。でも…」という決して見えないでも微かな思いを(たとえ本人も自覚がなかったとしても)支える側が保持しておくこと。これは大事なんじゃないかと思っています。同じようなことを臨床心理士の東畑先生も述べられています。少し長いですが引用します。

 たとえば、孤立しているとき、僕らの心は「他者は敵である」と思っています。少なくとも「敵かもしれない」と思っているから、誰かと一緒に居るのがつらいし、助けを求めるのが恐ろしくなって、他者を遠ざけてしまいます。
 だけど、実はそれだけでもない。心のどこかで、つまりもう一つの心は「助けてほしい」とか「味方がいるかもしれない」とも思っている。
 その声はあまり大きくはない。
 それどころか、息も絶え絶えでかすかなものです。基本的には「他者は敵である」という声のほうが圧倒的に大きいから、その子は学校に行けないでいる。
 繰り返し会うことの意味は、この小さい方の声のかすかな呻きが徐々に聞こえるようになっていくことです。心理の仕事をしていて、一番やりがいを感じるのがここです。

東畑開人『聞く技術 聞いてもらう技術』

 子どもに拒絶されても手を差し伸べ続けること。これだけは外せません。登校刺激は強すぎてもダメです。むしろ刺激など加えないほうがいいとさえ思っています。もちろん何も手を打たないのは論外です。「心を見るって、同じ人の中で複数の心が綱引きしているところを見ることだと思うんです。」と東畑先生が言うように、気持ちには潮汐があるということを踏まえて私たちには、時間をかけて、本人と社会との関係が途切れないように橋渡しするのが役目なのではないかと考えています。

2.社会のせいにしても、この社会を生きていかねばならない

 世の中の制度化された社会を私たちは生きています。問題なのは私たちが生まれる前から既に社会があるということです。私たちが生まれてから、一から社会を組み立てることはできません。既にある制度を改編しながら生きていくほかないのです。しかし、「不登校」という言葉は明らかに社会および学校制度の破綻を示していると思います。不登校だけではありません。仕事を病休することも、長時間労働で自殺することも、環境が破綻しているからです。病休する方が弱くて悪い?不登校もそれくらいでへこたれて休んでるほうが悪い?そんなことありません。

 河合隼雄先生は、休んだり、閉じこもったりして自己を内面化する機会が必要であると説いています。風邪で寝込んだり、骨折したりして数日休む。健全(?)な休みです。しかし、今は精神的にも身体的にも休まる時間がないのではないでしょうか。医療の発達とインターネットによる常時接続。自分と向き合う時間が著しく喪失しています。だからこそ「休みたい」と、不登校や引きこもりは当然の現象だろうと河合先生は指摘します。

 ある意味、コロナ禍は自分と向き合う良い契機なったのではないかと思います。いっそコロナになったってことにして休もうかという人もいたでしょう。一方、コロナになったっぽいけど仕事休めないから陰性だったってことにして出勤しよう…という人もいたかもしれません。やはり社会の生きづらさが露呈されたような気がしてなりません。生きづらい世の中が悪い!と他責思考に陥りがちですが、どうすれば生きやすくなるのか、自分と向き合う時間を意図的に作っていく「休み」が、「引きこもる時間」が、あってもいいのかなと思います。

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