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「それ似合う!」の9割はうそ。

人の目や、集団性を気にしすぎる環境がしんどい。

さいきん30歳すぎて、銀髪にしたことが発端で、「似合わない!黒にそめて!」など、こんな歳になってまで人に指摘されるなんて..。と絶望し、
そんな環境に身を置いてる自分にもうんざりしました。
🇺🇸や🇫🇷だったら誰も何も言わないのに..と、たまに逃げたくなる原因がここにはある。

そもそも昔から、自分のファッションセンスが皆無だと思っていて、幼少期は赤色のボーダーシャツに、水玉の青いスカートをはいて、何も気にせず山を走りまわっていた地方の田舎者である。
服装を気にしてないわけではないが、10〜20代でコスプレ、ゴスロリや、サイバーファッションを通ってきたため、一般的服装(ユニクロなど)というのが、全くわからなかった。

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わかいころ&まいねこ

会社づとめをはじめた大人になり、さすがに世間一般的な服を着るようになりましたが、今思うと変な格好のほうが好きだったことと、元々流行に疎いためもあって、なにを着てもどれが似合って、何が似合わないかもピンとこない日々。
そのため、お買い物は友人に服を選びについて来てもらったり、メイクレッスン講座を受けたり、カラーパーソナルトレーニングなどで学習をする人生を歩んできました。

しかし、『茶色が似合います!』と言われ、試しに着てみても、特に好きでもないうんこ色を身につけても、テンションも上がらないし、楽しくもないわけで、「そっか、似合うのか」レベルの気持ちで、これを着てる元のワタシぽさって一体どこにあるんだろう?
と、もやもやしたモノが残っていました。

それでも実践して、新しいメイクと服装でファッションリーダー部類の人間に会うと「顔がぼやっとする」「似合ってないよ!」「ダサい」など好き勝手なことを言われる。
そもそも自分のセンスを信じていなかったので、「似合わない」「ダサい」は傷つくし、『いったい何が正解なんだ。』と、それなりに気にしてしまう。

そんな迷走を繰り返したある日、国外の友人と話していて「マイの選ぶものは自分の大切なアイデンティティなのに、なぜ他人のいったことに振り回される必要がある??」と言われ、「あ、そうだった。」と急に我に帰ったことがありました。

他人目線の、似合う!似合わない!は彼らの好き嫌いを基準に、語ってくることにすぎないし、パーソナルカラー、メイクでの、肌や顔に似合うとされるのは完全にロジックで提示されることであり、ここにおいての自我の意識は無視されるモノである。

つまり、似合う似合わないは、じぶんの好き嫌いで判断し、積み上げること。『自信がない』ということを言い訳にして、他人の意見を求めすぎ、『よりわからなくなる!!』という沼に足を踏み入れていたということに、急に気づかされた。

新しさを模索することは良いことで、アドバイスされたことを実践するのは、素直で正しいことだと思う。実際努力した結果、たくさん学んだこともありました。
けれども、ちゃんと自身が納得して楽しくなる服装やメイクで、自分のための1日をちゃんと生きているだろうか??
日本では職場の規程や仕事柄の縛りはきびしくあるけども、そのなかでも、周りに振り回されない好きな見た目、好きな格好、好きなモノを取り入れたら、何かイヤなことがあっても、すこしだけ気分が軽くなれる。

自分のセンスに自信がないなら、それで良い。
服でも髪型でもメイクでも『しっくりくる。』の感覚を、鈍らせないようにしていれば、その人なりのセンスは滲みでてくるもの。

好き勝手言われることを、正面から真に受けて全部聞くなんて、必要ないことで、『これを着ているとワクワクする!楽しい!テンション上がる!』のきもちを大切にして、どうかもっと自分を信じてね。

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